第220話 揺るぎなき信頼

 その日のオーガの里での話し合いは、ひとまず円満のうちに無事終了した。

 さぁ解散か、というところでレオニスがふと「ああ、そうだ」と何かを思い出したように付け加える。


「最後に皆に言っておきたいことがある」

「オーガの里が単眼蝙蝠の群れの襲撃に遭ったことや、屍鬼化の呪いをかけられたこと、その屍鬼化の呪いを解除して全てを撃退したこと。ここまでは誰に話してもいい」

「だが、屍鬼化の呪いを退けたのがエリクシルであること、またそのエリクシルの出処がライトであることは絶対に他言無用だ」

「エリクシルに関してはそれに近いようなこと、例えば『オーガ族の秘薬』とでも誤魔化してくれりゃ問題はないが」

「ライトの存在だけは絶対に誰にも言うな。ここにいる者達だけの秘密にしてくれ」

「俺の言っていることの意味が分かるな?」


 その場にいた全員が、無言のまま大きく頷く。


「当然だとも。エリクシルなどという伝説の神薬、昨日までその実在を信じられる者の方が僅少であっただろう」

「『神の恩寵』とも呼ばれるエリクシル……それが本当に存在すると知れ渡れば、世界中で大騒ぎになるのは必定」

「ましてやそれをもたらしたのが、このような小さき人の子であれば……命がいくつあっても足らんほどに狙われてもおかしくはないからな」


 レオニスも大きく頷きながら、ラキとニルの方に身体を向け直す。


「ラキ、ニル爺さん。オーガの里の者達にはエリクシルのことは話したのか?」

「いいや、皆には『レオニスがもたらした秘薬』としか話しておらん。屍鬼化の呪いに関しては、儂ら以外の他の目撃者もおるし隠しだてはできぬ故に話したが、さすがに『神の恩寵』のことは軽々に明かせるものではないからな」

「ならいい。これからも里の者達には『秘薬』で通してくれ。その正体を知るのは、ここにいる五人だけの秘密だ」

「ライトもいいな。分かってると思うが、エリクシルのことだけは絶対に誰にも話すな。お前の身の安全のためだ」


 ライトもコクリと大きく頷く。

 ライトとてエリクシルの貴重さは重々承知している。むしろゲーム知識を持っている分、ここの誰よりもその重要性は理解していた。


「ここから先はもう『エリクシル』という言葉を出すのも無しだ。……そうだな、ただ単に『秘薬』とでも呼ぼうか」

「普段から気軽に口にしていると、いつどこから漏れるか分からんからな」


 レオニスが慎重を期して次々と策を打ち立てる。

 さすがレオニス、ここら辺は現役ベテラン冒険者としての経験が物を言うところだ。


「人族の主立った組織には俺が話しておく。何、人間でカタポレンの森に長期滞在できる強者なんざほとんどいないからオーガの里に人族が押し寄せる心配はないが」

「屍鬼化の呪いの経緯を説明をするには、どうしてもオーガ族の名は出すことになる」

「オーガ族にはすまんが、承知しといてくれ」


 レオニスがラキとニルに向けて、軽く頭を下げて了承を求める。


「気にするな、角なしの鬼よ。そのくらいのこと、我等の了承を得るほどのことでもない」

「そうだぞ、レオニス。そもそもお前以外・・・・の人族に我等オーガ族が後れを取ると思ってるのか?」

「まぁそうだよなー、そこら辺の冒険者じゃ束になっても鬼人族に敵う訳ャねぇわな!」

「そうだとも!空飛ぶ人間・・・・・なんぞ普通おらん・・・・・しな!」

「「「ワーッハッハッハッハ!!」」」


 思いっきりふんぞり返りながら、破顔するとともに高らかに大笑いするレオニスとラキとニル。

 だがしかし。レオニスよ、今のその会話は既に己が全く人族扱いされていないということに気づくべきではなかろうか。

 ただでさえ腕力でもオーガ族に引けを取らないというのに、短時間なら空も飛べるのだから。

 いや、そもそも巨大なオーガに囲まれながら平気な顔して談笑している時点で十分おかしい。もはや人外扱いされても致し方なしか。


 あぁー、レオ兄が【角持たぬ鬼】と呼ばれてるのもこりゃ当然だよなー……

 口には出さぬが心の中でそう呟きながら、引き攣り笑いするしかなかったライトだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 翌日、レオニスは早速冒険者ギルドに出向いた。

