恋は魔物、たぶんチョコレートが好き

位月 傘


 今日はバレンタイン、そう、私の恋に引導を渡す日である。シンプルな四角い箱の中には、べたべたなハート形のチョコが数個と他の形のものもいくつか入っている。きっと正気じゃこんなことは出来なかった。そういう意味ではまさしく恋とは魔物のであるのだろう。

 一つ年上の先輩はすっごくカッコいいし、背も高いし、優しい、けど、いろんな子と付き合ってたらしいしサイテー!あんまり真面目じゃないしサイテー!思わせぶりな態度をとるしサイテー!!

 いやいやでもでも、最近は中途半端なお付き合い辞めたらしいしやっぱり好きになっちゃうのもしょうがないっていうか、勉強していい大学受かったしほらこんなに素敵なところがあるなら誰だって好きになるでしょ、それにやっぱりほら気遣いもできるし?だから全然わたしはわるくない、わるくないよね?

 電車の中で揺られながら、かばんの中身を確認するのは何度目だろう。いっそ家に忘れてきてしまえば諦めもつくというのに、存在を確認できるたびに安堵する自分が憎らしい。

「おはよー……うわっなに変な顔してんの」

「うそっ、そんな変な顔してる!?」

 電車に乗り合わせた友達が眠そうな顔でそう言うから、慌てて顔を両手でぺたぺた触る。その仕草に友人は変な物でも食べたような顔をして、それからこそこそと耳元で話しかけてきた。

「……変なものでも食べた?」

「そんなことするわけないでしょ!ほんと失礼なんだから」

「それそれ、いつもだったらあんなこと言ったら怒るじゃん」

「あのそれは、なんていうか、変な顔ほんとにしてる可能性があったというか……」

 電車内ということも相まってごにょごにょと言い訳を続ける。実際ぼけっと心ここにあらずな心境であることは自覚していたから、いつものように強く否定することは出来ない。

 相変わらず不可解な顔をしたままな友人には恋愛相談というほどでもないけれど、色々聞いてもらっていたのでわざわざ隠さなくてもいいかと洗いざらい話すことにした。

「今日先輩に告白しようかなと思いまして……」

「えー、事前に相談してくれてもいーじゃん、そういうことは」

「昨日突発的に『今を逃したらもうダメだ!』って……」

「それにしてもなんで今日?」

「だってバレンタインじゃん」

「あーーーーーー……」

 彼女は納得するより先に、条件反射の様に呻き声をあげた。彼女は大層モテる、特に部活の後輩に。友人の私から見てもカッコいいもんなぁ。問題はこの友人は甘いものが好きじゃないうえに、他人からの行為を無下に出来ない性格だということだ。そういうところが彼女の美点であり、同時に今日だけは重大な欠点だった。

「全部もらってきて自分で食べちゃうんだもんねぇ」

「僕の事はいいんだよ、それより君の話でしょ」

「私の話もいいでしょ……」

「全然良くない、大体三年いま学校無いじゃん。どこで渡すの?」

 言葉に詰まって視線を彷徨わせる。また怪訝な顔をしてこっちを見てるのだろう。私だって今日の自分が変なことくらい自覚がある。

 いや、変なのは昨日からで、もっと言えば好きになっちゃったときからきっと何処か変なんだろけど。

「先輩には本日学校にお越しいただく運びとなっておりまして……」

「君が今日、あー、昨日から?変なことはじゅーぶん分かったけど、そもそもちゃんと渡せる?」

「渡せる……はず!」

 渡せるか渡せないかと聞かれると微妙だが、すでに呼んでしまった以上渡さないという選択肢はそもそも存在しない。いくら玉砕覚悟だろうと、呼んでおいて無視して嫌われるのはちょっと堪える、というかそれ以前に申し訳ない。

「なーんか心配だな。どうせ僕も呼び出されてるからしばらく学校残るし、終わったら連絡してよ。フラれたら慰めてあげる」

「ううう、せめて応援してよ……」

「……いや、僕が応援するまでもないっていうか」

 そんなにはっきり脈無しだと言われると、ちょっとだけ憂鬱になってしまう。まだまだ放課後まで時間はあるというのに。こんなことじゃ授業にも身に入っていない自分がなんとなく思い浮かぶ。

