第272話 大神樹とミサキのカミングアウト

 ユグドラシアは、ウルス達がここに到着する前にライト達に話して聞かせていたことをウルス達にも聞かせた。


 集団スケルトンの襲撃事件が収まり、程なくしてから八咫烏達にユグドラシアの声が届きにくくなったこと。

 そしてそれは日を追う毎に酷くなり、ついにはたった一羽を除いて誰もユグドラシアの声が聞こえなくなったこと。

 その原因は、おそらくマキシの魔力の無さにあったこと。


『貴方方も知っての通り、貴方方家族以外の他の者達はマキシを貶し、嘲笑い、ずっと見下してきました』

『そして貴方方家族も、マキシの不遇を嘆き、悲しみ、どうすることもできない無力さに悲嘆に暮れていきました』

『私の声は心に深い傷や悲しみ、憎しみや妬み嫉み、恨みなどの負の感情を大きく持つ者には届きません』

『どうして貴方方家族や里の者達に、私の声が聞けなくなったのか。ウルス、今の貴方ならば分かりますね?』

「…………はい」


 跪きながらユグドラシアの言葉に聞き入っていたウルスは、絞り出すような声でユグドラシアからの問いかけに答えた。

 そしてウルスはユグドラシアの話に、かつて自分がまだ幼い子鳥だった頃のことを思い出していた。


 そう、かつての八咫烏の里は先代族長だったウルスの父と母の治世のもと、笑顔と平和に満ちていた。

 大した諍いもなく、婚儀や産卵後の孵化など時折訪れる慶事にも必ずユグドラシア様は祝福の声を届けてくださっていた。

 誰もが皆ユグドラシア様を慕い、そのお声を生きる糧として精進していたあの頃。


 いつからこの里は、こんなにも変わってしまったのか。

 ユグドラシア様のお声が聞けなくなったのは、いつからだったか。

 そんなのは分かりきっている。スケルトン集団が八咫烏の里をに襲いかかってきてからだ。


 幾度となく繰り返されてきた、スケルトン集団の襲撃。その回数も両の趾をはるかに超え、いつも防戦一方だった。

 しかも奴等は本当に突然襲撃してくる。その期間もバラバラで、二日連続で襲来することもあれば一週間一ヶ月空いたりして行動が全く読めなかった。


 思えば既にその頃から、里の民達の心は大いに荒んでいた。

 戦いに疲れ、いつまた襲われるとも分からぬ不安、そして一向に戦いを終わらせることのできない長への不満。

 それらが溜まりに溜まった鬱屈となり、スケルトン集団の襲撃が年単位で収まってなお新たな標的マキシにぶつけられたのだ。


「……全ては私の不徳の致すところでございます」

『それこそ致し方なきこと。スケルトン集団による襲撃の真の目的は誰にも……この私でさえ知る由もなかったのですから』

「…………」

『ですが……真相が明らかとなり、マキシの魔力も取り戻せた今ならば、この里の不和も解消されましょう。さすがに一世紀にも渡る確執ですから、一日二日でどうこうできるとは思いませんが』

「……はい」

『すぐに水に流すことは無理でも―――雪解けの如くいつかは皆のわだかまりが解けてくれることを願っています。そして……この際だから明かしてしまいますが』


 何やら話の展開が変わりそうな空気に、ウルスは予想もできずユグドラシアに問い返す。


「……?何でしょう?」

『貴方の末娘のミサキ。彼女だけは私の声をずっと聞いていましたよ』

「…………は?」

『毎日普通に会話もしていました』

「何ですとッ!?」


 ユグドラシアの思わぬカミングアウトに、ガビーン!顔で思いっきりショックを受けた様子のウルス。そのままガバッ!とミサキのいる方向に顔を向けた。

 突然秘密をバラされたミサキは、きょとんとしながらも『あー、ユグちゃんからバラすならもう秘密にしなくても大丈夫ってことだよね?』という瞬時の理解のもと、テヘペロ顔で父親に頷いてみせる。

