3.上手く馴染むものですね

 集合知しゅうごうちの情報を整理する。


 ペルジャハル帝国のカールハプルは、古くから香辛料こうしんりょう織物おりものの貿易でさかえた港町だ。


 町を東西に分ける中央運河を北上すると、のんびりした船足でも半日ほどで皇都こうとエルナクラームに到着する。


 現在、運河の交通権はエスペランダ帝国貿易商会ていこくぼうえきしょうかいが独占しており、カールハプルに到着するはすべて商会にあずけて運搬料うんぱんりょうを払う仕組みだ。


 港に降りると、香辛料こうしんりょう濃密のうみつ香油こうゆ水煙草みずたばこと、熱くかわいたすなの匂いが全身を包んだ。


 売り買いされているらしい黄色、黒色人種の奴隷達どれいたちと、まっ黒に日焼けした水夫達すいふたちを除いて、ほとんどの人間がゆったりとした白い外套がいとう陽射ひざしよけの頭巾ずきんかぶり、目元しか見えない。


 その目元をぎらぎらさせた、乱暴な喧騒けんそうに満ちていた。


「さて、どうしよっか」


「ヤハクィーネ様のお話では、クジロイ様が陸路りくろで先行されている、とのことでしたね」


 同じように白い外套がいとう陽除ひよけの頭巾ずきんかぶっていても、背格好、居振いふいで男女の違いはわかる。


 ジゼル達三人も、肩に乗せたリントとメルルのせいもあって、いくつもの無遠慮ぶえんりょな視線を向けられていた。


「私がふえで、こちらの到着を知らせましょうか?」


「少し探してみて、難しいようならそうしましょう。あの目立つ御仁ごじんがいれば、わからないはずもないと思うのですが」


「だから、大将たいしょうほど悪目立わるめだちしてねえって」


 足元あしもと水煙草みずたばこの煙をいていた男が、頭巾ずきんを持ち上げた。


 長い黒髪を後頭部でわえて、赤銅色しゃくどういろ精悍せいかんな顔に薄笑いを浮かべている。香油こうゆを塗っているのだろう、身体の匂いもわからなかった。


「イスハバートの時も感心しましたが、上手うま馴染なじむものですね」


漂泊ひょうはく自由交易じゆうこうえき、そいつが本来のチルキス族さ。この辺なら、子供の頃からうろついてるぜ」


「ここまでの距離を、徒歩とほ往来おうらいするのか?」


っせえ大将なら姉貴あねきの血筋だ、やれないことはないと思うぜ。お望みなら、いろいろ教えてやるよ。それもこれも、大将達がイスハリを取り戻してくれたおかげだ。これでも感謝してるんだぜ?」


「そう言って頂けると、お尻の穴をばしてやった甲斐かいがありました」


 クジロイが肩をすくめて、マリリに手を伸ばした。


ふえは良い思いつきだが、ちょっと貸してみな。普通の吹き方しか教わってねえだろう」


 マリリのふえを受け取って、クジロイが軽く口をつける。一呼吸置いて、高く長く、人間の可聴域かちょういきをわずかに外れる音が風に流れた。ジゼル達には聞こえていない。


「チルキス族だけじゃない、大陸の漂泊民族ひょうはくみんぞくが共有する合図さ。聞く方は、まあ、慣れだな」


 少しすると、にぎやかな音楽と歓声かんせいが近づいてきた。


 先頭は、二頭の駱駝らくだだ。背中にこぶを持つ四足動物で、砂漠や乾燥地帯かんそうちたいの騎乗、荷役用に使われている。


 馬よりも大きく、愛嬌あいきょうのある顔立ちに反して、やや気性きしょうが荒い。


 初めて見るのだろう、ジゼルもユッティもマリリも、色鮮やかな織物おりもので飾られた駱駝らくだ好奇こうきの目を向けた。


 続いて現れた軽業師かるわざし曲芸きょくげいと、派手な楽器をかき鳴らす奏者そうしゃひょうげた仕草しぐさ乳房にゅうぼう腰回こしまわりをわずかに隠しただけの蠱惑的こわくてきな女達の踊りが、港町の通りをき立たせた。


