第95話 貴禰、閑居し騒動を成す

 話す機会を窺いながらさらに一週間が経過して、貴禰の手持ち無沙汰はいよよますます激しくなった。程なく、レクチャーの練習にも飽きてきた。


 それにつれ、ネット動画をあれこれ長時間見るのが習慣化してきている。よくないとは思うのだけど、依里子に教えられて以来すっかり嵌ってしまった感がある。こちらも、相手からだいぶ影響を受けているようだ。

 最近のお気に入りは、一般的にはくだらないと思われる内容を大真面目に分析検証した研究に与えられる賞に関するもの。歴代の研究発表を、延々と見ている。

「へえ、これ面白いわね?」

 そう口にしても、誰も応えない。ただクマのすけが、じっと見ているだけ。


 それは、多くの人がそうなのだろうというイメージを抱いてはいるが立証はされてこなかったことを、科学的な見地から明らかにする実験の成果発表だった。

 言われてみれば、そんな風に思い込んでいたけれど。それが本当かどうかは、この研究まで不明なままだったのね。それにしても―。

「でも、この実験結果は、本当に正しいのかしら? …やってみればわかるわよね」

 そう、実験精神は大切だ。確か、はこの間届いた食材の中にあったはず。キッチンに行き、試してみることにした。


        ***


 ビーーッ!!


 けたたましいアラーム音に、見守りサービス員として配置についていた職員たちは即座に反応した。サービス対象者が体に付けたバイタルデバイスが、異常を検知した音だ。モニタで対象者の位置情報、デバイスの状態を確認し、音声指示を出した。


「久住貴禰さんのバイタルデバイスが、瞬時に大きく動いた。転倒と思われる。現場はご自宅のキッチン。救急搬送を手配をする、担当者は至急現場に急行せよ!

 繰り返す…」


 情報はすぐに音声で関係者に伝わり、同時に文字変換されメールでも共有された。


        ***


 あ、っと思う間もなくよろけて倒れ、テーブルの角で額を打って目から星が出た。漫画みたいだわ、頭を打つと、本当にこんな風になるのねえ―。反動で仰向けに倒れながら、そんな呑気なことを考えていた。この歳になって初めて知ること、まだまだあるもんだ。床に大の字の状態になってそんなことを考えていたら、


「貴禰さん! だいじょうぶですか!!?」

 すごい勢いで、松吉青年が飛び込んできた。見守りサービス、優秀だわあ。


        ***


 配送作業のためちょうど屋敷の近くにいた幸樹は、久住家からという緊急通報連絡を受けてすぐに屋敷に直行、2分後には、緊急事態に応じて遠隔解錠された裏口から屋敷の中に飛び込んでいた。

 そこで見たのは、キッチンの床に大の字に横たわる貴禰の姿。慌てて走り寄ると、どうやら意識はあるらしく、あら、松吉さん、と弱々しい声音で呼びかけられた。

 最悪の事態ではなさそうだ、そう判断し、体から僅かに力が抜ける。だが、下手に動かしてはいけない、そう思いつつ様子を見ると、額には大きなたんこぶが。


「ど、どうしたんですか、これ? いったい何が??」

 転んだんですか? ふらつきが? そう尋ねると、貴禰は、ま、そんなところね、と呟くように言って起き上がろうとした。それを慌てて制止する。

「頭打ったんですよ。動かしちゃだめです! 救急搬送通報してありますから、それまでじっとしていてください」

「要らないわ、ちょっとよろけて転んで頭ぶつけただけだもの。断ってちょうだい」

「ダメです! 頭の打撲は、ちゃんと調べないと後が恐いんですよ。よろけた原因だって、きちんと調べないと。そういえば、あいつ、じゃない、依里子さんは、今日は留守ですか?」

 この日この時間は確か在宅のはず、と思いつつ聞くと、幸樹に制されつつも何とか起き上がろうともがいていた貴禰は体の力を抜いて再び床に転がった。

「ああ、そう。例の件、まだ長引いていて、なかなか帰ってこないのよね」

「…まだ続いてたんですね」

「…ええ、まあ」

 沈黙が落ちる。と、そのとき、


「こちらですか、搬送対象者は!?」

 どやどやと人がやって来る気配がした。

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