第7話
「…これは、あくまでも私の考えですが」
そう言いおいて、真面目男は真剣な顔で続けた。
「正式な契約を結ぶまでは、お仕事は、今までどおりに続けていただいて結構です。ですが、正式契約されることになりましたら、できれば夜勤等は極力減らして、また日中も、時短勤務などにしていただいて、お屋敷での暮らしのほうにお時間を割いていただければと思っております」
「ええ、はい」
「とは言っても、四六時中、お屋敷のほうに心を砕け、ということではありません。
互いにある程度の独立性を保ち、自分のことは極力自分で行い、必要があれば協力し合うのが理想と、おっしゃっていますので」
代理人(多分)はそう言葉を継いで、依里子を窺った。今の仕事は極力減らして、何ならすっぱり辞めて、“お屋敷”の仕事に注力する。これはもう願ったり叶ったりだけど、私と被後見人のばあさんが、協力し合う? 私が手を貸すのではなくて?
少々引っかかりを覚えつつも、依里子は彼に向かい理解ありげな顔で頷いた。
「よいお考えですね。適度な距離を保って、お互いに自立していることが、結局は、うまく行くコツかと思います」
ま、結局は、私がいろいろ手を貸すことになるんでしょうけれど。とりあえず契約して、ここに越してしまえばこっちのものよ。この大層なお屋敷の住人として、悠々自適に暮らしてやるわ―。内心でそう考えながらほくそ笑んだ依里子の様子に気付くことなく、相手はほっとしたように笑顔を見せた。笑うと、真面目な雰囲気が和らいで、一気に親しみが沸く風貌になった。笑顔じゃないって、いろいろ損ね。どうしてもっと笑わないのかしら。その方が世の中ずっと渡りやすくなるのに。
仕事を代ってくれた同僚の、つか―仕事はできるが、笑顔が乏しいばかりに入居者ウケがいまいち―を思い出しながら、依里子はそんなことを考えた。
「そうおっしゃっていただけて、よかったです。そうは言っても自分が手を貸す側、そうおっしゃったり、口には出さなくとも態度に出されたりする方がほとんどでして。やはりそういう方々と、あの方は上手くいかないものですから―」
「方々? あの方? 上手くいかない?」
自分が手を貸す側、のくだりで一瞬ドキリとした依里子は、続く言葉にすぐに意識を奪われた。他にも面接した人、どころか、すでに一緒に暮らした人が、いたの? それも、複数? あの募集、私が一番乗りだったんじゃなかったの? 試用期間中に、何があったのかしら。いえそれより、
「あの」
「はい?」
「上手くいかないって、その、もしや今までに…」
どうしても我慢できず質問を始めたとき、重厚な一枚板の扉が音も無くすいと開き、戸口に老婦人が現れた。小柄で優しげな風貌、たおやかそうな物腰に、依里子は少し体の力を抜いた。このばあさん? 70そこそこにしか見えないけど、温和そう。これならうまくやっていけるかも。だが、そう思い口を開こうとするより一瞬早く、
「はじめまして、ご足労ありがとうございます。で、矢城野さん、状況はいかが?」
思いの外力強いまなざしで一瞬だけ依里子を見つめ語りかけたかと思うや、すぐに男のほうへと向いてしまった彼女に、依里子は、あいさつを返そうと開きかけた口をポカンと開けたままとなった。
「月曜日に、越して来ていただけるそうです。諸々ご同意いただけています」
「そう。とりあえずよかったわ」
「さようですね。この間の方は、3日と持たなかったですから」
「あら? しっ!」
老婦人が相槌を打つ男・矢城野を制したが、
「この間? 3日?」
それより早く、思わず声が出て依里子は慌てて自分の口を塞いだ。どういうこと? 以前、すでに試用の人が来ていて、すぐに辞めてしまったの? ということは、私は補欠当選? いやそれより、なんで3日しか持たなかったの???
口から洩れることをかろうじて抑えた疑問が、脳内をぐるeぐると廻り続ける。
老婦人が、ぐるぐるしている依里子に気付き、ため息を1つついて話し出した。
「しかたないわね。お話しましょう。
試用期間の段階でご縁が無かった方が、これまでに何人かいらしたの。でも、それは、あなたが気になさらなくていいことよ? とはいえ、ここに越していらしても、今住んでいらっしゃるおうちは当面確保しておくのがよろしいわ。今までの方々にも、そうしていただいていたの。ご縁が無かったとなったときに、路頭に迷われても困りますからね」
にっこりと微笑まれたが、依里子は背筋が冷たくなるのを感じた。
いやいやいやいや、気にするなって、無理でしょ!? 越させておいて、追い返すこともあるって? ていうか、すでに追い返された人が複数いるって? なにそれ、あり得なくない??
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