第82話 依里子、涙する

 インターフォンが鳴り、現実に引き戻される。すでに1時間近く経っていた。

「はーい!」

「こんにちは、萬松宅配です」

 配達の、あいつだ。今日も時間ぴったり。本当に、几帳面。


 扉を開けると、汗だくの幸樹が立っていた。どさりと箱を置いて汗を拭う。

「いや、暑いな。10月と思えないくらい」

「お疲れさま。外、そんなに暑いです?」

「ああ。地面からの照り返しがきつい。アスファルトを剥がして反射率が低くて水を通す素材に置き換えるって、あれ、まだまだ全然対応が間に合ってないよな」

「ああ、そんな話、出てましたね」

 そんな話をしつつ受け取りにサインし、麦茶いかが? と、聞いてみた。助かる、遠慮なくそう言うのに応えて、冷蔵庫からガラス製のボトルに作り置いた麦茶を取り出した。コップに塩と砂糖を少し入れて注いで手渡すと、幸樹は喉を鳴らして一気に飲み干した。

「ごちそうさま、生き返った!」

「大げさ(笑)」

 コップを受け取りながら笑うと、彼も笑った。その笑いが途切れたとき、なるべく何気ない風に、言った。

「貴禰さん、今お昼寝中です。もうすぐ起きるはずだけど、待っています?」

 会うまでは安心できないんだものね。私がよそ者だから。そんな依里子の思いとは逆に、幸樹は首を横に振った。

「いいや、配達残ってるし。あんたがいるなら、だいじょうぶだろ」

「えっ!?」

「え? 何だよ? 真面目にやれってか?」

「え、いいえ、そうじゃないの。そうじゃなくて…」

 言葉に詰まる。胸の内にじわじわと、ある思いが広がって行く。

 私、私、信用されているの? ここで、ちゃんとやっていけてる?


「…うわ! なんだよ急に!?」

「え?」

「何泣いてんだ? 俺、何か嫌なこと言ったか?」

「え? 私が、泣いて…?」

 依里子が慌てて目元を確認していると、背後から貴禰の声がした。


「うるさいわよ、あなたたち。依里子さん、そろそろ時間…って、あら? どうして泣いてるの? ちょっと、松吉さん! あなた、何か言ったの!?」

「何も言ってないしやってません! …多分。少なくとも、俺はこいつ…いや、彼女が泣くようなことした覚えはありません!」

 そんなつもりはなくても、相手にはそうじゃないことがあるから、まあ、その辺はわからないけど―。焦りながら言う顔に嘘はなさそうだ。貴禰が追及を止めると同時に、依里子が慌てた様子で割って入った。


「いえ、あの、何でもないんです。この人のせいでもありません。ただ」

「ただ?」

「なんか最近、涙脆くて…歳のせいかも」

「ばかおっしゃい!」

 そんな台詞、50年は早いわよ!

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