第5話
「明日、ですか? マッチングセンターではなく、先方のお屋敷へ? 随分急なんですね…え? いえいえ、とんでもありません! 全然問題ありません! 喜んで伺います。はい、はい、どうぞよろしくお願いします」
あのエントリーから9日目の夕方、一本の電話が依里子のモバイルに入った。それは面接を求める、あの『オイシイ』物件の代理人の要請を伝える連絡だった。
『お屋敷に直接行けって、お呼ばれみたいなもの? かなり有望ってことかしら? 随分と時間がかかったのも、それだけしっかり吟味したってことなのかも?』
早計だとは思いながらも、嫌が応にも期待が高まり、鼓動が速まるのを自覚する。それが口調に表れないようにと特段の注意を払いながら、慎重に応答する。
「はい、午後3時に、お伺いするということですね。はい、はい、場所は、分かると思います。ええ、必ず。ありがとうございます、よろしくお願いします」
見えない相手にぺこぺこと頭を下げながら、依里子は通話を終えた。どうやら運が向いてきたみたい、にやりと笑いそんなことを考えながら、頭の中で自室の隅に吊るしてある洋服類を検索―そう多くはないから、これはとても容易な作業だ―、その中から、清楚な印象の紺のワンピースとオフホワイトのカーディガン、薄手のコートがクローズアップされた。そうね、明日はあれを着て行こう、初対面の印象は、おとなしく慎ましやかなものにするべきでしょうし。靴は、踵の低い、シンプルなもので(それしか持ってないけど)。さ、帰ったらしっかり準備しなくっちゃ。いえ、それよりも、まずは明日、仕事を代ってくれる人を探さないと。仮病で休んで、後でばれても困る。こういうときこそ、きちんと仁義を通すことが肝心だわ。
仁義―これに関しては、日ごろから心掛けている。何しろ自分はいつよい“物件”に巡り合い辞めるかしれない身、常日頃から仕事の引き継ぎはすぐにもできるよう準備している。それに、周囲の皆は、自分がこの資格を取得していることを知っているし、温かな“家族”に憧れていることも折に触れ伝えている。いつか、後見人としての“ご縁”があったら、こちらの仕事を辞す可能性があることは、それなりにわかってはいるだろう。ついに、これらの気遣いが役に立つときが来たのかもしれない。さまざまな考えが脳内を去来する中、落ち着いて、できるだけ冷静に、と自らに言い聞かせながらモバイルをポーチにしまうと、依里子は、明日午後のシフトを代ってくれる同僚を探すべく、5階の端にある職員用オフィスへと飛ぶように向かって行った。
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