 そのあまりの軽さに、ウルスは開いた口が塞がらない。


『もはや誰も私の声を聞けない中、ミサキだけが私の声を聞き会話もできるとなれば、マキシ同様にミサキまで妬み嫉みの標的になることは必定』

『ミサキの身を守るために、このことは決して誰にも明かさぬよう絶対の秘密としてミサキにも日々言い含めてきました』

『ウルス。何故ミサキだけが私の声を聞き続けてこられたのか、貴方にはその理由が分かりますか?』


 ユグドラシアからの問いかけに、ウルスはしばし真剣に考え込む。


『この里の中で唯一、ミサキだけが悲嘆にも憎しみにも染まらなかったからです』

『魔力のないマキシを憐れむこともなく、里の者達の無理解を憎むこともなく、ただ彼女だけが「マキシ兄ちゃんだっていつかは魔力が増えて皆と同じになれる」「皆だっていつかはマキシ兄ちゃんのことを理解してくれる」という希望をひたすら持ち続けてきたのです』

『そんな心持ちの彼女だからこそ、私との会話ができていたのです』


 ユグドラシアの言葉に、ウルスだけでなくアラエルや他の兄弟姉妹達も目を見張るようにしてミサキを見つめた。


「……うん、マキシ兄ちゃんはマキシ兄ちゃんだよ。魔力がなくたって、ワタシの双子のお兄ちゃんで、父様と母様の子で、皆一つの家族なんだよ」

「魔力の少ない八咫烏がいたっていいじゃない。どうして魔力が高くないとダメなの?」

「どうして皆、マキシ兄ちゃんを認めてくれないの?」


 疑問を呈しているうちに悲しくなってきたのか、涙をポロポロと零すミサキ。

 そんなミサキを見つめながら、マキシは在りし日のことを思い出していた。



 ……

 …………

 ………………



 普段はずっと自分の部屋に閉じ籠もりっきりのマキシだったが、たまに家の外に出ることもある。

 それは、身体を清め洗い沐浴するためにモクヨーク池に出かけたり、親友のラウルに会いにいったり等々。

 そして外に出る度に、里の者達に出くわしては嘲笑いされ貶されていたマキシ。

 そんなマキシをいつも庇っていたのがミサキだった。


「マキシ兄ちゃんを虐めちゃダメ!」

「マキシ兄ちゃんはワタシのお兄ちゃんなの!大事な家族なの!」

「ワタシの家族を虐めたら、絶対に許さないんだから!」


 いつもそう叫んでは、マキシに絡んでくる者達を追い散らしていたミサキ。

 そんな頼もしい妹の背で、兄であるマキシは己の無力さを恥じては俯く。

 だが、追い散らした後のミサキは必ずすぐに振り返り、自分よりも一回り小さいマキシをギュッ!と抱きしめるのだ。


「マキシ兄ちゃん、あんなの気にしちゃダメよ!」

「マキシ兄ちゃんはワタシの大事な大事なお兄ちゃんで、家族なんだからね!」

「絶対に忘れないでね!」


 一回り大きいミサキに、全身全霊全力で抱きしめられるマキシ。ミサキの両翼の中で、熱い抱擁という名の圧に押し潰されかけて「……ゥキュゥ」とマキシが目を回し、ミサキが慌てて介抱するまでがいつもお約束の流れだった。



 ………………

 …………

 ……



 思えばずっと頼りない兄だったなぁ、とマキシはしみじみ思う。

 こうして魔力を完全に取り戻せた今だって、ミサキに敵う気がしない。ミサキは全ての者を明るく照らし包み込む、太陽のような存在なのだ。

 ポロポロと涙を流す妹に、マキシは近づいてそっと抱きしめた。


「ミサキ、不甲斐ない兄ちゃんでごめんね。ずっとずっと心配させて、ミサキに守ってもらってばかりで」

「ううん、そんなことない。マキシ兄ちゃんはワタシの大好きなお兄ちゃんだもん」

「ミサキにそう言ってもらえて嬉しいよ。ミサキがずっと信じてくれたから、僕は僕でいられたんだ」

「うん、うん……魔力があってもなくても、マキシ兄ちゃんだよ。だけど、元通りの姿を取り戻せて本当に良かったね!」


 いつもミサキに抱きしめられてばかりだったマキシ。今は逆で、マキシがミサキを抱きしめている。数ヶ月前まであった体格差はほとんどなくなり、むしろマキシの方がミサキよりも少し大きくなっている。