 色々とすこしひねくれた心配の言葉をかけられるが、そのほとんどに生返事をしていたら学校に着いていた。クラスが違うので教室の前で別れようとしたところで軽く頭をつつかれた。朝早く来ていてよかった、こんなの後輩の子になんて見られていたら、少女漫画の世界みたいに校舎裏に呼び出されていたかもしれない。

 相変わらず呆れたみたいに眉を下げて、それでもしょうがないなぁって顔で微笑まれる。やっぱり彼女は面倒見が良くて、すっごくかっこいい。そういえば前に顔立ちがちょっとだけ先輩に似てるよねって言ったら微妙な顔されたっけ。

 もともと彼女は先輩を好きになったことに良い顔はしなかったけど、先輩のことを教えてくれたのもまた彼女だった。

 

 先輩と初めて会った日は、学外の友達と放課後に遊ぶ予定があって、制服のまま駅で待ち合わせをしていた。遊ぶつもりだったから当然だけど繁華街の近くでぼうっと一人で突っ立っていたら、なんだか変な男の人に絡まれた。俗にいうナンパってやつだ!とその時は一瞬感動すらしてしまったが、そんなことを考えるような人間に適切なナンパの撃退法なんて知るはずもない。知らないひとだしと多少遠慮していた部分を捨て去って、だんだんと強くなる口調で拒否してものらりくらりと躱されるばかりで、いよいよ焦ってなんなら泣いてしまいそうだったとき。

「お、久しぶりじゃん!」

 背後から明らかにこちら側に向かって声がかけられ、もう藁にもすがる思いでそちらを振り返る。ネクタイの色だけ違う、私と同じ制服を着崩した男が声をかけたのは私――ではなく、ナンパしてきた男の方だった。

「は!?誰だよお前!今忙しい――」

「え~酷くない?俺だよ俺、可愛い女の子の方見てへらへらしてねーで俺の顔見てちゃんと思い出せよ」

 急展開に唖然として突っ立っているまぬけな姿は、長身な先輩の体にすっぽり収まっていて、ナンパからは隠れて見えないだろう。彼はなんやかんやと言い合う口は止めずに、視線だけでちらりとこちらを捕えるとウィンクをした。キザなその仕草に漸く正しく意図を理解して、小さく頭を下げたのち私は直ぐに小走りで駆け出した。

 あとからあの後大丈夫だったかなとか、一応駅員さんに伝えたけど対応あってたかなとか、心配の気持ちや感謝を伝えたい思いが全く無いではなかった。しかし何故だか、それよりもあの後ろ姿の人がどんな顔をしているのだろう、という事ばかりが頭の中を占めていた。

 夜目遠目笠の内じゃないけれど、まっすぐはっきりと見たわけでは無いから、自分の中で無意識に美化されていたのかもしれない。

 別にそこまで気になってるわけじゃない。だってそんなミーハーじゃない。お礼をしたいだけだから、と誰でもなく言い訳をしながら友達に連絡した。思いのほか早く正体が発覚し、ずいぶんと相手が有名人であることが分かった。それがいい話だけで目立っているのではないと知っていても、会いに行かないという選択肢は存在しなかった。

 後日、あまり良い顔をしないながらも友人は連絡先を教えてくれて、先輩と約束を取り付けることに成功した。菓子折りを持って放課後先輩の教室に向かう。

 机の下で長い脚を持て余すように伸ばしてスマホを眺めていた先輩は直ぐにこちらに気づいて、ぱっと笑みを浮かべて立ち上がった。お互い傍によると余計に身長差を意識してしまって、同じような距離に以前立っていたはずなのにすこしびっくりしてしまった。おまけに顔立ちも想像のものよりも整っていたのも拍車をかけた。

