第11話

 じゃあ今からちょっと、の後で連れていかれたのは、階段下の物置だった。

 お掃除の道具はこちらよ、と貴禰が明けた扉の奥を覗き、依里子は困惑した。そこにあったのはほうき、ちり取り、雑巾、バケツ、はたきといった、なんともクラシカルな掃除道具ばかりで、掃除機が見当たらなかったから。


「ああ、何と言うか、風情のあるお道具ですね」

 言葉に詰まり、ようやくひねり出した文言は我ながら陳腐と思えるものだった。

「風情? まあ、確かに長年使ってはいますけどね」

 怪訝そうな貴禰の声音にハッと我に返り、依里子は取り繕うように、

「いえ、あの、味、そう、味があって、いい感じだなあと思います。それで、あの、掃除機はどちらに?」

 しどろもどろになりながら何とか話題を変えようと思ってそう言うと、次の瞬間、貴禰は驚きの応えを返した。

「掃除機? そんなもの、ありませんよ」

 と。


「へ? それで、どうやってお掃除を…?」

 慎ましやかな声音ともの言いを保つことも忘れ、依里子は問うた。確かに自分も、掃除機を持ってはいなかった。だがそれは、あのアパートの自室が掃除機を使うほど広くなかったからだ。だが、この屋敷は違う。とにかく、広い。何室あるのか未だに把握できていないし、1部屋1部屋がものすごく広い。自分にあてがわれた部屋も、これまで暮らしていたスペース全体(つまり、バストイレキッチン含め)の倍くらいは軽くありそうだ。それなのに、掃除機が、無い?


 貴禰は落ち着き払って言った。

「お掃除は、はたきと箒、それに雑巾で行うものよ。まず壁や置物などの埃をはたきで払って、和室は箒で掃いて、フローリングや細々したところは、雑巾がけね」

 依里子は軽い眩暈を覚えた。つまり、この道具たちで、この広い屋敷を掃除…?


「台所やお風呂場を除いて、お部屋は全部で14室ほどあるから、まあ、いっぺんにやろうとしたら大変ですけれどね」

 そんな様子を見てとって、貴禰が言葉を続けた。

「そのうち、使っていないお部屋が8室、半分以上あるの。そこは毎日1部屋ずつ、掃除して行けば十分。お掃除できない日もあるでしょうけれど、それでも大体半月に一度はお掃除できるわ。使っているお部屋や家の周りも、週3回もやればいいのよ。ほぼ毎日掃除が必要なのは、台所やお風呂、お手洗いや玄関回りくらい」


 ほら、たったこれだけだもの、楽勝でしょ? と言わんばかりの口調に、依里子の眩暈は本格的なものとなった。つまり、最低でも、バストイレキッチン玄関、使っていいない部屋を1室、毎日掃除? それに加えて、使っている部屋も週3回は、掃除するようにする? 文明の利器、無しで??

 だが、今の自分はしがない試用中の身。ここで否はあり得ない。依里子は、自身に言い聞かせる。2週間、2週間の辛抱よ、本契約に漕ぎ着けたら、自動掃除ロボットでも何でも買って、掃除をうんと省力化するんだから―。そう自分に言い聞かせて、引き攣る頬を駆使してどうにか笑顔を作った。

「それなら、何とかやれそうですね。…とはいえ、最初のうちは勝手がわかりませんから、時間がかかったり、段取りが悪かったりすることもあるかと思います。でも、がんばります。ご指導いただけることがありましたら、ぜひよろしくお願いします」

「まあ! あなたがそんなにやる気があるのなら、私も、教えがいがあるわあ。みっちり、しっかり、教えてあげますからね」

 低姿勢に慎ましくと意識した言葉を捉えて、品よく微笑みながらも指をぽきぽきと鳴らさんばかりな貴禰に、依里子の頬はますます引き攣っていった。

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