第97話 幸樹、秘密の実験を暴く
倒れたって、いったいどうして? どこかお悪かったんですか? そう言いながら泣き伏す依里子の頭に、貴禰の手が触れる。そのまま宥めるように、軽くポンポンと叩き、だいじょうぶよ、と告げようとした刹那。貴禰の頭に、ある考えが浮かんだ。これって、関係修復の好機じゃない?
「ごめんなさいね、心配かけちゃったのね」
弱々しい声で言い、息を吐く。
「私もね、歳も歳だし、いつ何があってもおかしくないわ。だからねえ、このところ何となくぎくしゃくした感じだったのは、とてもつらかったの」
「はい、ええ、すみません、ええ」
「いいえ、あなたが謝ることじゃないわ。タイミングが悪かったのね。だから、こうしてまたお話ができて、私とても嬉しいの」
「はい、ええ、私もです」
こくこく頷いて言う依里子に、貴禰はうっすらと微笑んで見せた。心の中で、弱々しく儚く…と呟きながら。
「ああ、何だか目がかすんできた…」
「貴禰さん!」
「ねえ、私のお願い、聞いてくださる?」
「はい、もちろんです!」
あまりに真剣な応えに、笑いと良心の呵責が同時にこみ上げるが、ぐっと抑えて、静かな声で語りかける。
「お庭をね、手は加えないで、自然のままの状態で残してほしいの。更地にしてアパート建てたりしないで。お願いできる?」
そう言うと、あの子は、うっと言葉を詰まらせた。まったく、正直者ね。
「家族との思い出がたくさん詰まっているの。ああ、それが失われると思うだけで、意識が…」
貴禰が少しだけ起こした頭をふらりと振ると、依里子は慌てて手を伸ばした。
「はい、わかりました! 仰せのとおりにします、お庭には手を付けません! だから、どうかしっかり!」
「本当に?」
「はい、必ず! ですから…」
「しかと聞いたわ。約束ですからね」
***
倒れたと聞いてマジで血の気が引いて駆け付けたら、仲直り(でいいのかしら?)を持ち掛けられた。それは願ったりだったけれど、まるで最後のお願いと言わんばかりの口ぶりで例の庭の話までされて、言葉に詰まった。だって、この先も一切手を付けないで、なんて…。でも、結局、今にも意識が遠のきそうな様子に負けて了承した。そしたら、どうなったと思う!? にやりと笑ったのよ、ばあさんてば!!
!!? 久々に使ったわ、この呼称…。
***
ぐぅっと言葉を詰まらせる依里子に、貴禰はにっこりと微笑んで、
「心配してくれてありがとう、でも、たいしたことないの」
と告げた。
「みんなね、大げさなのよ。ちょっと滑って転んで、頭を打っただけなのに」
と言った。
「あ、頭打った? だいじょうぶなんですか? わ! すごいたんこぶ!」
「まあ、見た目はびっくりでしょうけど、だから検査して、今は、異常なしって結果を待っているところ」
「異常無しって結果って、何を勝手に決めつけてるんですか! そもそも、滑ったって、どうしてまた?」
「いや、それは、ちょっと…」
すっかりいつものペースを取り戻した依里子の至極もっともな問いに、貴禰は途端に歯切れが悪くなり、視線を逸らして口ごもる。と、そのとき再び廊下から忙しない足音が響き、幸樹が顔を出した。
「あら松吉さん! わざわざありがとう」
話を逸らす絶好の機会を得た、とばかりに、貴禰が青年に明るく呼びかける。声をかけられた幸樹は、上がった息を整えながら、よかった、元気そうですね、と安堵の表情で言い、次いで依里子を指さしながら、
「いやもう、速い速い。びっくりした、ぜんっぜん追いつけなかった」
と言った。
「あらそう。火事場のなんとかね」
おかしそうに言う貴禰に、依里子は、笑いごとじゃありませんよ! もう!! と、涙(と鼻水、そして汗)でぐしゃぐしゃのままの顔で抗議する。
「いや、本当にびっくりです。でも、びっくりと言えば、貴禰さんですよ」
「え?」
「だってそうでしょう? 俺、バナナの皮が滑るかどうか実験するために、わざわざバナナの皮を踏んで滑って転んで頭打った人、初めて見ましたよ」
「え? バナナの、皮? わざと滑った?」
「あ! しっ!」
貴禰が幸樹を制するより速く、訊き咎めた依里子が貴禰に詰め寄った。
「は? どういうことです? 倒れられたのではなく、わざと転んだ?」
依里子の問い詰めるような口調に、貴禰の目が泳ぎ出す。そんな2人を見ながら、幸樹が、そう、あんた探しているときに、本部から見守りカメラの映像が参考資料として届いて、と、モバイルを取り出した。
***
送られてきた動画に映っていたのは、バナナの皮をキッチンの床にそっと置いて、少し離れてから早足に歩いてきてそれを踏む貴禰の姿だった。最初は、あまり滑らなかった。次に、もう一度トライしたときに思い切り体が、というか、皮を踏んだ足が前方に進み、バランスを保とうとっさに体を捻ってテーブルに頭を強打するシーン。
え、なにこれ? マジですか??
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