 その冒険者ギルドとはもちろんディーノ村出張所である。

 お昼前の午前中、朝一番ではないにしろそれなりに早い時間なのでそこそこ人がいてもよさそうな時間帯なのだが。相変わらず人っ子一人いない閑古鳥パラダイスである。


「よう、クレア。おはようさん」

「あら、レオニスさんじゃないですか。おはようございます」


 受付窓口にいたクレアに声をかけるレオニス。

 周囲に誰一人いなくても、常に姿勢をピンと伸ばし綺麗な姿勢で窓口で待機するクレア。まさに受付嬢の鑑である。


「こんな朝早くからいらっしゃるとは、珍しいですね。何かありましたか?」

「ああ、ちっとばかりギルドに報告しておきたい案件があってな……奥で話してもいいか?」

「ええ、もちろん構いませんよ。今所長は不在なので私が承ってもよろしいですか?」

「もちろん。むしろクレアにこそ聞いておいてほしいことでもあるからな」

「わかりました。ではこちらへどうぞ」


 クレアは立ち上がると、徐に机の引き出しから【只今離席中。御用がある方は大声で呼んで下さい。★クレア★】と書かれた小さな立札を取り出して窓口に置く。


 クレアとともに奥の部屋に移動するレオニス。

 レオニスを先に部屋に通し、自分も入ってからカチャリ、と鍵をかけるクレア。

 レオニス自らが冒険者ギルドに報告として上げてくる案件。それがどういう意味を持つものか、クレアは何も言わずとも十全に理解していた。


 そこそこに立派な応接室で、クレアが奥にある給仕室からお茶を二人分運んでテーブルの上に楚々と置いてから席につく。

 そこそこに立派な応接セットで向かい合って座る、レオニスとクレア。

 いつものように、ラベンダー色のベレー帽から私物であるメモ帳とペンをスチャッ、と華麗な動作とともに取り出す。


「さて、ではお伺いしましょうか。本日はどういったご用件で?」

「屍鬼化の呪いを発見した」

「!!!!!」


 一切の前置きなく、ズバッと本題を切り出すレオニス。それに対し、クレアはただただ驚き息を呑む。

 レオニス自ら報告しに来る案件だから、よほどの重大事であろうことはクレアもそれなりに覚悟していた。

 だが、それがよりによって『屍鬼化の呪い』などというとんでもない厄災だとは予想だにしていなかったのだ。

 あまりの衝撃的な内容に、クレアの顔はみるみる青褪めていく。右手に握ったペンはポロリと膝に落ち、身体が小刻みに震えて止まらない。


「……そ、それは……どういった経緯か、詳しくお聞きしてもよろしいですか?」

「ああ。一応先に言っておくが、屍鬼化の呪いはもう解けている。拡散する心配は一切ない」

「…………は?」


 青褪めて震えるクレアを安心させるために、結末から先に述べたレオニス。その言葉を聞き、クレアは拍子抜けしたような声を洩らした。


「屍鬼化の呪いが出たのは、カタポレンの森の目覚めの湖近くに住むオーガ族の里だ」

「俺が一昨日、たまたまその近くを通りかかったら単眼蝙蝠の大群に襲われてるところに遭遇してな」

「オーガ族には俺の知己もいるから、オーガ族に加勢して単眼蝙蝠の群れを撃退したんだ」

「だが、撃退した後にオーガ族の族長に屍鬼化の呪いがかけられていることが判明してな」

「それをオーガ族に伝わる『秘薬』で無事解呪した、という訳だ」

「万全を期すにはあと数日は経過観察せにゃならんが、屍鬼化の呪いはほぼ間違いなく終息したと考えていいはずだ」

「……って、クレア?聞いてるか?おーい、クレアー?」


 レオニスが簡素かつ端的に、その経緯をクレアに説明していく。

 先程から呆然としたまま固まり続け、微動だにしないクレア。動かないクレアを心配し、レオニスがクレアの目の前で手をひらひらと左右に動かしている。


「……ハッ!」


 クレアは頭をブンブンと左右に振り、意識を覚醒させようとする。


「す、すみません。私、何だかさっきまで目の前に小さな天使がたくさんいて乱舞してました……」

「ん、まぁな……その気持ちは俺もよーーーく分かるぞ……」


 何かどこかで聞いたような幻想的な光景が、たった今クレアの目の前で繰り広げられていたようだ。