「この前は大丈夫だった?」

「私は平気です、助けてくださってありがとうございました。それより先輩の方が……」

「ん?おれ?だいじょーぶだいじょーぶ。なんもされてないよ。でも助けたつもりが心配されちゃうなんて、おれもまだまだだなぁ」

 へらりと恥ずかしそうに微笑まれて、なんだか無性に恥ずかしくなってしまった。押し付けるように菓子折りをどうぞと差し出す。

「わぁ、わざわざありがとう。律儀だね」

「嫌いだったら捨てて下さい」

「おれ甘いもの大好きなんだ。美味しくいただかせていただきます、なんてね」

 恭しく頭を下げたと思ったら、誤魔化すみたいに笑ってそう言った。ここが今世界で一番穏やかな場所なんじゃないかと錯覚するような、そういう空気だった。そしてそういう空気を作るのが上手いひとなんだと今ならわかる。

 だだだ、と廊下を走る音がする。忘れ物でもしたひとがいるのだろうか。だったら二年生が三年生のクラスに居て、しかも有名人である先輩と二人きりでいたらあらぬ誤解を生んでしまうかもしれない。

 途端に挙動不審になった私の想いも空しく、勢いよく扉が開かれる。般若のような形相とはこういう表情の事をいうのだとその日初めて理解した。見知らぬ女子生徒は、飲みかけの缶ジュースを持ってリュックを背負っているて、ここが教室でなければどう見ても帰宅途中の学生の姿であった。

「……浮気?」

 冷え切った声音はかすかに震えていて、それが怒りによるものなのか、それとも別の何かによるものなのか判別がつかなかった。ただとんでもないことに巻き込まれているという意識と、重苦しい空気にのしかかられて一言だって出せない私とは対照的に先輩は軽快に――いや、馬鹿みたいに軽く口を開いた。

「え?おれたち付き合ってたん?」

「ほんっっっと……サイテーー!!」

 缶ジュースの中身が宙を舞う。反射的に目を閉じるより先に視界に影が差した。そこでなんだか漠然と、あ、このひとの背中が好きなんだと気づいた。

 ほんとに私は最悪なタイミングで、馬鹿みたいに恋をした。


 満足したのか呆れたのか、はたまた怒りが収まらなかったのか、来たときよりも軽快な足取りで、女生徒は私たちの前を通り過ぎて行った。突然の出来事に夢なんじゃないかと思うけれど、床放られた缶ジュースが存在を主張している。

「えーと、ごめんね。大丈夫?」

 びしょぬれになった先輩はまたへらりと笑った。先ほどと同じ表情と、友人に耳にタコができるほど聞かされた噂話が頭の中に結びついて、自然と言葉が口をついて出た。

「最低ですね、先輩」

 言葉に反して、不思議と責めるような、嘲るような響きは持たなかった。ぽかんとした顔に自分の言ったことを理解して、でもなんだか慌てる気にもならなかった。噂で人を判断することは良くない、というのは正しいが、これをモットーにしているのもまたこの話を教えてくれた友人であった。どんなに相性の合わない相手であっても「まぁそういうこともあるよね」と流す友人があれだけはっきりと非難したことを考えれば、やっぱりこの結論は覆しようがない。

「すみません、口が滑りました」

「言い過ぎたとかじゃないんだ……」

「申し開きがあるなら聞きますけど、することがあるなら相手は私じゃないと思いますよ」

「いやおれも何が起きたかあんまわかんないっていうか」

「こういったことが初めてなら、あの人が妄想の激しいひとだったって可能性はありますけど、同じようなことが何度もあったなら悪いのはあなたじゃないでしょうか」

「はい……」

 肩を落として視線を彷徨わせる姿は、他人の加護欲を煽るものだった。状況を知らなかったらの話ではあるが。

 鞄の中からタオルを引っ張り出して先輩に押し付ける。そんなきょとんとした目で見ないでほしい。

「色々言いましたけど、庇ってくださったことはありがとうございます。それ捨てて良いので使ってください。あ、洗ってビニールに入れてたやつなので綺麗ですよ」

「いいの?」

「どうぞ、べたべたして気持ち悪いでしょ」

「ありがとう。おれ、恥ずかしいなぁ」

「これは恥ずかしいというより……いやまぁ、そう思うんでしたら今後は気を付けていただけると私や今後の私みたいな子は救われますね」

 床に転がっている缶を拾って、ティッシュで飛び散った中身をふき取った。ジュースだしちゃんとウェットティッシュとか濡らしたタオルとかで拭かないとべたべたになっちゃうかな。

