第85話 貴禰と依里子、アフタヌーンティーを堪能する

 そしていよいよ当日。いつもよりも念入りに、慎重に、着付けをする。まだあ? と階下から催促されるまで何度も帯を直して。そうしてようやく覚悟を決め、階下に降りた依里子の目に映ったのは、やはり和装の貴禰の姿。

「あら、素敵じゃないの」

「あ、ありがとうございます。貴禰さんも素敵です」

「…世辞はよろしくてよ」

 そう言って、にやりと笑う貴禰に、依里子は、いや、お世辞じゃないですって、と言い募った。はいはい、と軽くいなされたが、実際、本気で素敵と思ったのだ。貴禰の着物は、細かな縦縞のクリーム色で、そこにこげ茶色(?) の、唐草模様のような植物と葡萄があしらわれた帯を締めている。シャンと背筋を伸ばした姿は若々しくて、とてももうすぐ100歳とは思えない(と、あるとき口にしたら、まだ98よ! と怒られたけど)。


 やって来たタクシーに乗り込むと、ドキドキと高揚感が半端なかった。タクシーでホテルに乗り付ける。こんな贅沢をする日が来るなんて!!


「ここから2駅くらいだし、タクシーでちゃっちゃと行っちゃいましょ。駅まで歩いたりしないほうが、着崩れを気にしなくて済みますからね。最初から無理することはないわ。何と言っても、ご褒美なんだし」

「ありがとうございます」

 本当に、心からありがとうだわ―。すでに緊張で汗ばんできた額をハンカチでそっと押さえながら、依里子はそう呟いた。


        ***


 和服はどこでも注目の的だ。ロビーでも、お目当てのティールームの入り口でも、周囲の視線を感じた。依里子は、思いも新たに、ぐっと背筋を伸ばす。変な振舞いはできないわ。気を付けないと。

 そうして姿勢を正し、こちらへどうぞ、と席へと促されるのを、貴禰の後についてしゃなりしゃなりと、上品に、しとやかに(少なくともそのつもり!)歩いていく。ここで躓きでもしたら台無し! 慎重に、慎重に―。


 席に案内される間、遠くから聞こえてくる小さな子のはしゃぎ声にすら、依里子は神経を尖らせた。もしも、今、まだよちよち歩きと思しきあの声の主が近づいてきて涎まみれの手を伸ばして来たらどうしよう? 邪険に振り払うのは気が引けるけど、さりとて着物を汚されてはたいへんだ。こんなとき、どう振舞えばいいのかしら―?

 そんなことを考えながら歩くうちに、さ、こちらへ、と示されたのは、中庭がよく見える席。椅子を引いてもらったときには少し慌てたけど、貴禰に倣って軽く会釈し、背もたれで帯が潰れない距離を測り腰掛ける。ようやく落ち着いて、依里子は心底ほっとした気持ちになった。


「アフタヌーンティー、お紅茶を選べるわ。どれがいいかしら?」

「随分たくさんあるんですね」

 種類が多過ぎて、依里子は、訳がわからなくなる思いがした。だが、いつも屋敷で飲んでいるアールグレイという文字に目が留まり、では私はこれをいただきます、と指さした。次いで、隣のページに目を移し瞬息を呑む。そこには、まさにそのアフタヌーンティーが、写真付きで華々しく紹介されていた。

 写真から金額へ目を移し、その瞬間、依里子はぎょっとして目が離せなくなった。え? 何ですかこの金額は? 私の想定の2倍超!? しかもここにサービス料10%加算って!

っか!」

 衝撃で、心の声が思わず音声化。目でたしなめられ慌てて口を噤んだけど、これ、どうなの? 贅沢過ぎじゃない?

 落ち着かない気持ちになってちらちらと貴禰を見ると、

「堂々としていなさい。あなたが払うわけじゃないんだから」

 と言われ、依里子は口を尖らせた。

「それは、そうですけど。でも、これ、ご褒美にしてはちょっと」

「物足りない?」

「逆ですよ! こんなご褒美をいただくようなこと、私は、何も―」

「そうかしら? でも、あなたがそう言うなら、これは前払い分含むということで」

「はい?」

「これまでのご褒美と、今後もこの調子で、の激励よ。それならいいでしょ?」

「ええ?」

 本当に、いいのかしら。今後の分が、半分以上ありそうだけど。

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