 一昨日同じような目に遭ったレオニスも、しみじみと頷きながらクレアに共感している。


「え、えーと、では……今回の屍鬼化の呪いの件に関しては、今から特に緊急事態宣言を出すような状況には至っていない、ということでよろしいですか?」

「ああ、そういうことだ」


 改めてレオニスから危機回避のお墨付きを聞いたクレアは、大きく息を吐きながらソファに凭れかかった。

 いつもはどんな物事にも動じない、常に冷静沈着なクレア。だが、さすがに今回の案件ばかりはそうはいかなかったようだ。


「そうですか……それは本当に良かったですぅ」

「まぁな、俺もたまたまその場に居合わせることができて良かったよ」

「本当に……しかもオーガ族だけで解決できたとは、本当に僥倖としか言いようがありませんね」


 クレアの顔色も徐々に戻り、血色が良くなってきた。

 屍鬼化の呪いの話をし始めた時には、それこそ顔色まで彼女の定番カラーであるラベンダー色に染まるかと思うくらいに血の気が失せていたクレア。

 全身コーディネイトだけでなく、顔色や肌の色までラベンダーカラーになろうものなら目も当てられない。それはもはや人ではない。


 だが、ここでレオニスがクレアに問い質す。

 その口調はとても静かで、だからこそ真摯な思いが言葉に宿る。


「そういう訳で、今回の屍鬼化の呪いの件で証言できるのは、人族の中では俺一人しかいない」

「そりゃオーガ族だって証言することはできるが、人族の中に連れてきて証言をさせるほど友好的な種族関係ではないし」

「そもそもオーガ族に証言を命令できるほど、人族が偉い訳でもない」

「だからこの件に関して、話ができるのは俺だけで―――それを補完してくれる他の証言も何一つない」

「それでも俺の話を信じてくれるか?」


 レオニスは真剣な眼差しでクレアを見つめる。

 そんな真面目顔のレオニスの話に、クレアはきょとんとしながら小首を傾げている。

 そして、徐にその愛らしい口を開いた。


「またまたぁ、金剛級冒険者ともあろうお人が何を寝言吐いてるんです?寝言は寝て言うものですよ?レオニスさんの話を信じないギルド職員なんて、この世に存在する訳ないでしょう?」


 いつもと変わらず寝言吐き呼ばわりされたレオニス、心底がっくりと項垂れる。

 そんなレオニスを華麗にスルーして、クレアが滔々と喋り続ける。


「普段のレオニスさんが如何に適当な人であろうと、依頼や討伐、魔物などの冒険者稼業に関連することならば話は別です」

「この手の話に関して、レオニスさんが嘘をついたり騙したりすることなど絶対にあり得ません」

「今回の話にしても、屍鬼化の呪いなどという洒落にならない題材を用いてまで嘘をつく必要が一体どこにあるんです?」

「それに……」


 持論を一気に捲し立てた後に、ふとクレアの言葉が止まる。

 その静寂に、レオニスが項垂れていた頭を上げてクレアの顔を見た。


「伝説の金剛級冒険者、この肩書は伊達ではないでしょう?」


 クレアは静かに微笑んだ。

 最初からクレアは分かっているのだ。レオニスという男は、金剛級冒険者という肩書に泥を塗るような真似など決してしないということを。


「……やっぱあんたにゃ敵わねぇな」


 クレアからの揺るぎなき信頼。それはこのサイサクス大陸に生きる全ての冒険者達にとって、何よりも得難い価値ある声援である。

 その値千金の微笑みを目の当たりにしたレオニスは、小さく微笑んだ。





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 久しぶりのクレア嬢ご登場です。フェネセンのお見送り以来だから60話ぶり?でもって新章入ってからは初ですね。

 クレア嬢のレオニスに対する評価はいつもアレですが、それでも『金剛級冒険者としてのレオニス』には絶大なる信頼を寄せていることが今回の話でよく分かります。


 というか、冒険者ギルドディーノ村出張所に所長って本当にいるんですかね?何ならもうクレア嬢が兼任しちゃってもいいような気がする……

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