第10話 依里子と貴禰 試用期間を開始する

「片づいたかしら?」

「ええ、もうすっかり。荷物なんて、ほとんどないですし」


 そう、2日後の屋敷への引っ越しは、ごく身軽なものだった。面談のため急遽依頼したシフト変更に応じてくれたつかに代って午前中に仕事に行き、帰宅後に、荷造りの済んだ荷物を屋敷に運びこんだだけ。

 家電類は基本、部屋に備え付けのものだし(これ、ぼろアパートに最近よくある、入居促進策)、洗濯機も、アパートの住人向けの共同のランドリーを利用してきた。 自前の持ち物といえば、数枚の衣類と1組の食器類、洗面道具と化粧品類、紙の本が数冊と少しばかりの小物類のみ。旅行鞄へと姿を変えられる簡易クローゼットにそれらを詰め込むだけで、アパートの部屋の中には、もう何も残っていなかった。戸締りをして、ガラガラと鞄を引きずってこの屋敷に到着したのが、午後2時前。2時間もかからない引っ越しだった。


 屋敷では、こちらを使って、と、2階の角部屋をあてがわれた。日当たりがよく、部屋の隣にはトイレと洗面室がある居心地がよさそうな部屋。作り付けの戸棚や洗面台周りの引き出しや棚に荷物を移し、鞄はそのままの状態で部屋の隅に立てかけた。またすぐ必要になるかもしれないから。

 すべての持てる荷物を移してなお、がらんとした部屋を見渡してみる。改めて自分の人生の軽さをしみじみと感じ、芝居ではない本心からの切ないため息が洩れた。


「片づいたんならいらして。いろいろ説明しておきたいことがあるから」

 開いた扉から貴禰が声をかける。はい、ただいままいります、と応えながら、依里子は自分を奮い立たせるように頭を大きく振った。ぼんやりしている場合じゃない。この家の決まりごとその他をしっかり覚えて、ばあさんに、気に入ったわ、ぜひ一緒に暮らしてちょうだい、と言わせるようにしなくちゃ。作戦成功のため、ここががんばりどころよね!


        ***


「とりあえず、当面はお夕食は心配しないで。宅配調理サービスがありますからね。

 お片付けも、食洗器があるからだいじょうぶよ。ただね、申し訳ないけど、朝食の準備はお願いしていいかしら? いつも9時ごろにいただくのだけど、お仕事が無いときだけでいいから」

 ご飯を炊いたりしなくていいわ、和食じゃなくて洋食、パンとコーヒーと、できれば卵料理があれば、そう言う貴禰に、ここが活躍の見せ場とばかりに、依里子は張り切って返事をした。

「かしこまりました! 明日は夜勤なので、夕方までこちらにいられます。明日の朝、朝食をご用意させていただきます。明後日は、夜勤が終わって戻るころに朝食のお時間となるので難しいかもしれませんが…。今後は、仕事の状況が許す限り喜んで担当させていただきますので!」

「あらあ、助かるわ。あ、あとねえ、お掃除もお願いしたいの。ほら、歳を取ると、どうしてもてきぱき動けなくてねえ」

「はい、こういったことが同居の目的の1つですし、どうぞご遠慮なさらないでいただければと思います! …ということは、今まで、たいへんでいらしたのですね」


 同情を告げる控えめな声と裏腹に、依里子の目は爛々と輝いていた。これも頼れる自分の見せどころ、同居解消なんて絶対にしたくない、と思わせなくちゃね! そんな心中を知ってか知らずか、貴禰はにこやかに、あら、それじゃあ、今からちょっといいかしら、と言った。

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