最後に願ふは、君の幸福。
愛乃桜
最後に願ふは、君の幸福。
いつだって私は、人を傷つけることしかできない。それなら最初から境界線を作って、内側に人を招かなければいいと、感情なんか持たなければいいと決意した日のことは、もう思い出せない。忘れたくないと願うほど私の記憶にそのことは残らなくて、最近では、ほんの数分前のことでさえ、記憶から消えていることが多いのだから。
「三年B組、水野舞」
ただただ聞き流していた卒業式。証書授与に私の順番が回ってきて、担任から名前を呼ばれる。
ただ機械のように、証書を受け取って礼をし、席に戻る。泣きそうになっている人は周りに沢山いる。話したこともない人ばかり。五百人もの同学年の生徒たちのほとんどを、私は知ることもしないで、この学園から羽ばたいていく。ほとんどが内部進学で大学に行く中、私は外部の大学に進むのだ。
───あぁ、やっとこの鳥籠に縛られずに済む。
この学園には、いい記憶もあるけれど、それを上回るだけの辛い記憶があるのだ。期待してはいけないことを、私は期待してしまった。
これ以上、人を傷つけないためにも、今後は今まで以上に境界線をハッキリさせて、警戒をしなければならない。もう二度と、期待なんかしないために。
校長の挨拶から来賓の挨拶へと変わり、まだ終わりの見えない卒業式の中、私は全ての始まりの日を、振り返っていた。
*
──四月。
高等部、大学部、大学院の三つで編成される蒼崎学園。私はその高等部に入学した。
家から少し遠いけれど徒歩で通える範囲内では、それなりに名のある学園。本当は電車で通う距離の高校に行きたかったけれど、私の朝の行動を考えて、それは断念した。この学園でも、私自身のやりたいことはできるから、無理に遠くの学校を選ぶ必要は無いのだと、高校入試が迫る冬休みに感じたのだ。やりたいことができれば、私はそれでよかった。
特に何か才能があるわけでもなく、平々凡々な私は、高校に入学した当初から、できるだけ周りと距離をとるように心掛けた。何かあってからでは遅いから。休み時間は、スマホか読書で一人を貫くようにした。部活でも、必要以上に人に近づきすぎないように、何か変なことを言わないように、気をつけていた。
そんな日々を一ヶ月ほど過ごして、最初の中間考査が終わり、私は生徒会に所属するようになって、今まで距離を置いていた他人との関わりが増えるようになった。
境界線を理由に、距離を取り続ければ生徒会の業務内ですれ違いや大きなミスを起こしかねない。だからこそ、生徒会を引退するまでは、少しだけ境界線に対する警戒を緩めていた。それが後に、大きな間違いだったと知るなんて、この時の私は気づいてもいなかった。
一学期の期末考査も終わると、二学期初めに行われる文化祭に向けての準備で、生徒会も部活も忙しくなる。生徒会の準備、部活の準備を優先させていれば、自然とクラスの準備に行く時間が無くなり、当然クラス内でも他人と距離ができる。部活にもなかなか顔を出せなくなれば、部活内でも浮いた存在になる。
私は、それでもいいと思っていた。だけど、いざ一人になれば退屈で、ペアを組んで行うことでも余るようになって、生活に支障が出てくるようになった。
「……なーんて、別にそんなことは無かったけどさ」
実際、クラスの中でも部活の中でも、どこにいても自分が浮いた存在であったことは事実だ。グループワークやペアワークなんて、ほとんど存在を消してただ話をノートにまとめてメモすることに努めてはいたけど、幸いなのか、席が近い人と組んでと先生が言うので相当なことがなければ余るなんてことは無かったし、それで生活に支障が出たことも無い。
ただ全ての歯車が狂い出したとするならば、一年生の秋、文化祭後の生徒会選挙だろう。
でも、それをきっかけに学ぶことは、たくさんあった。今まで知らなかったことも、今まで気にしなかったことも、そこから全てを学んだ。
あるゲームのキャラクターみたいに、他人との間に境界線を設けておきながら、誰に対しても親切で気遣いが上手い、なんて器用なことは私にはありえない。不器用で、色々なことを同時に行うことができないからこそ、私は境界線を設けることだけをした。
そうして過ごすこと一年。私は二年になり、それも残すところ半分になった二学期、私は境界線に関する警戒が緩んでいたのかもしれない。
自覚したのは、ただの偶然だった。でも、偶然だったとしても、本来私が気づいてはいけない、持ってはいけない感情だと、すぐに消そうとした。それでも、消さなかったのは、私が未熟だったから、ただそれだけの話だ。誰か一人に向ける感情なんて、私の中に無いと、油断していたこともあるし、それをいざとなれば消せるなんて思っていた私の未熟さ。
二学期が終わった冬休み、決して伝えることはしないと決めていた片想いは、相手からの話で呆気なく散ることになった。
