第18話 終幕
「もう、帰っちゃうの?」
『煉獄の使者』を斃した翌朝、<中華街>へ帰ろうとする北斗と那由他に、別れを名残惜しむ静香ら高田町の人々が、町の外れで二人を見送る中、RVに乗り込んだ北斗に、静香はもの憂げな表情で呼び止めた。
「ああ。<中華街>でやらなきゃならない事が沢山あるんでね」
「……そう。――そうよね、今の関東平野に住む皆んなには、それぞれ役割があるのだからね」
静香は、未だ自分が非力で情けないと思っているのか、力無く頷いた。
北斗は、静香に秘められている『ルルドの泉』の力の事を未だ教えていなかった。静香が、自分は誰かの為に何かをしてやる事の出来ない余りにも非力な存在だと悔やんでいる事は知っている。しかし、だからといって、静香にその秘められた力を教え、それが原因で命を狙われた事を語る程、北斗は無神経では無い。もう少し、静香の周りが落ち着いてからでも遅くは無かろう。
「町の方が落ち着いたら一度、芳光君と一緒に<中華街>に来なよ。ゆっくり案内するから――」
そこまで言って、不意に、北斗は何かを思い出し、運転席から身を乗り出して静香の方を見て、
「……そうだ。またいつか、君の歌を聴かせてほしいな」
「……ええ」
静香が漸く微笑んでくれたので、北斗は安堵の笑みを零し、RVを発車させた。
小さくなっていくRVを見送りながら、静香は無意識に、北斗が好きだと言った自分の歌を口ずさんでいた。
思っていた程、自分は非力では無かったのだ。少なくとも、あの人には。
いつの日にか、彼らが取り戻してくれるハズの平和な世界で、もう一度歌いたい。静香はそう心から願った。
発車したRVのバックミラーに映る静香達の姿が、見る見るうちに周囲の景色に溶け込んで行く。やがて見えなくなった頃、北斗は思い出したかの様に那由他の顔を見た。
助手席に座る那由他は、何故か不機嫌そうだった。
「どうした、那由他?」
「……やけに親切じゃない、北斗?」
那由他は膨れっ面をして北斗の顔を睨む。
「北斗がこんなにアイソがいいの、はじめてみたわ。――なンかいいことあったの?」
ドキッ!「な、なんも、無ぇよ」
「なに、ビクビクしてんのよ……?」
妙にうろたえる北斗に、那由他は疑心の眼差しをくれた。
「お、お前が脅かすからだぞ!――本当に何も無いって!」
「……ふ~ん」
動揺する北斗に未だ疑念を残しつつ、那由他はそれ以上追求する事を止めて前を向いた。
(全くよう、心臓に悪い事言いやがって……)
取り敢えず、ほっ、と胸を撫で下ろす北斗であった。
「――あ。北斗のクチビルにクチベニがついてる」
ぼそり、と呟く那由他の言葉に、北斗は驚愕して急ブレーキを掛けた。
「ば、莫迦な!」
赤面してうろたえる北斗は、慌てて己の唇を指で強く擦って拭いた。
唇には、口紅の『く』の字も付いていなかった。北斗は赤面の色を怒りのものに変えて那由他を怒鳴った。
「――那由他! 人を驚かせるのも好い加減――?!」
言い切る刹那、北斗の怒りの顔が凍り付く。
那由他は北斗に『炎の錫杖』の先を向けていた。
その幼く可憐な顔は、怒りで爆発寸前だった。
「……な……ゆ……た……?」
見る見るうちに青ざめる北斗の耳には、血の気の引く音が、宛らナイアガラの滝の滝壺へ流れ落ちる濁流が生み出す轟音の如く聞こえていた。
「……北斗。あたしというものがありながら……!」
「まままままま――、待て!話せば判る!あれは不可抗力だったんだ!」
「モンド~~ムヨ~~!!」
那由他は舌足らずな叱咤と共に、北斗に向けている『炎の錫杖』の力を解放して火炎を放出した。
間一髪、RVの運転席から飛び出して逃げ出した北斗は、その直撃を免れた。
「このウワキもの!おしおきよ!!」
北斗の後を追って、那由他もRVから飛び降り、逃げ回る北斗に火炎を放射し続けた。
* * *
たとえ『闇壁』に包まれていても、関東平野を照らす太陽は今日も当たり前の様に昇りつめ、当たり前の様に沈み行く。自然の摂理には変化は無くとも、しかし隔絶された人々には進化の兆しが見えていた。
その兆しがある限り、人々はこの悪夢の様な世界でも強く生き抜いて行けるハズである。
只、この朝日の心地よい淡い日差しの中でこんなふうに毎度の如くドタバタを繰り返している北斗と那由他の関係だけは、当分進化する事は無かろう。
完
魔界武刀伝 斬撃の夜摩 arm1475 @arm1475
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