 しゃがみこんでる私の少し上からねぇ、と声をかけられる。思いのほか近い場所から声が聞こえてきて、思わずのけ反るように顔をあげると、彼も同じようにしゃがんで真剣な顔をしていた。その顔をあの人が来た時もすればよかったのに。

「おれと友達になってくれない?」

 そういうことやるから良くないんじゃないですかとか、あんなことがあった後に言います?とか、言わなきゃいけないことがいろいろぐるぐる駆け巡って、口から出たのは言うのは最後でいい言葉だった。

「そういう女遊びみたいなことやめるなら、友達になってもいいですよ」


 そのあと友達にこんなことあってさぁ、とちょっとした愚痴と笑い話の意味を込めて話したら、今までで一番深い溜め息を吐かれた。この時はまだ好きになっちゃったことは内緒にしていたけれど、彼の申し出に否を唱えなかったのを伝えた時点でバレていたかもしれない。

 言ってしまえば先輩は、正しく女好きの女たらしだった。求められれば応えるし、みんなに優しくするから、先輩と関係をもった女の人達は自分は特別だって勘違いする。泣きそうな顔で縋りつかれれば、拒否できずに宙ぶらりんな関係をずるずる続けていく、そういう男であった。

 もう本人にはどうしようもない性なのであるように感じとって、きっと先輩と友達になることはないのだろうと少し残念だった。しかし驚くことに二月ほど経った頃、友人になりませんかと連絡が来た。わざわざ時間を空けて言ってきたということは、本当に関係を切ってきたのだろうとは理解したが、頭で理解するのと心で納得できるのは別の話だ。申し訳ないが出来るとは到底思っていなかったので一日ほどメッセージを放置してしまった。

 友人にこの話をしたとき、そうだ、確かこの時から渋々ではあるがまぁいいんじゃない?本当に女遊びやめたっぽいし、と先輩とつながりを持つことに肯定的になりだしたのだ。

 

 これで名実ともに、というと少し変だが、私と先輩は正式に友人になった。友人として仲良くしていると、予想通りというべきか、先輩は一緒に居ると非常に居心地の良い相手だった。先輩の女性関係のだらしなさは重大な欠点ではあったけれど、逆に言えば大きな欠点というのはこれだけだったのだ。

 関係を断ったという話が事実であると裏付けるように、思わせぶりな態度とそもそも女性と会話することを控えるようになったし、告白されてもきっちり断っていた。しかしまた数か月すると、気を許されているのかなんなのか、友人である私に対しても『勘違いさせるような態度』をとるように戻ってしまった。

 元々男友達の様に扱われていた訳ではないので多少の変化ではあるが、私は彼の事が好きなので当然心臓に悪かった。だから「そんなことしてると今度こそ刺されますよ」と伝えれば「きみにだけだよ」とへらりと笑われるから、余計に良くなかった。

「どうして先輩はわざわざ面倒なことをしてまで、こんな生意気な後輩と友達になろうとしたんですか?」

 そう以前尋ねたことがあった。いくら自分で考えてもさっぱり分からなかったし、友人に聞いてもそういうのはいくら考えても真実は本人に聞かない限り分からないものだよ、と諭されたからだ。

 このころにはもう先輩の悪癖が戻りはじめていたころで、私たちって友人ですよね、という念押しを兼ねてのものでもあった。

「魅力的な人と仲良くなりたいって、そんなに疑問に思う事?」

「そういうところ……いや、この際それはいいや。どこがそんなにあなたに魅力的に映ってるんですか?言っちゃあれですけど、私見た目も学力も平々凡々ですよ」

「おれのこと最低だって軽蔑したのに、タオル貸してくれて、その上放っておいてもいいのに、しゃがみこんで床拭いてくれるところとか。あとほら、平々凡々とか普通の子は言わないから、そういうところがなんか、好きだなぁって」

 眉を下げて笑う顔、多分みんな好きなんだろうな。別に彼女でも何でもないし、いくら思わせぶりなこと言われたって、もういちいち指摘しなくていいかな。だってあなた、どれだけ甘い言葉を吐いたって、指一本も触れてくれたことなんてないしね。そういうところ紳士的で結構好きだったよ。

 