 旅芸人たびげいにんの一座だ。


 最後尾の、四頭の駱駝らくだに引かれた立派な造りの幌車ほろしゃに、クジロイが当然のような顔で後ろから乗り込んだ。


 ジゼル達も慌てて続く。外の熱気ねっき口笛混くちぶえまじりの大歓声から、不思議なほど隔離かくりされた薄暗がりの硝子灯がらすとうに、一人の女が照らされていた。


 ジゼルより若いようにも、ユッティより成熟したようにも見える、艶然えんぜんとした美女だ。


 豊満な濃茶のうちゃ肢体したいを、踊り手の女達と似たような緋色ひいろの衣装でわずかに包み、流れる黒髪とむらさきに透けるしゃまとっている。


 かたわらに、雪のような白毛しろげと、足先と耳、ひたいに女の肌と同じ濃茶のうちゃの模様がある、大きな青い目の猫がいた。


「私はネクシャラ、この子はヴィルシャと申します。クジロイ様の御用命により、これから私の一座で、皆さまのお世話をさせて頂きます。なんなりと、お申しつけ下さいましね」


 一礼し、小首をかしげて笑う仕草が、今度はマリリのような少女にも見える。


 それが客の反応を探る媚態びたいであることに気がつくまで、少しのが必要だった。


「おいネクシャラ、妙な商売気しょうばいけは起こさねえでくれよ? こっちは、こう見えても軍人だ、おっかねえぞ」


「どなたのことでしょう。心外ですね」


「わかってんじゃないのさ。それで、なに、この人達の一座を隠れ家にするってこと?」


「この辺はまだ、女は男の持ち物って意識が強い。一人でいたら、それだけで目立つ。土地の者にまぎれるのは、最初から無理なのさ」


「なんだそれは! 腹立たしい男どもだな!」


「そう言うな。風習ってのは、その土地で生きる知恵で出来上がってる。余所者よそものが口出ししても仕様がねえさ」


 クジロイの言う通り、乾燥地帯の厳しい環境下では、限られた水源すいげんや耕作地をめぐる争いが古代からえなかったことは容易に想像できる。


 戦闘能力の観点で基本的におとる女が、長く男の所有物として扱われてきたことは、根強ねづよい価値観として残るだろう。


「あたし達には願ったりかなったりだけどさ、ぶっちゃけ、危険よ? つき合わせるのは、気が引けるわね」


「流れ者のせいなど、砂の一粒ひとつぶに過ぎません。心が躍るような冒険譚ぼうけんたんなら、むしろ見逃みのがす方が口惜くちおしく存じます」


 ネクシャラが、くちびるを隠して微笑んだ。


「皆さまの武運めでたくことが成れば、面白おもしろおかしく物語にして、演目えんもくに加えさせて頂きます。美しい皆さま方の御活躍であれば、この土地の女性にも、きっと新しい勇気を与えて下さいましょう」


うけたまわりました。私も幼い頃から武芸譚ぶげいたんに親しんだ身、後続の導きとなるに、やぶさかではありません。御協力に感謝致します」


 ジゼルが礼を返して、ことは決まった。


 ちょうど外の歓声も一段落したようで、幌車ほろしゃが動き出した。三々五々、踊り手達も乗り込んで来る。


「街道で、皇都こうとエルナクラームに向かいます。そちらで興行こうぎょうを開いておりますのと、本日はもう一つ、ラークジャート=パルシー将軍の凱旋行進がいせんこうしんがございます」


「ありゃ。早速、御大将おんたいしょうのお顔拝見かおはいけんね。遠くからでものぞけると良いんだけど」


「警戒は厳重ですが、天幕てんまくの上から双眼鏡で見えるでしょう。一座の者の衣装にお着替え頂ければ、怪しまれることもございません」


 ネクシャラがほくそ笑んで、踊り手達も同じように、含み笑いをジゼルとユッティに向けた。


 クジロイも苦笑して、マリリの肩を軽く叩いた。メルルまでが、にゃ、と鳴いたが、マリリは不得要領ふえようりょうな顔をしていた。

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