魔女に開かれた扉

第163話 ライトのおねだり

 フェネセンが旅立った日の翌日。

 ライトは久しぶりに土日の週末をカタポレンの森の家で過ごしていた。

 朝起きて、森の中を軽く一時間程度走る。この日は久しぶりにレオニスもいっしょに森林の中を駆け巡る。

 それまでずっと空間魔法陣を付与する研究開発に没頭していたため、かなり身体が鈍っているようだ。

 とはいえ、研究没頭中も最低限の警邏は行っていたし、そもそもレオニスの言う身体の鈍りなどあってないようなもので、一ヶ月やそこらの研究篭り程度でその超人的な身体能力が急激に失われることなどまずないのだが。


 ライトも森の中で走ることにだいぶ慣れてきたようだ。

 修行を始めた最初の頃こそ、派手に転んで大怪我したりしないようにおっかなびっくりな動きで、走るというよりも早歩きに近かった。だが今では、木の根やちょっとした岩などもヒョイヒョイと軽やかに飛び越えて、軽快に動き回っている。


 朝の森林ランニングを終えたら、風呂で軽く汗を流しレオニスとともに朝食を摂る。

 思えば二人で朝食を食べるのも、かなり久しぶりのことだ。

 レオニスが焼いたトーストを頬張るライト。

 テーブルの向かいには、優雅にゆったりと珈琲を飲むレオニス。


 フェネセンが来る以前の、いつもの朝の風景に戻った二人。

 そんな日常のひと時の中、ライトがふとレオニスに話しかける。


「何か、また寂しくなっちゃったね……」

「まぁな……騒がしいフェネセンがいなきゃ静かなもんだ」

「アルがお母さんのシーナさんとこに帰った時も、やっぱり寂しかったなぁ……」


 いつも元気なライトが、どことなく気落ちしているように見える。

 しばらくは仕方がない、フェネセンも旅立ったばかりだしな……とレオニスが考えていた時、ライトが俯き加減のままトーストをもくもくと食べつつレオニスに向かって話しかける。


「ねぇ、レオ兄ちゃん」

「ん?何だ?」

「早くお嫁さんもらってよ」

「ブフーーーーーッッッ」


 それまでゆったりと珈琲を飲んでいたレオニス、ライトの突然の爆撃級おねだり?に盛大に珈琲を噴き出した。

 朝の優雅な珈琲タイムが見事に台無しである。


「ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ……ちょ、おま、いきなり何を言い出すんだ」

「だって……アルの時もそうだったけど、今まで近くにいた存在がいなくなっちゃうのってすごく寂しいんだもん……」

「だからってお前、俺に嫁をもらえなんて突然言われてもだな……」

「そう?そんなことないと思うよ?レオ兄ちゃんだって今25歳でしょ、十分に結婚適齢期じゃん」

「結婚適齢期……お前、一体どこでそんな小難しい言葉覚えてくんの?」


 テーブルその他に盛大に噴き散らかした珈琲を布巾で拭きながら、レオニスは半ば呆れたようにライトに問いかける。

 確かに『結婚適齢期』などという言葉をさらっと宣う8歳児など、そうはいないだろう。

 だが、ライトはレオニスから投げかけられる疑問の言葉に怯むことなどない。むしろ積極的にスルーしているかのようだ。

 そう、ライトもレオニスに育てられたおかげか、いつしかの神の神気を纏うようになったのだ。キニシナイ!