 センチメンタルな気分に浸っていたらもう放課後だった。授業中当てられることなくてよかった。約束の時間まではまだ少しあるけどじっとしていられなくて、学校の中をうろうろ回って、校舎の外にも出てふらふらと歩いていた。

 校舎裏にぐるっと回ろうとした瞬間、見知った後ろ姿が居ることに気づいてどきりとした。咄嗟に隠れてしまったが、どうやら正解だったみたいだ。同学年の女の子が顔を真っ赤にして何かを差し出してるのが見える。

 私はなんだかんだで自惚れていたのだろう。告白して付き合えると信じ込むほどではなかったけれど、今だけは彼のたった一人の特別な女の子だと疑わなかった。

 こちらからはいくら覗き見たところで彼の背中と恋する少女の表情しか見えない。秘め事の様に話す二人の会話が当然聞こえる訳もない。

 先輩が箱を受け取って、少女がはにかんだ。心の底から嬉しそうに笑っていた。だからあ、私今失恋したんだと理解するのにそう時間は必要なかった。

 ばれないように、でも出来るだけ素早く、その場から逃れたい一心で教室に向かった。階段を上ろうとして足がもつれる。みっともなく転んでしまってポケットからスマホが滑り落ちた。まだ告白を受けてる最中かなとか、そういうことを一切考慮せずに友人に電話をかける。2コールでとられた着信に、想像の10倍は情けない声が漏れた。

「ごめん、やっぱりわたし、チョコ渡せなかったよぉ……」

 泣き言が聞こえたと同時に彼女はすぐに電話を切って駆け付けた。さすが運動部、足早いねなんて笑ってみせたら、この馬鹿と頭を小突かれた。そのまま手を引かれて一緒に教室に戻る。誰もいなくてよかった。私を扉に近い適当な席に座らせると、彼女もその隣に腰を掛けて何があったのか尋ねてきた。

 話している間、彼女は真面目な顔で黙っていて、情緒がすこしおかしくなっていた私はその姿がちょっと面白くなってしまった。人間って悲しくなりながら笑えるんだから、なんだか気持ち悪いな。

 最後まで話を聞いた彼女は微妙な顔をして、想定していた通りの事を言った。予測していた通りの答えが返ってくることに人間は喜びを感じると聞いたことがある。私もその言葉欲しさに彼女に連絡したのだろうか。

「ちゃんと話したほうがいいよ。状況証拠だけで判断すべきじゃないと僕は思う。それにそのチョコ、どうするつもりなのさ」

「どうしようね。でもさぁ、なんかもう、ぽっきり心が折れちゃったっていうか、仮にあの現場が思っていたのと違っていたとしても、なんか、なんだかね、わたしぜったいもうむりだ!って思っちゃったんだよね」

 鼻を啜る音を誤魔化すようにあははと声をあげて笑う。静かな教室で響く笑い声は、意思に反して惨めさを際立たせた。

「もう、もうさぁ、貰ってくれない?それであんたの恋心なんてこんなものだったよって言ってくれない?」

 チョコが嫌いと知っているのに、押し付けもいいところだ。この恋は、彼女と私の間には何ら関係のないことで、それを二人の間に持ち込もうとしているという行為が相手に失礼なことだと自覚しながらも、言わずにはいられなかった。

 鞄からごそごそとラッピングされた箱を取り出す。突発的に昨日思いついたなんて嘘だ。ほんとはひと月前から色々調べて、練習していた。こんなことなら手作りなんかじゃなくて、ちょっと良いお店のを買って大学合格おめでとうございます、って友達の顔で渡せばよかった。

 ぐずぐずしながらごめんね、と謝ろうとしたら、ふと視界が暗くなる。理解が追い付かなくて、この瞬間指一本動かせなかった。

「これ、おれにくれるんじゃないの?」

 ひょいと机の上に置いていた箱が視界から消える。慌てて頭上を見上げると不機嫌そうな顔の先輩と目が合って、思わず声にならない悲鳴が漏れた。

「来るの遅い、タイミング悪すぎ、どう考えても告白でしょみたいな呼び出し受けといてその前に別の女に会う神経どうにかしたら?」

 ぽんぽんと飛び出る言葉のナイフの持ち主は当然私ではない。隣の彼女が心底嫌そうな顔で先輩を謗っている様子に目を白黒させている間、当然の様に箱は先輩の手元にあった。

「いや、僕の兄が悪いね。黙ってたことも含めて」

「妹がいつも仲良くしてもらってるみたいで……」

 人生の中で一番間抜けな顔をしている自覚がある。ぽかんと二人の顔を見つめると、いつか伝えたことがあるように確かに似ていた、よく考えたら苗字も一緒だった。あれ、わたしってこんなに鈍い人間だったっけ。

