第162話 別れの朝

「んんんん……フェネぴょんドラゴン、待ってぇぇぇぇ……」

「むにゃむにゃ……吾輩もう食べれないいいい……」


 夜も遅くなり、部屋の隅のロングソファで寝てしまったライト。

 ドラゴンの着ぐるみ【クー太ちゃんMarkⅡ】を着たフェネセンと追いかけっこしている夢でも見ているのだろうか。

 その横に付き添い、ライトの愛らしい寝顔をニコニコ見つめながらほっぺたをちょん、ちょん、と突いていたフェネセン。

 そのフェネセンも、いつの間にかロングソファに凭れかかりながら眠ってしまっている。


 以前フェネセンは、基本夢を見ないと言っていた。だが、こうして寝言らしきものを洩らしているところを見ると、人生初の満腹という感覚を今日知ったことで何がしかの新境地を得たのかもしれない。

 フェネセンも、夢の中でまたごちそうを山ほど食べているのだろうか。

 予知夢ではないただの夢、意味を含まない夢。それはきっと、フェネセンが望んでも得られなかったもののひとつだったに違いない。


 そんな二人の、寝言とともにすやすやと眠る姿を他の大人達は周りを取り囲み、寝顔を覗き込みながら微笑みとともに見つめている。


「ふふふ、二人とも愛らしい寝顔ですこと」

「よっぽど楽しかったのねぇ」

「あれだけの量を食べれば眠くもなるでしょう」


 二人を起こさないように、小さな声で話す招待客達。


「皆、今日はフェネセンのために来てくれて本当にありがとう」


 レオニスがアイギス三姉妹やクレア、グライフに礼を言う。


「いいえ、こちらこそ今日はとても楽しかったわ」

「お料理も飲み物も全て美味しかったし」

「フェネセンさんに渡したいものもちゃんと渡せましたしね」

「レオニス、今日この場に招待してくれたこと、感謝します」

「レオちゃん、本当にありがとう。そして、お疲れさま」


 皆口々にレオニスへの礼を述べる。


「じゃ、私達は帰るわね」

「皆さんお疲れさまでしたー」

「またそのうち飲みにでも行きましょう」

「ああ、楽しみにしてるよ」


 一人、また一人とレオニス邸を去っていく。

 招待客全員の帰りを見送ったレオニスとラウルとマキシは、再び大ホールに戻る。


「今日は二人ともこっちで寝かせてやるか」

「だな。じゃあ俺はライトを連れていくからラウル、お前はフェネセンを連れてってくれ」

「了解ー」


 レオニスとラウルは、眠ってしまったライトとフェネセンを抱きかかえて二階の寝室に向かう。

 大きなベッドにライトとフェネセンをそっと下ろして、布団をかけてやると二人とももぞもぞと寝返りを打つ。


「そういやライトは今日はカタポレンの家の方で制服着替えたんだよな、後でこっちに運んでおくか」

「明日普通に学園あるもんな」

「とりあえず、ラウルも今日はもう休んでいいぞ。マキシ君もな」

「おう、ご主人様もお疲れさん。大ホールや厨房の後片付けは明日にさせてもらうわ」


 ラウルが両腕を上げて背伸びをする。

 ラウルの横にいたマキシは、レオニスに向かってペコリと頭を下げた。


「レオニスさん、今日は僕も参加させていただいてありがとうございました」

「いや何、こっちこそすまなかったな。一応君の全快祝いも兼ねてたんだが……何だかんだで皆フェネセンばかり構ってしまった」

「いえ、当然のことです。フェネセンさんはこれからとても厳しく大変な道のりの旅に出るんですから」


 マキシがそう言うと、三人はすぐ横のベッドで寝ているフェネセンの顔を見る。


「……そうだな。だが、こいつならきっとやり遂げるさ」

「ああ。何てったって稀代の天才大魔導師だからな」

「……うにゅう……吾輩はドラゴンであるぅぅぅぅ……名前はもうあるるるるぅ……」


 三人が見つめる最中、フェネセンがまた寝言を呟く。

 今度はドラゴンの着ぐるみ【クー太ちゃんMarkⅡ】を着ながら文学に浸る夢でも見ているのだろうか。

 フェネセンの予知夢のことを知るレオニスとラウルは、その寝顔を見ながら切に願う。フェネセンのこれから見る夢が、辛く苦しく逃げることも許されない予知夢ばかりでなく、何の意味も持たないただの楽しい夢も増えていってくれることを―――


 二人の眠りを邪魔せぬように、三人はそっと寝室を後にした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ラグナロッツァの街はまだ暗く、東の空がほんの少しだけ白み始めた頃。

