4.おまえ次第だな

 皇都エルナクラームの皇宮こうぐうは、精緻せいち幾何学模様きかがくもよう意匠いしょうを凝らした古式建築物だ。


 庭木の手入れも、衛兵もまばらで、リントにとっては潜入するのに造作もなかった。


 皇宮に至る皇都の街路は、薄汚れて、疲れ切ったような人間達が水煙草みずたばこばかりを吹かしていた。


 税が重いのだ。港町の喧騒けんそうは、エスペランダ帝国貿易商会ていこくぼうえきしょうかい結託けったくした大商人が、少しでも価値の高い商品をうばい合う争いの喧騒けんそうだ。


 延々と続く内乱で、売買される物の総量自体も減少しているだろう。


 国民はなけなしの金で生活をつなぎ、先の見えない不安感が、生産と流通をさらにとどこおらせる。植民地経営の傲慢ごうまんさだった。


 皇宮の中も灯火とうかが少なく、日没にちぼつの闇に暗かった。物陰ものかげつたい、奥に向かう。


 さすがに広く、見事な絨毯じゅうたんに飾られた中央廊下に出たところで、静かに歩くラークジャート=パルシーを見つけた。


 凱旋行進がいせんこうしんと同じ、式典用しきてんようの白い軍服に黄金の指揮刀しきとういた姿のままだ。


 褐色かっしょくの肌に赤みを帯びたやわらかい黒髪、小柄こがら背丈せたけに整った顔立ちと、およそ滅びゆく帝国を一人で支える武勇の将軍とは思えない、優しげな男だった。


 年齢も、30歳を超えてはいないように見えた。


 中央廊下の突き当たりの、両開きの大扉を開く。中の広間の先、円形の絨毯じゅうたんいた上の玉座に、翡翠色ひすいいろ袍衣ほういを着た少年が座っていた。


御挨拶ごあいさつが遅くなり申し訳ありません、ハシュトル陛下。軍の準備が整い次第、また出立致しゅったついたします」


 ひざまずいたラークジャートを、同じ褐色肌かっしょくはだに黒髪の年若い皇帝の目が、痛ましそうに見た。


「ニジュカ=シンガをてるか?」


御意ぎょい


「ラークジャート……父、ムルディーン先帝はそなたを、息子と思って頼りにしていた。それゆえ私も兄としたい、これまでずいぶん甘えさせてもらった」


「恐れ多いお言葉、下層階級民かそうかいきゅうみんからお引き立て頂いた身には、過ぎたる光栄に存じます」


「だから、もう良い……そなたは充分に忠義ちゅうぎを尽くした。帝国は滅びる。この上、無益むえきな戦いに生命いのちを投じることはない」


「皇帝陛下が地上にる限り、帝国もまた不滅のもの。この身命しんめい戦塵せんじんに果てることを無益とは思いません」


「私は……帝国はそなたに、なにもしてやれぬ!」


「すでに大恩たいおんを頂いた身です。私が帝国のため、陛下のためになにができるか、という話でございます」


 ラークジャートは微笑ほほえみを浮かべて立ち上がり、広間を後にした。


 もう、かける言葉もなく見送ったハシュトルの横に、女が影のように寄りった。


 砂金さきんかしたような繊細せんさいな金髪の、白色人種の若い成人だ。美貌びぼうを悲痛に沈めて、ハシュトルの手に手をえる。


 青い天鵞絨てんがじゅう豪奢ごうしゃな衣装が、かえって頼りなげな雰囲気を際立たせていた。


 こちらの背景も情報価値がありそうだが、まずはラークジャートの動向を見極めなければならない。


 軍勢を整えて砂漠越さばくごえの遠征えんせいに出てしまえば、リントの身体能力でも接触は困難になる。


 せめて騎乗する、あるいは糧食りょうしょくを輸送して同道する馬か駱駝らくだを限定し、同調どうちょうのための生体情報せいたいじょうほうを得ておきたかった。


 ラークジャートは中央廊下を抜けると、一度立ち止まり、瞑目めいもくした。皇帝と、その横に現れた女と同じ悲痛のかげりが、わずかにもれた。


 再び歩き出そうとした瞬間、指揮刀しきとうを抜いて、天井てんじょうの暗がりから振るわれた白刃はくじんを受けた。


 赤銅色しゃくどういろの肌にペルジャハルの民族衣装をまとい、長い黒髪を束ねた精悍せいかんな顔が、白刃はくじんを引いて笑った。


「よお、ラージャ。しばらく見ねえ内に将軍様とは、出世したもんじゃねえか」


「おまえ……クジロイ、か?」


 ラークジャートが、呆然と目を丸くした後、涙を流さんばかりに破顔はがんした。


 そして今しがたとは比べ物にならない鋭さで、指揮刀しきとう一閃いっせんさせた。首に一筋、血が流れるほどのきわで、危うくクジロイの短刀が受け止めた。


「ちょっ……おい! 今のは危なかっただろ!」


「うるさい。イスハバートがあんなことになって、セラフィアナがどれだけ心配したと思っている? 生きているのなら、なぜ便たよりの一つも寄越よこさなかった?」


「他人の女に、便たよりなんか出せるか!」


「ならば、私に出せば良いだろう」


「その女の男になんざ、もっと出せるか!」


 わめくクジロイと、にらみえるラークジャートのひたいがぶつかって、二人同時に苦笑してやいばを納めた。


「ロセリア帝国の占領軍が撃破されたと聞いて、もしかしたらと思っていた。イスハリを一つにまとめて、戦うことができたんだな」


「自慢したいところだが、俺の腕じゃねえ。俺も今じゃ、おまえと同じ宮仕みやづかえだよ」


「フェルネラント帝国か。環大洋帯共栄連邦かんたいようたいきょうえいれんぽう主導しゅどうと言い、エトヴァルト第三皇子は相当の人物のようだな」


「まあ、少なくとも、うちの大将はきもわってるな。連邦れんぽうを知っているなら話がはええ、おまえ達も一口、乗らねえか?」


「できない相談だ。ペルジャハル帝国は、エスペランダ帝国と共にる」


 クジロイの軽口を、ラークジャートが切り捨てた。背中を向けて、一歩離れる。


「セラフィアナに会ってやってくれ。きっと喜ぶ」


「そいつは、おまえ次第しだいだな」


 クジロイも頭をかきながら、背中を向けた。灯火とうかの影に、け込むように姿を隠す。


「ニジュカを殺すのか?」


「殺すよ。ハシュトル陛下とセラフィアナ以外なら、私は誰だって殺す」


 ラークジャートの返答は明確だった。


 だが、続く言葉は、隠れたクジロイの姿を追って、灯火とうかの影に消えていくようだった。


「私がニジュカを殺したら……クジロイ、君が私を……殺してくれるかい?」


 クジロイは答えなかった。


 ラークジャートも背中の影を振り切るように、靴音くつおとを立てて、まっすぐあゆみ去っていった。

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