 パズルの最後のピースがはまるみたいに全体像が見えて、慌てて彼女の手を掴んで頭を下げた。

「ごめん!友達がお兄ちゃんのこと好きとか普通に嫌だったよね!?面倒だったよね!?」

「ちょっと顔上げてよ、君が酷い目に合わないって分かるなら僕はその辺はどーでもよかったし。最初のほうに止めてたのはこいつが下半身の緩い男だったからだから」

 続けてそれにほら、と今日一番いい笑顔を浮かべた。うわ、やっぱりかっこいい。これってわたしがこの遺伝子に弱いだけなのかな。

「兄さんが本気で好きになった子連れてきて、その子が僕に惚れちゃったら可哀想だろ?その点君なら友達だから問題ないし」

「たしかに……」

「あ、そこ納得しちゃうんだ」

「じゃあ僕このあと呼ばれてるから、あとは二人で話し合ってね。じゃあ」

 颯爽と去っていく後ろ姿を見て、やっぱりモテそうな後ろ姿だなぁなんて現実逃避する。かき回すだけかき回されていったような気がしなくも無いが、私たちは恨み言を言えるような立場では到底ない。

「その、どうぞ、それ」

「ん、ありがとう。今度は申し開きあるからしていい?」

「ど、どうぞ」

 ありがとう、とまた眉を下げて笑った。事実が分かった今では笑った顔も似てるなぁと場違いに頭の片隅で考えてしまう。

 自分だけ座っているのも居心地が悪くて椅子を引いて立ち上がり、姿勢を正す。混沌とした現状に逆に冷静さを取り戻していたので、先ほどまでのやけになっていた自身の態度に顔から火が出そうなのを取り繕う。

 気づかれているのかいないのか、先輩は真面目くさった顔で、聞いたことのない緊張した声音で話し始める。

「さっきの見られていたってことでいいんだよね?はは、べつに怒ってないからだいじょーぶだよ。で、そう、あの子ね、おれの友達のことが好きらしくてさ、三年は今学校来てないじゃん?あの子も忙しかったみたいだから俺が代わりに渡すように頼まれたんだよね」

「……大変申し訳ない勘違いをしていましたようで」

「いやだから謝らないでよ!?」

 上体を曲げようとしたところを肩を掴まれて無理やり止められる。え、と声が漏れた。

「おれ、女あそびみたいなことやめて、他の皆にも思わせぶりな態度?ていうのもやめて、結構わかりやすかったと思うんだけど」

「手……」

「えっ、うわっ!ごめん!」

 信じられないものでも見るような顔をしていたのかもしれない。彼はばっと手を離して、降参するように両手をあげた。パニックになっていることがバレるのも悔しかったので、なんでもないように「別にジュースでもかけられたあとじゃなきゃ気にしませんよ」と可愛くないことを言ってしまった。なけなしの可愛げを全部あの箱の中に置いてきてしまったのかもしれない。

「ほんとに、嫌じゃない?」

 困った顔をされると、このひとの方が可愛いんじゃないかと思わされる。少しくらい私もどうにかした方がいいんじゃないか、なんてらしくないことを考えて、彼の右手を両手で包むように掴んだ。

「ほらね…………なんちゃって」

 すぐに恥ずかしくなってしまって、慌てて手をほどこうとする……が、掌側に添えた手が恋人つなぎの形で絡められてしまった。ぎょっとして先輩の顔を見上げる。先輩顔赤いですよとか、先輩甘いもの好きだしバレンタイン好きそうですよねとか、おどけてふざけて揶揄ってしまいたかったけど、全部が思ったより強い手の力で抑えられてしまった。

「好きです、おれと付き合ってください」

「……ホワイトデー、楽しみにしててくださいね、せんぱい」

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