2.

 硝煙を燻らせる銃口を眺め、田村が息を呑む。

 360m/sで放たれた弾丸は地面を小さく穿って沈黙していた。


「警告だ。……分からんだろうが」


 綾城は再び構えを対峙する"なにか"に向け、静かに深く息を吸う。

 目の前で蠢くそれは何も言わず綾城を見つめていた。飛び出た手足を振り乱すその様は困っているようにも見える。

 見上げるほどの真っ黒な巨体のどこにも顔らしきものは見当たらず、ただヒトの肢体をコールタールの塊に突き刺したようなこの物体をこんな小さな拳銃でどうにか出来るとは彼にも思えなかった。


「やっと、見つけたぞ。この町で好き放題やってたのはお前だな? 目的は何だ」


 "それ"は答えない。もとより、言葉が通じるなどと期待はしていない。


「お前を捕まえて牢屋にぶち込んでやりたいところだが、手錠が足りないな。投げ網でも持ってくるんだったか」


 怖れを怒りで封じ込め、綾城は言葉を投げかける。ここは人の世だ。人が人の言葉を使って何が悪い。


「分かるか? ここはお前のいていい場所じゃない。どこから来たか知らないが、今すぐ帰れ。でなきゃ……俺がお前を殺してやる。刺し違えてでもな」


 銃のグリップを握る手に力を込め、睨み付ける。言葉が分からずとも敵意くらいは伝わるだろう。


「け、刑事さん……本気で……?」


 田村が呟く。腰を抜かした様子ではあるが、まだ辛うじて正気を保っているようだ。


「お前が何者だろうが、これ以上好きにさせてたまるか! 人間を……舐めるな!」


 叫びながら一歩前に出る。後のことなど考えていない。

 ここで退いたらどうなるかの方が、よほど恐ろしく思えたからだ。

 と、"なにか"が悲鳴のような雄叫びを上げ、ほんの僅か後ろに下がった。

 何故かはわからないが、苦しんでいるように見える。まさか通じたのだろうか。


 瞬き一つせず様子を窺っていると、それは蹲るようにして姿勢を下げた。脈打つように震え、身体の前半分を揺らしている。


「どうしたってんだ……?」


 そのとき、銃を構えたまま困惑している綾城の脳裏に声が響いた。



 嫌だ。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 やっと見つけてもらえたのに。

 やっと気づいてもらえたのに。

 どうして。どうして。どうして。どうして。

 

「こいつ……」

「──うわぁああああっ!」


 田村が叫ぶ。我に返った綾城が目にしたのは、黒いタールの身体からいくつもの異形が這い出てくる瞬間だった。

 狂ったように悲鳴を上げる本体から産み落とされたのは、百足のように脚が無数に生えた髪の長いもの、音を立てて首を振り乱すもの、ドロドロに溶けたもの。そして、目玉のない、どこかで見た顔のもの。


「嘘だ……嘘だ、嘘だ! 奈緒、そんな、嫌だ……嫌だ……」


 田村が泣きながら崩れ落ちる。

 意にも介さない様子のそれらはこちらを視認すると、ゆっくりと歩み寄った。


「やめろ……来るな!」


 とっさに引き金を引き、二度目の銃声が木霊する。

 百足の異形に命中したが、怯んだ様子はない。


 鋼の意志を持ってここにやって来たはずの綾城は、それを酸で溶かされたかのような感覚を覚えた。

 逃げようにも、これ以上は一歩も動けそうになかった。


「……くそっ」


 銃を構えた両腕をだらりと下ろし、綾城はうなだれた。


「ごめんな、千尋。……助けてやれなかった。兄ちゃんはここまでみたいだ」

 

 うわ言のように呟いた綾城が天を仰ぐ。



 頭上にはただ、貼り付けたような闇ばかりが広がっていた。

 

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