「あーでももしレオ兄ちゃんにお嫁さんきたら、ぼくはラグナロッツァの家に住むべきかなぁ」

「新婚さんの邪魔をするほどぼくも野暮じゃないし」

「レオ兄ちゃんに子供ができたら、ぼくがお世話係したいけど」

「でも、そこら辺もお嫁さんの考え次第だよねぇ」


 ライトは特にレオニスに聞かせたい訳でもなく、思うがままにただ独り言を呟いている。傍から見ればそれは、ただ単に思考がダダ漏れ状態なだけなのだが。


「……ぃゃ、あのね?ライト君?」

「俺、結婚どころか今お付き合いしている人すらいないからね?」

「嫁もらうとか子供できたら云々以前の問題なのよ、分かる?」


 あまりにも真剣に考え込んでいるライトに、レオニスがおそるおそる声をかけるもその声は届かない。


「レオ兄ちゃんのお嫁さんが来たら、ぼく絶対に仲良くなりたいな!」

「しかし、そしたら呼び方はどうすればいいんだろ?やっぱりそこはお義姉さんと呼ぶべき?」

「レオ兄ちゃんを兄ちゃんて呼んでるんだから、その奥さんはお義姉さんて呼んでおけば間違いはないよね!」


 ライトの明るい家族計画妄想は止まらない。


「この、時折人の話を全く聞かんところは一体誰に似たんだ?」

「ん……そういやグランの兄貴も、たまぁーに人の話聞かんで大暴走することはあったが……」

「そんな時は大抵レミ姉が諌めてたもんなぁ……」

「やっぱライトはグランの兄貴に似たんか……」


 頬を引き攣らせながらライトを眺めるレオニス。

 そのレオニスの視線にようやく気づいたのか、ライトがレオニスの方を向いた。


「レオ兄ちゃん!お嫁さん候補いたら、ぼくにも早めに紹介してね!レオ兄ちゃんのお嫁さんとは絶対に仲良くなりたいから!」

「ぃゃ、だから俺、今お付き合いしてる人いないんだって……」

「やだなぁ、レオ兄ちゃんてば何言ってんの!レオ兄ちゃんならいくらでもモテるでしょ?」

「ぃゃ、俺、お前や皆が思ってるほどそんなにモテn」

「レオ兄ちゃん、そんなだとまたクレアさんに「何を寝言吐いてるんです?」とか言われちゃうよ?ていうか、今ぼくが言っちゃうよ?寝言ってのはね、寝てる時に言うもので起きてる時には言わないものなんだよ?」

「いかん、あいつの口癖がライトにまで伝染しかけている……」


 ワクテカ顔で未来の義姉を迎え入れる気満々のライトに、レオニスは抗えずただただ項垂れる。

 ライトの背後に只今絶賛降臨中のの神は、どうやらラベンダー色のオーラをも纏っているらしい。

 その組み合わせの何たる恐ろしさよ。最凶ともいえるその神気の威力は、全人類をも平伏させるであろう。多分。


「……そりゃ俺だって、いつかは結婚したいとは思ってるけどさぁ」

「結婚したいと思えるような相手なんて、そう簡単には見つかんねぇし」

「見つかったとして、俺が好きでも相手も俺を好いてくれるかどうかなんて分かんねぇし」

「つーか、運命の人がそんなホイホイと見つかるなら誰も苦労しねぇっての……」


 何やらレオニスが口を尖らせながら、ブチブチと小声で愚痴を溢している。

 レオニスが結婚相手に求める条件がどういうものなのかは分からないが、それでも一応結婚する意思やしたいと思う気持ちはあるらしい。


 レオニスのお嫁さんになる人と、早く会って仲良くしたい!と父親譲りの暴走機関車化したライトと、その横で項垂れながら愚痴を溢すレオニス。

 カタポレンの森の家に広がる爽やかな朝の空気のもと、両者の空気はくっきりと明暗の分かれた光景になっていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ライトとレオニス、午後はそれぞれ別行動を取る。

 レオニスはいつものカタポレンの森の警邏と魔石回収に出かけ、ライトはディーノ村に向かう。

 ライトがディーノ村に向かう理由として、レオニスには『父さんと母さんが住んでいた家を綺麗に掃除しておきたい』という体で伝えてある。


 もちろんそれは本当のことであり、ディーノ村に出向く際は必ず父母の家に立ち寄り整理整頓したり草むしりなどもしている。

 だが、ライトがディーノ村に行く真の理由は他のところにあった。

 それはいわゆる『旧教神殿跡地』と呼ばれる場所。ライトにとっては『転職神殿』である。


 ライトはかつてこの転職神殿を訪れ、この世界に生まれてから積年の願いであった『職業』を手に入れた。

 その職業とは、仕事とか働く等の国語辞典に載っているような単語的な意味合いのものではない。ライトが前世でプレイしていたオンラインゲーム『ブレイブクライムオンライン』における職業システムのことを指す。

