3.


 

 夕暮れを背負う環状線。綾城は運転を千尋に任せ、助手席でラップトップを睨みつけていた。


「これが、彼女さんのブログ?」

「……はい。間違いないです」


 問われた男、田村圭太は後部座席から覗き込みながら重々しく頷く。

 予想通りと言うべきか、彼自身に不審な点は見つからなかった。二人掛かりの──無論、余計な先入観は排した上での──入念な取調べはつまるところ、この若者が品行方正であることを証明しただけであった。


「……かわいそうに」

「……はい」


 バックミラー越しの田村は、千尋にも覚えのある表情を浮かべていた。

 もっと早く気を付けていれば何かができたのではないか。

 無意味と分かっていても、考え続けることでしか涙を抑えることができないのだ。


「刑事さん。俺、どうしたら」

「どうしたら、か……難しい質問だ。田村君、実家は遠い?」

「……? いえ、隣の市です。学校通うのに一人暮らしを始めたんですけど、ちょくちょく顔は出してます」

「そうか。なら、捜査の結果が出るまでは親元にいるといい。家の手伝いもバイトも勉強も全力でやって、とにかく忙しくすることだ。……忘れることなんて出来やしないんだから」


 ならばせめて考えずにいられるように。綾城の意図を理解した田村は何も言わず、ただ頷く。他人事とは思えず、千尋もぎゅっと唇を引き結んだ。


「しかし酷なようだが、これだけでは何も分からないな……。例えばそう、君たちが観たっていう映画。周りで流行ってたりするのかい?」

「いえ、特にそんなことは……もう何年も前の映画ですし、たまたま見つけて怖そうだったからレンタルしただけです」

「成程。となると、それ自体はただのきっかけか」

「……綾城さん?」


 話についていけなかった千尋が窺うように聞くと、綾城はいつにも増して神妙な顔でラップトップを閉じた。


「今回の事件そのものについて考えてた。この短い期間で立て続けに起きた割に、被害者は年齢層も職業も生活圏もバラバラ。動機も目的も一切不明。物証もない。捜査に携わる身としては正直お手上げなんだが……」

「共通点といえば『痕跡も残さず消えている』ってことくらいですもんね。本当に同一の事件なのかすら……」

「そう。だがそれは警察の常識で考えた時の話だ」

「ど、どういうことですか?」

「今回の事件はまず"現象"として見るべきだと俺は思う。つまり、それぞれのケースから共通点を探して原因を特定する。考え方としては感染症調査に近くなるかもな」

「……綾城さんは、この事件に"犯人"はいないと考えているんですか?」


 千尋がトーンを落とす。


「まだ何とも言えないな。……少なくとも、任意同行中の当事者の前で捜査方針の根幹は明かせない」


 言外にまだ被疑者であることを示唆された田村が気まずそうに肩を落とす。

 そしてそれに気づいた千尋は小さく「……すみません」と呟き、車内に重い沈黙が流れた。



〈目的地に到着しました。案内を終了します〉


 カーナビの無機質な音声案内が静寂を破る。

 一同は顔を見合わせ、自分の感じた違和感が間違いでないことを確かめた。

 車はまだ環状線を走っている。一般道に下りるためのインターはまだ先の筈だ。


「……壊れた?」


 千尋が惚けたように呟く。


「真上を通ったんじゃないか。たまにあるだろう」

「いえ……アパートは高架から離れてます」


 田村の一言で綾城のフォローも不発に終わり、車内は再び静まり返る。


〈目的地に到着しました。案内を終了します〉


 念を押すかのように音声案内が繰り返す。もう気のせいでは済まされない。


〈目的地に到着しました。案内を終了します〉

〈目的地に到着しました。案内を終了します〉

〈目的地に到〈目的地に到着しま〈目的地に〈目的地に〈目的地──


 綾城がカーナビを強制終了させ、音は残響を残して鳴り止んだ。


「……修理に出しといてくれ」

「了解、です」


 千尋は辛うじて答える。

 常識をかなぐり捨てて考えれば、これが警告の類であることは明らかであった。

 しかしここで引き返すわけにはいかない。

 

 怖れれば呑まれる。その一心で歯を食いしばり、千尋はアクセルを踏み続けた。




「……そこです。あの公園の奥」


 宵闇に包まれた閑静な住宅街の外れ。春を待つ桜の木立に覆い隠されるようにして、その建物はあった。


「思ったより広いですね」

「だな。田村君、駐車場はあるかい?」

「どこかにあるとは思うんですけど……すみません、免許も持ってないので教えてもらってなくて」

「そうか、まあいいさ。長居するわけでもないしここに停めておこう」

「警察が違法駐車……まあ一人で待ってるのも嫌ですしいいですけど……」


 文句を述べつつ鍵を掛け、千尋も後に続いて公園に足を踏み入れる。

 刺すような視線を感じたのは、気のせいだと思いたかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る