第84話 試練? それとも、ご褒美?
くるくると変わる依里子の表情は、本当に見飽きない。まったくもう、隠しごとのできない子ね、そう考えながら、貴禰はもったいぶった調子で言った。
「お着物をね、着ていくのよ。あのカフェは、ドレスコードがあったわよね。お着物なら、ちょうどいいわ。練習の成果も試せて、一石二鳥じゃないかと思うの」
「ええ??」
依里子の脳内に、無理! の一言が大音響で鳴り響く。これまでにも何度も着付けを練習してはきたけれど、今もって1時間も経つとどうにも心許ない気持ちになり、落ち着かないのだ。ちょっと待って! 裾、長くなってない? だんだん帯が緩んできているの? そんなことばかり考えてしまい、茶道のお稽古のときにはどうしても上の空になってしょっちゅう叱られている。そんな状態なのに、着物で外出? どうしたって1時間では済まない。高級ホテルなんて場所で着崩れてしまったら、もう目も当てられない。トラウマになりそう―。
「だいじょうぶ、あなた最近、本当に上達しているもの。それに、あのホテルはそう遠くないし、万一のことがあっても、お着物を直す場所を提供してもらえるわ。私もいるんだし、心配しなくていいから!」
そうかしら、できるかしら? 貴禰を見、ホワイトボードを見、再び貴禰を見る。依里子がそこに読み取ったのは、自分を信頼してくれている、顔。やってみようか。そんな思いが依里子の胸中に沸き、ゆっくりと頷いた。貴禰も、満足げに頷き返す。
「では、決行は、2週間ほど後で、あなたがお休みの日にしましょう。10月も半ばになればもう少し涼しくなるでしょうし。あんまり暑いと着物はたいへんですからね」
***
それから2人で、着物と帯を選んだ。
袷の着物の季節よね。前のピンクのやつもいいけれど、こんなのはどうかしら? と、差し出されたのは、可愛らしい小鳥や花が描かれた淡いグレーの着物。柄がはっきり見える分、春の着物よりもずっと艶やかな感じ。素敵、だけど、万一これを着ているときに紅茶でも零したら、と想像したら鳥肌が立ってしまった。
「そんなこと言っていたら、どれも着られやしないじゃないの!
…まあ、でも、緊張のしすぎでせっかくのアフタヌーンティーの味がわからない、なんてことになったら、ご褒美として本末転倒ね。じゃあ、これはどうかしら?」
2枚目の着物は濃い葡萄色で、一面に鹿や鳥、幾何学的な不思議なもようが入っている。これなら、少しは安心?(いや、零したら大惨事には変わりないけれど)
「では、これで」
「はいはい。帯は、これがいいんじゃない? 締めやすいし」
月に跳ねる兎があしらわれていて、可愛くて、一目で気に入ってしまった。帯留も、兎にしてみて、依里子だんだん楽しい気分になってきた。
選んだ着物と帯を丁寧に畳んで自室に持ち帰り、以来、依里子は暇を見てひたすら練習した。おかげで、かなり上達したような? ご褒美の効果はすごい!
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