 ああ、思い返せばこうして僕がミサキを抱きしめることなんて一度もなかったかも、とマキシは改めて過去を振り返る。

 そしてミサキは兄が本来の姿を取り戻せたことに、今度は歓喜の涙を流す。

 マキシは己の腕の中の妹の涙をそっと翼の先で拭う。


「ありがとう。これからはミサキに頼られるお兄ちゃんになれるように、僕もまた頑張るからね」

「うん!!」


 妹の眩しい笑顔を、マキシもまた眩しい笑顔で受け止めていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 こうして、シアちゃん問題から端を発したミサキとユグドラシアの会話カミングアウトは見事成功し、ウルス達家族の了承も得ることができた。


「えっとね、ワタシはずっとユグちゃんのことを『ユグちゃんって』呼んでたの」

「……ユグちゃん……」

「でもね、ライトちゃんのおうちの近くにもユグドラツィってお名前の神樹があるんだって。んで、そっちの神樹と呼び方が重なっちゃうといけないから、ライトちゃん達は『シアちゃん』って呼ぶことにしたの」

「ぼくだって、ホントは『シア様』って呼ぶつもりだったんですけどね?」

『シアちゃん』

「ほれこの通り、『シア様』って呼ぼうとするとシアちゃんから速攻でダメ出し食らうんですよ」

「……シアちゃん……」


 ウルス達が先程からずっと目眩を起こしまくっている。

 そりゃそうだろう、今までずっと崇敬してきた大神樹の呼称がいきなりこんな可愛らしい町娘みたいな呼び方に変わるなど、夢にも思っていなかったはずだ。


『良い機会ですから、貴方方も私のことを『シアちゃん』と呼んでいいですよ』

「い、いや、その、ユグドラシア様?」

『シアちゃん』

「……ぁー、あのー、では……せめて『シア様』、で、お願いします……」

『ふむ……致し方ありませんね、ではこれからは『シア様』とお呼びなさい』

「ははッ……」


 ウルスも速攻でユグドラシアからダメ出しを食らうが、そこは何とかシア様呼びで妥協してもらったようだ。

 シア様呼びならば、親しみやすさの中にも気高さが感じられてこれはこれで良いと思える響きだ。

 これを機に、大神樹ユグドラシアと八咫烏一族族長一家の絆もより深まるに違いない。


『……さて、今日は少々喋り過ぎました。私は少し休むことにします。後は貴方方家族で、もう一度じっくりと話し合いなさい』

「承知いたしました。ユグドラシア様もお疲r」

『シア様』

「うぐッ…………シア様、お疲れさまでございます。どうぞごゆっくりお休みください」

「ユグちゃん、おやすみなさい!」

「シアちゃん、お疲れさま。良い夢を」


 ウルスが今まで通りにユグドラシアのことを様付けで呼ぼうとするも、当の大神樹から早速訂正を食らい敢えなく撃沈する。

 長年染み付いた慣習はなかなか直せないだろうが、それでもこの大神樹直々の高速ダメ出しによってシア様呼びも早晩定着することだろう。


 これまで通りのユグちゃん呼びを継続することにしたらしいミサキと、もうシアちゃん呼びに慣れ始めたマキシからおやすみの言葉を送られた大神樹は、しばし微睡みの世界に落ちていった。





====================


 過去の襲撃事件の真相が知れただけでなく、ミサキだけシアちゃんと会話できていたことの理由やそのことに対する口止めの理由の判明、そしてそれら諸々のカミングアウトも無事成功しユグちゃん呼びも何とか認められました。

 とりあえずここらでマキシ達一家の抱えていた大きなわだかまりは取り除けた、といったところでしょうか。

 家出息子の家庭事情、なかなかに複雑すぎてそれを解くのに思った以上に話数かかってしまいましたよ_| ̄|●


 そして、シアちゃんのちょっとだけお疲れな理由の補足。

 ミサキやライト達のように何をせずとも声が届く相手なら問題ないのですが、今のウルス達の胸の内にはまだ過去の遺恨や様々な悔悟の念が多分にあり、未だその声は届き難い状態にあります。

 そうした者達にも声を届けようとするなら、相当出力を上げて大量の魔力を込めながら会話せねばならぬのです。

 それがキツくてめんどいから、よほどの緊急事態でもない限りはもうシアちゃんも里の者達と無理に会話しようとはせずにだんまりのままだった、というちょっとした裏事情もあったり。


 もちろんシアちゃんほどの大神樹ならば、そのくらいの芸当はできて当然といえば当然なのですが。それでも、できて当然ではあっても余裕綽々とまではいかないのです。

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