第三章 影踏み
1.
「それにしても暗いな。この公園、明かりはないのか?」
懐中電灯を手に先頭を行く綾城が不満を述べる。
広い敷地に街灯の類は見当たらず、乱立する桜の木や大きなプランターは何の変哲もない公園を迷宮に仕立て上げていた。
「変、ですね。いつもはちゃんと街灯点いてるのに……」
田村が困惑した様子で答え、
「夜ってこんなに暗いものでしたっけ……」
千尋も思うところを述べる。
入り口までは辛うじて届いていた遠くの街明かりも木に遮られ、辺りは黒く塗り潰したような闇に包まれていた。どうもうっすらと霧も掛かっているようで、数歩先にある木の幹ですらよく見えずぶつかりそうになる。
「今夜は月も出てないみたいだしな。自分の足元はスマホのライトで照らした方がいいかも知れん」
言われてふと思い返す。
ここ数日の間、月を見た記憶がない。
眠らない都会の明るさに慣れて意識していなかっただけかとも思ったが、それにしても。
「もしかして、この暗さも──」
言いかけた言葉は視線の先に消えた。何かが木々の間を横切ったのだ。
「どうした?」
「今、誰か……っ!」
思わず踏み出した先に見覚えのある後ろ姿を見つけ、千尋は駆け出していた。
「──恵子!」
「おい、待て!」
綾城の静止にも耳を貸さず、千尋の背中は瞬く間に闇へと溶けていった。
突然のことに残された二人はしばし立ち尽くし、致命的な数秒間を呆然と過ごしてしまった。
「お、追いかけなくていいんですか!?」
「……ダメだ。この視界の悪さでお互いに動くと合流のしようがない。明かりを点けて、こっちの居場所を報せ続けるしかない」
押し殺したような声で綾城が答える。
千尋には口が裂けても言えなかったが、これまでの経緯を思うと橋田恵子の生存が絶望的であることは疑いようがない。
それでなくともこんな場所で、声も掛けず姿だけ見せることなどあり得ないのだ。
一連の事件が仮に人間の手によるものでないのなら、逸れてしまった時点でこちらの負けなのである。
そして綾城はようやく自分達が誘い込まれていたことに気付いた。
闇の中で"何か"を孕む、怪物の胎内へと。
「田村くん、離れるなよ。……まずは君を部屋まで送り届ける。あのバカを探すのはそれからだ」
「で、でも刑事さん……」
「市民の安全を守るのが俺たちの仕事だよ。あれは業務外だ」
不安を与えぬよう、綾城はせめて笑って見せた。
上手くできていたかは分からないが。
それでも田村が口を引き締めて頷くのを見届け、彼は随分遠くに見えるマンションの明かりを目指して歩み始めた。
「いいか、この先何が見えても、何が起こっても気にするな。絶対に立ち止まるな。これはただの帰り道なんだ」
「わ……わかり、ました」
彼の声は震えている。当然だろう。
日常は跡形もなく壊され、目の前で大切な人を奪われたのだ。その心の内は犯罪被害者となんら変わらない。
綾城は懐中電灯を握る手に強く力を込めた。
正義感からではない。義務感でもない。
怒りで恐怖を抑え付け、前に進むために。
全てを明らかにするために。
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