 ライトがすやすやと寝ているベッドの横には、一人静かに立つフェネセンがいた。

 大きな魔杖を持つ右手の手首には銀碧狼の毛糸の御守の腕輪をし、胸元には八咫烏の羽根のラペルピンが着けられている。


「ライトきゅん。吾輩、もう行くね」

「短い間だったけど、とっても楽しかったよ。ありがとう」

「行く先々でお土産手に入れてくるからね、楽しみに待っててね」

「じゃあね。……またね」


 名残惜しそうにライトの頭を撫でていた手を止め、そっと手を離す。

 出立しようとベッドに背を向けると、寝室の入り口の扉に背を凭れながら立つレオニスがいた。


「……レオぽん」

「いつも寝坊助のお前にしちゃ、えらく早起きじゃないか」

「そ、そうかな?」

「もう行くんだろ?」

「……うん」


 誰にも会わずに一人出ていこうとしたフェネセンだったが、レオニスの目は誤魔化せなかったようだ。


「早く帰ってこいよ」

「……うん」

「土産、楽しみにしてるからな」

「……うん」

「絶対に無理はするなよ」

「……うん」


 ぽつり、ぽつり、レオニスが語りかける短い言葉に、フェネセンはただただ静かに頷く。


「……じゃあな、気をつけて行ってきな」

「…………いってくるね!」


 それまでずっと俯いていたフェネセンは、顔を上げて前を向く。そして輝かんばかりの笑顔と元気な声で、レオニスの見送りの言葉に応える。

 レオニスに向けて大きく手を振ったかと思うと、魔杖を高く掲げフッ、と姿を消した。きっとどこか遠くの街の転移門にでも直接転移したのだろう。


 だんだん明るくなっていく窓の外を眺めながら、レオニスはただただフェネセンの旅の無事を静かに願っていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「そっか……フェネぴょん、もう行っちゃったんだね……」

「ああ……」


 いつもの時間に目が覚めたライト。

 ベッドの横には、レオニスが腰掛けている。

 レオニスが何を言わずとも、ライトには分かっていた。

 フェネセンはもう、このラグナロッツァにはいないのだ、ということを。


 レオニスのアイテムバッグ開発研究の邪魔をしないように、このラグナロッツァの屋敷で寝泊まりするようになってから結構な日数が経つ。

 思えばフェネセンが来る少し前、マキシを保護した直後からこの生活は始まった。

 だが、この生活ももう終わりを迎える。空間魔法陣の付与魔法の完成とともに、フェネセンはその成果であるアイテムバッグを携えて旅立ったのだから。


 住み慣れたカタポレンの森の家での暮らしに戻ることは、本来ならライトにとっては嬉しいことだ。

 しかし、それは同時にフェネセンとの別れでもあった。


「寂しくなるね……」

「そうだな……」

「だけど……きっと帰ってくるよね」

「ああ、必ず帰ってくるさ」

「皆と約束したもんね」

「フェネセンは、一度した約束は絶対に忘れない。そういうやつだ」

「……うん!」


 フェネセンの、いつ終わるとも知れぬ旅。約束が果たされる保証などどこにもない。

 だが、あの時確かにフェネセンは言ったのだ。

「大魔導師フェネセンの名にかけて、ライトとの約束を決して破らないと誓う」

と。


 そして、二人は知っている。フェネセンは、できない約束など決してしないということを。

 守れもしない適当な口約束などすれば、それは大魔導師である彼の名を汚すことに他ならない。

 フェネセンが大魔導師として誓い、その名において交わした約束ならば、何があろうともそれは必ずや守られるのだ。


 フェネぴょんが帰ってきたら、たくさん話を聞こう。氷の洞窟や天空島だけでなく、過去世でスマホの画面越しにこの世界を見ていた自分ですら知らない場所がいっぱいあるに違いない。

 そしていつか自分も、フェネセンやレオニスのように自力でどこへでも行けるようになりたい。

 そのためには、もっともっと頑張って修行して、もっともっと強くならなくちゃ―――


 フェネセンとのしばしの別れを経て、ライトは決意も新たに己を鍛えることを心に誓った。





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 あれだけ本編を賑わしてくれたフェネセン、とうとう旅立ちの日が来てしまいました。

 初っ端からとんでもなく濃ゆくて勝手に縦横無尽に動き回る子で、生みの親たる作者自身でさえ

「これ、どうすべ……」

と若干不安になったものでしたが。今ではそれも良き思い出です。


 もちろんこれが今生の別れではないし、作者自身何事もなく書き続けていくことができればいずれまた再登場する日も来ますが、それでも一際賑やかな子が日常に出てこなくなるというだけで寂しくなるもんです。

 フェネぴょん、また君が活躍する日が来るように、作者も頑張って書き綴り続けていくからね!

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