 そしてこのディーノ村にある転職神殿は、職業システムを運用する上で欠かすことのできない、最も重要な施設である。

 職業の変更やクラスアップ等、職業に関する手続きは全てこの転職神殿で行わなければならないのだ。


 初めてこの転職神殿を訪れた時、ライトは数ある職業の中から【斥候】を選んだ。他のゲームでいえば『シーフ』や『盗賊』に該当する。

 素早さに秀でているので、命中率や回避率も高くパラメータとしての運もそこそこ良い。

 その分、物理攻撃や魔法攻撃といった力技は弱いが、魔物や他者からの攻撃が当たりにくいというのは生存率を高めるのに最も重要な要素だ。そう、攻撃など当たらなければどうということはないのである。


 職業システムの職業は全六種類、それぞれ一次職から四次職まで存在する。

 ライトが選んだ【斥候】は一次職であり、一次職を極めれば二次職が二種類提示されるようになる。【斥候】で言えば、【狩猟者】と【小悪党】が出てくる。

【狩猟者】と【小悪党】の違いは何かといえば、前者は光系、後者は闇系の職業だ。


 その二次職を極めれば三次職がさらに二種類提示され、選択可能な職業が枝分かれするように増えながら解放される。RPGによくある、職業やジョブの定番の流れである。

 そしてより上級の職業を解放するには、下位職業の【職業習熟度】という職業専用の経験値を貯めて100%まで到達することが必須条件だ。


 ライトは既に一番最初の【斥候】という一次職を極め、二次職の闇系ルート【小悪党】に進み、職業習熟度がマックスに到達している。

 この日ライトが転職神殿を訪れる目的は唯一つ『【斥候】闇系三次職【忍者】にクラスアップすること』であった。



『【小悪党】をマスターできたからには、いよいよ次は【忍者】だ』

『【忍者】の三番目のスキル『手裏剣』さえ取れれば、とりあえず物理攻撃で困ることはなくなる』

『『手裏剣』は物理必中攻撃だから、放てば必ず当たるからな』

『さて、【忍者】をマスターしたら、次はどうするか……四次職は後回しにしてバフ類、自分の身体強化の方を先に取るか』



 先に実家に立ち寄り、掃除を先に軽く済ませておく。それから実家の裏にある山に入り、転職神殿に向かいながらこの先自分が選択するべき道を考える。

 斥候闇系三次職の【忍者】を極めれば、その次に控える四次職の扉も開かれる。

 当然四次職で得られるスキルは、一次職や二次職に存在する同系統のスキルよりもはるかに強力無比だ。


 だが、四次職のスキルの習得よりもバフデバフ類、いわゆる身体強化系や敵弱体化系のスキルを先に習得するのがブレイブクライムオンラインでのセオリーだった。

 攻撃スキルも大事だが、討伐や戦闘場面において自身の能力強化や防御、敵の弱体化も疎かにはできないのだ。


 そんなことを考えながら山道を登っていくと、転職神殿のある開けた場所が見えてきた。もう少し進めば、お目当ての転職神殿に到着する。

 ここに来るのももう三回目だな、初回はレオ兄の小脇に抱えられながらの空中闊歩だったな……などと思い出に浸りながら、ライトは転職神殿に着いた。


「…………ん?」


 転職神殿の中央部の祭壇に、何やら人が立っているのが見える。

 こんな場所に先客がいることに、ライトは驚きを隠せない。

 何しろここはライトにとっては転職神殿という最重要施設だが、この世界の人間の大多数はそのことを知らない。

 かつて存在した旧教『アヴェルブ教』なる宗教の神殿で、跡形もなく破壊され尽くした跡地。ここはそういう認識になっているのだ。


 俺以外にこの場所を訪れる人がいるとは……一体何者だ?

 ライトは警戒しながらしばらく神殿の様子を窺うことにした。





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 職業の枝分かれ進化についての補足。

 光系と闇系があって進むルートが異なるといっても、それは枝分かれ進化を表すための単なる名称かつ形式的なものであり、能力パラメータの補正値差は生じても人格や行動にまで影響を及ぼすようなものではありません。

 光系だから勇者や英雄など正義の味方になったり、闇系だから魔王や邪神などの悪の権化になる、といったことは一切ないです。というか、職業に就く度にいちいち人格まで変化していたら大変なことになっちゃいますからね。

 あくまでも形式的な名称ということで。

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