8.御意にございます

 まったく、なにがどうしてこうなったのか、はなはだ不本意ふほんいだ。


 法的ほうてきに結婚が成立するかはともかく、せめて婚約は、南海の夕陽ゆうひに誓った身だ。向こうも向こうで、全生命ぜんせいめい集合知しゅうごうちを自称しているくせに、こういうことには一言もないのが、八つ当たりを承知で腹立たしい。


 バララエフ中尉は表向おもてむ神妙しんみょうな顔をしていても、小鼻こばながふくらんでいて、有頂天うちょうてんなのがわかる。


 今すぐ叩き斬ってやりたいくらいだが、皇宮こうぐうの中ではそうもいかない。


 ロセリア帝国陸軍情報部から勢力を拡大したという政治結社コミンテルンは、考えている以上に、あちこちに触手しょくしゅを伸ばしているようだ。


 世界革命せかいかくめいの理想など、おじさまの言葉やヤハクィーネ様の説明を聞く限り、浅学せんがくの身にはヒューゲルデン様が評したような絵空事えそらごとにしか思われないが、頭の良い人達にはなにかひびくものがあるのだろう。


 案内された中庭でかしこまっていると、傍目はためを忍ぶように、二人の男女が現れた。偵察情報ていさつじょうほうの通りの容姿ようしだ。


「セラフィアナ=ゴードウィンです。その……商会員の方から、陛下に内密のお目通りを、とのお話でしたが……」


「ハシュトルだ。帝国のため、私の力になってくれる者と聞いている。相違そういないか?」


御意ぎょいにございます。我ら両名、名乗らぬ方が陛下のおんためと存じますが、手の者の言葉にいつわりなく、必ずお役に立って御覧ごらんに入れる所存しょぞんにございます」


 立て板に水とはこのことで、バララエフ中尉の口から、すらすらと軽薄けいはくに言葉が流れ出る。


 どうせ初対面で、重く飾っても空々そらぞらしいだけなので、これはバララエフ中尉一流の会話術と言うべきものだ。


 陽射ひざしよけの頭巾ずきんを外して、大柄おおがらな身体で、なんとも明るい笑顔を見せる。


 ここは乗る流れだ。真似まねはできないが、せめて安心してもらえるよう、同じように頭巾ずきんを外して微笑ほほえんだ。


 果たしてハシュトル皇帝が、マリリより2、3歳ほど下の年齢相応に、ほんの少しだけ泣き出しそうな顔をした。


「ならば、頼む。私を殺してくれ」


 静かな言葉を理解するのに、一呼吸が必要だった。


「ハシュトル様、そのような……」


「良いのです、セラフィアナ。覚悟は決まっています。お二方、より正確に言えば……どうすれば帝国の損害そんがいを最小限にして、私がこの地上から消え去れるのか、その方法を考えて欲しいのです」


 言葉使いも変わり、完全に皇帝の仮面を捨てた少年が、悲痛な眼差まなざしをまっすぐに向けていた。


 戸惑とまどった自分を嘲笑あざわらう。


 こちらを信用できる情報などない。それでも信用するしかないのだ。他に方法がないのは、こちらも同じことだ。


 この相手にならだまされても仕方がない、そう思える相手を信じる。良く言ったもので、最後の最後は、それが真理しんりだ。


 それしか持たない少年をあわれに思い、そうしてくれた勇気に敬意を払う。信義しんぎを結ぶのは、一瞬で充分だ。


 言葉を発しようとした寸前、わずかな物音が、第三者の存在を告げた。


「セラフィアナか。陛下を連れ出し、なにをしている?」


「お、お父様……っ」


 セラフィアナ嬢が、白い顔をこわばらせた。中庭に面した廊下の一角に、しわ一つない黒灰色こくかいしょくの上下を着た、壮年そうねんの男性が姿を見せた。


 短い金髪に白い肌、顔つきも体格も頑固堅牢がんこけんろうそのもので、少し、思い出の中のお父さまに似ていた。


 セラフィアナ嬢の父君ちちぎみであれば、事実上ペルジャハル帝国を掌握しょうあくする支配者、エスペランダ帝国貿易商会の、ヘスティング=ゴードウィン頭取とうどりだ。


 厳格げんかくな目で、中庭の、異常な取り合わせをにらみつける。


 応じて、立ち上がり、外套がいとうを脱ぎ捨てた。連段佩れんだんば二太刀にたちの、金銀のこしらえが陽光を反射する。


 民族衣装の上もはだける。下着の替わりに昨夜と同じ、真鍮しんちゅうの胸当てを着けていた。


 一礼して、再度ひざまずく。


「旅芸人ネクシャラ一座の、おどにございます。一座は今朝けさがた巡業じゅんぎょうちましたが、私はこちらの旦那様だんなさま是非ぜひにとお声掛こえがけ頂き、おなさけを頂戴ちょうだいしているものです。次に戻るまでに、方々ほうぼうよしみを通じておくよう座長から言いつかっておりますれば、本日、望外ぼうがいのおしに喜びいさんで参上致しました次第にございます」


たみの評判を聞き及び、セラフィアナに頼んで、商会の伝手つてで呼んでもらったのだ。そなたに一言あるべきだった、すまない」


 ハシュトル皇帝が機転をかせて、追従ついじゅうする。


 ゴードウィン頭取とうどりの目は、まだうたがわしげだったが、こちらから太刀たち素肌すはだをさらして平伏へいふくした以上、他に辻褄つじつまの合う説明はない。


「そのような些末事さまつごとであれば構いませんが……なるほど、陛下の御心中ごしんちゅう、おさっし申し上げる。確かにこのところ、皇都こうとの風通しはかんばしくありませんな」


 ゴードウィン頭取とうどりが、セラフィアナ嬢を厳しく一瞥いちべつした。

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