──やっぱり、最初から気づかなければ、感情なんてものを思い出さなければ良かったのかもしれない。
相手には付き合ってる相手がいたらしい。その話をされて初めて気づいた私は、彼が幸せならそれでいい、と諦めようとした。実際は心のどこかに残ったままだったけれど、諦めたとそれを見ぬ振りをした。
そうして年度を終えて、三年生に進級した私は、今までの積み重ねがない分全てに追われる生活を送るようになった。そんな生活をしていたから、自分では、気づけなかった。三年間、ずっと相手を無自覚に傷つけていたなんて。
無事、十二月に外部の第一志望先の大学が決まった私は、とりあえず一息つくことができた。卒業試験が終わって、単位が取れないと卒業することはできないけれど、とりあえず一段落したことにホッとした。
そうしてが明けて一月の半ば。ずっと好きだった相手──久野くんに、話すことを拒否されて、嫌われて、初めてずっと傷つけ続けてきたことに気づいた。
その子は優しい人だから、決して何が原因かなんて私には言わなかった。だけど、私に原因があって、全て悪いのは私だと言うのは明らかだった。
正直、嫌われたとき、私から嫌いになれないでズルズル過ごしてきたこともあってか、『嫌いになってくれてありがとう』と思った。決して声には出さなかったけれど、本気でそう思った。
家に帰ってからたくさん泣いて、忘れちゃいけない、覚えてないといけない、そう思うのに感情や精神に揺さぶりが大きかったことほど直ぐに忘れてしまう自分が悔しかった。自分の中には残らない、思い出すこともできない記憶の中で同じことを私はきっと何度も繰り返している。
忘れないで同じ過ちを侵さない、そう思ってても早くても一時間後にはなんでそう思ったのかなんて頭の中には欠片も無くて。ただ、漠然と、私は人と関わっちゃいけない、そういう思いだけが残った。
*
卒業式も終わりに差し掛かり、私の振り返りもちょうど最近まできたところで、何も感じない卒業式が終わることに安堵した。
あれ以降、ちょうど学校に登校することが減ったおかげで、自分の中で全てに区切りを、全ての決めごとを作ることができた。
──もうこの先は極力人と関わらない。そして、感情も全て捨てていく。全ては同じ過ち。もう二度と繰り返さないために。
私が好きになった久野くんは、感情を捨てて他人との境界線を設けて、決して内側に行かないように、閉鎖的な世界から出ないようにしていた私に、感情を戻してくれて、外へと連れ出してくれた。
でもその結果私は彼を傷つけ、苦しめた。だから私にはやはり感情なんていらないし、境界線の向こうで外の人を見ているだけでいい。
私は、幸せになってはいけない。感情を持ってはいけない。だから卒業する今日、思い出も感情も、全てこの学園に置いていく。何もかも気づくのが遅かったかもしれないけれど、それは全てこの学園で得たものだから。
卒業式が終わって、クラスの子や部活の子と写真を撮ったり思い出話を少しばかりして、私は昇降口を出た。
門を潜れば、もう私の中には感情も思い出も無くなる。できることなら、久野くんに謝りたかった。だけど、彼は『話したくない』とあの件の時にハッキリと私に告げている。ならば私は声を掛けることはできない。
門を潜る前に目を閉じて、三年間の生活を改めて振り返る。辛いこともあったけど、この学園に来てよかったとは思う。学ぶことも多かったし、やりたかったことは全て実現することができた。
──だから、もう悔いはない。
私は目を開き、門から一歩出てクルリと学園を振り返った。そして、口を開いて誰にも聞こえないくらい小さな声で、呟いた。
「たくさん傷つけて、たくさん嫌な思いをさせて、好きになってしまってごめんなさい。それから、感情を私にくれて、私のことを嫌いになってくれてありがとう。久野くんの幸せを、いつまでも祈っています」
頬を伝った一滴の涙を拭い、私は学園に背を向けて歩き出した。もう、思うことは何も無いとでも言うように。
ずっとずっと大好きだった人を、傷つけて嫌いにさせて、失った。
それは、他の誰がしたことでもなくて、私自身が犯した過ちだった。もう二度と会えなくても、話せなくても、それでも好きでいたいと願った。
決して私が想うことは、好きでいることはゆるされないけれど、久野くんの幸せを願うくらいは許されるだろうか。
許されなくてもいい、だから、ずっと彼の幸せを願わせて欲しい。それが、私にできる唯一の贖罪だから。できるなら、何を犠牲にしてもいいと思えるから。
──だから……。私が最後に願うのは、ずっと好きだった貴方の幸せだけです。
最後に願ふは、君の幸福。 愛乃桜 @sagirimasana
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