第4話 依里子、“優良物件”に巡り合う

『これこれ、このばあさん! 完璧じゃないの』


 仕事が非番のとある水曜日、開館と同時に後見マッチの閲覧室に入った依里子は、職員が貼り出していた(どうでもいいが、ここの職員はどうしてこんなに仕事が遅いのか)リバースモーゲージ募集の中に自らの希望に完璧にマッチする案件を見つけ、心中密かに快哉を叫んだ。


『駅から徒歩で行ける大きな屋敷に、広い敷地。第二種後見人を希望ということは、生活も困窮していない、つまり、動産もそこそこあるということよね。何より、後見対象の年齢が、平均寿命の97歳より上! あとほんの数年、ううん、運が良ければ数週間で、このばあさんの資産丸ごといただき、なんてオイシイこともあり得なくはないわ。そしたらもう、土地も屋敷も売っぱらって一生遊んで暮らせるってもの―』


 内心ほくほくしながら、だが、表面上はあくまでも静かに慎ましやかに、依里子は窓口で申請手続きを申し出た。いつものごとく形式的な面接でいくつかの質問をした職員は、書類に何ごとか書き込み、端末に同じ情報を打ち込んで(どう考えても無駄だと思う)、15分後にようやく顔を上げて言った。


「登録が完了しました。あなたが、最初の申請者です。先方の代理人の方から面談のご連絡がありましたら、お伝えします。10日を経過しても連絡が無い場合は、ご縁が無かったということで。よろしくお願いします」


 ご縁が無かった場合は連絡の一つも寄越さないと言うのがどうも気に入らないが(どのように決められているのか、これまでの案件で5人以内に登録できたことも、面接にこぎつけたことも無い)、とりあえず登録はできた。今回は一番乗りだから、面談まで行ける可能性はかなり高いかも? あまり期待しないようにと自らを律しながらも、あれこれと甘い空想を描くことを抑えることができないまま、依里子はふわふわと帰途についた。


        ***


 努めて平静を装っているつもりでも、微妙に態度に出るのだろうか。

 あのエントリーから2日の間、職場では同僚からも入居者からも、『何かいいことがあったの? 随分楽しそう』と声を掛けられた。そのたび、そんなことないです、と慎ましやかに答えつつ、ついついまた甘い空想が頭を埋めて、知らず頬が緩むのを止めることができなかった。

 だが、その空想も、3日経ち、4日経ち、1週間が経過するころには、だいぶ凋んでいった。それと反比例するように、今度は不安と焦燥が胸中に満ちてきて、ついには『どうしたの? 悩みがあるなら話してご覧なさい』と、入居者の1人である少々認知障害のある世話焼きの老婦人にそう言われるまでになってしまっていた。


「ごめんなさい、何でもないんです。ただ、お勉強が思いの外はかどらなくて…」

 そう作り笑顔で応えると、かの老婦人はなおさら憂い顔を深くした。

「あなたは真面目な子だからねえ。あまり根を詰めたら体に毒よ。あなたは、そのままで十分なんだから。受験の結果なんて、関係ないの。ね、ゆみちゃん?」

 依里子の手を、しわだらけでかさかさの両手でやんわりと包み込み、宥めるように優しい声で言う。“ゆみちゃん”は、恐らく彼女の娘か孫だろう。彼女は時たま、こうした混同を起こす。その度合いは次第に頻繁になっていたが、依里子はその都度うまく調子を合わせてきた。だが、今回は、心に余裕がないためか、この慰めがどうにもひどく気に障った。

『ゆみじゃないっつーの!』

 心の中で思い切り毒づくが、だが決して口に出すことはない。こんなことが原因で自分の将来計画に傷が付いたら、たまったものではない。そんな彼女の思いには一切気付くことなく、老婦人は手に力を込めて、顔を覗き込んできた。

「そうだわ。ね、またお人形を作ってあげましょうね。あなた、好きでしょう?」

「嬉しい、どうもありがとう! でも、いいの。前に作ってもらったのがあるから。私、あの子が好きだから」


 お人形―老婦人が手慰みに作るそれは、綺麗な包装紙、ラップフィルムの芯、古いセーターをほどいた毛糸など、本来ゴミとなるもので作られた、小さな子どもの姿をしている。素朴な手描きの顔はとても可愛らしく、『捨てるのもったいない』病の入居者たちには好評なものだ。依里子も、以前、一体もらったのだが、正直、ちょっと有難迷惑だった。ありがとうと笑顔で受け取りはしたが、人形はそのまま部屋の衣装ケースの端に放置されている。

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