第17話 決着

「ラフィ様!あれを!」


 南の方角で突如走った閃光に気付いたロバートは、『多摩川の障壁』を見ていたラフィを慌てて呼んだ。

 ラフィは徐に南へ振り向いた。南方の暗天で辛うじて判る黄金の鳳凰の形を視界に捕らえると、ラフィは実に安堵感に満ちた笑みを零した。


「……『瘴気』の元は絶たれた様ですね」


 ラフィの背後にそびえている『多摩川の障壁』は、先刻の様に轟音を立てて光り輝く事をいつの間にか止めていた。

 満足そうに微笑むラフィの脳裏には、炎の様な一人の少年の泰然たる姿があった。

 ラフィはやや俯き、少女の様にはにかんだ。


「……もう大丈夫です。私達も彼らの尽力に応える為に、これからも障壁の解呪に励みましょう」


 ラフィはそう言って再び『多摩川の障壁』の方に向き、厳かさを取り戻して静かに祈った。


     *    *    *


 北斗は、瓦礫の山の上に俯せになって倒れていた。

 <横浜アリーナ教会堂>を崩壊させた『気』の放出は、流石に北斗の気力を著しく消耗させた。

 又、その前に『煉獄の使者』から受けた『破黎拳』の魔法のダメージも、静香の『ルルド』の力を持ってしても完全に癒し切れなかった事もあって、『夜摩斬法・人の太刀・<鳳凰天舞>』を打ち放って間も無く、力尽きて昏倒してしまったのだ。

 その倒れている北斗の肩に、揺れる黒い影が差し掛った。

 千切れ掛った左腕を右手で押えながら、血塗れになってふらついている『煉獄の使者』であった。

 北斗の『気』の太刀に、瀕死のダメージを受けた『煉獄の使者』であったが、<鳳凰天舞>の狙いが那由他の上空にあった空間の歪みだった所為か、『気』の直撃を免れていた。

 しかしそれでいて、これ程のダメージを受けた事に、『煉獄の使者』は北斗に怒りよりも恐怖を覚えていた。


『……この男……き……危険過ぎる……!

 もし……この男が“あ奴”と手を組んで……我らに牙を向いたならば……!』


 戦く『煉獄の使者』は、右手を左腕から外し、貫手を放つべく身構える。

 支えを失った左腕は、ぶちぶちと音と鮮血を散らしながら千切れ落ちて行くが、『煉獄の使者』は苦痛を顔に浮かべるだけで、全ての意識を倒れている北斗の背に集中させていた。

 鮮血にその紅さを一層引き立てた左腕が、瓦礫の上に落ちて跳ねた瞬間、『煉獄の使者』は北斗に貫手を放った。

 その貫手が、北斗の背の上五センチ弱の虚空で、突然止まる。

 奇妙な事に、その貫手は垂直に昇り始め、やがてその手は『煉獄の使者』の顔の方に引き戻されていた。

 『煉獄の使者』は宙に浮いていた。

 背後から何者かに頭を掴まれ、持ち上げられているのだ。


『――な……何っ?!』


 突然の事に愕然とする『煉獄の使者』は、右手で自分の頭を掴み上げている手首を掴んだ。

 ひんやりとした、まるで死人の様に冷たい手首だった。

 否、確かに死人であった。脈動が全く無い。見る事が叶うなら、きっと血の気の無い青白さを持っている腕をしているだろう。

 それを知った時、『煉獄の使者』は己を掴み上げている者の正体に気付いた。


『ま……まさか……!』


 『煉獄の使者』はその者の顔を思い浮かべた時、ふと、何故か那由他の顔も思い浮かべた。

 似ていた。まるで――


『そうか! あの小娘、貴様の――!』


 『煉獄の使者』の閃きは、最後まで響く事は無かった。

 『煉獄の使者』の頭を掴む手に急速に力が込められ、メキメキと音を立てた後、『煉獄の使者』の頭は、ぺき、と飽気無い音と共に粉砕されてしまったのだ。

 『煉獄の使者』の閃きを断末魔に変えたのは、彼の頭を握り潰した冷たい手の仕業だけでは無かった。

 言い切る刹那、突如立ち上がった北斗の『迦楼羅』の一閃が『煉獄の使者』の脇腹に届き、空を切る様な手応えの無さで、その身を上下に分断させたからである。

 首と腹から鮮血を流す『煉獄の使者』の上半身は目に付く程真っ赤に染まり、潰れた頭部を握る青白い手が開くと、闇を紅く染めながら、瓦礫の上に先に転がった下半身に重なる様に落ちた。

 北斗は打ち放った『迦楼羅』を鞘に収め、振り返って『煉獄の使者』を掴み上げていた青白い手の主を見た。

 月光を背にする、異様に巨大な影がそこにあった。

 二メートルは優に越すその巨影は、左腕に昏睡したままの那由他を抱き抱えていた。

 巨影は、高田町を襲った〈魔物〉の群れを壊滅させた、あの美しき魔人だった。


「流石だな。あの崩壊の中から良く助け出したもんだ」

「早く受け取るが良い」


 魔人の素気無い言い方に、北斗はやれやれ、と呆れ顔で洩らし、魔人が差し出した那由他の身体を受け取って抱き抱えた。

 北斗は、抱き抱える那由他の昏睡する寝顔に、ほっ、と安堵の笑みを零した。


「後は頼むぞ」


 そう言って魔人は闇よりも濃い漆黒のマントを翻して踵を返し、その場から立ち去ろうとする。

 それを北斗は慌てて止めた。


「待て! お前、このまま去る気か?」


 すると魔人は歩みを止め、北斗の方に振り返った。


「……いつぞやの決着を着けたいのか?」


 錆びていても、その含みの冷たさは変わらなかった。ましてや、この世ならぬ魔人が吐いた為に、相手を威圧する迫力は、言語を絶する凄じさを帯びている。

 それを北斗以外に耳にした者が居たならば、皆、全身に泡立つ思いは避けられまい。

 北斗であったからこそ臆する事なく、笑って見せた。


「野暮野暮。楽しみは後に取って置くもんさ――せめて、那由他が目覚めるまで居ろよ」

「断る」


 つれなく答えると、魔人は再び踵を返して歩き出した。

 その余りの冷淡ぶりに、暫し飽気にとられた北斗だったが、直ぐに我に返って慌てる。


「待て、こら! お前がこの辺りでうろうろしているって聞いたから、業々御膳立してやったのに!――それでも人の親かぁ?」

「儂は人ではない」


 魔人は振り向きもせず言う。


「んー、そういやそうだな。――お前ぇなぁ……」


 北斗は飽きれつつ、魔人を睨み、


「幾ら暖かい人の血が通っていなくとも、お前は那由他の父親だろうが?」


 北斗に強い口調で叱咤され、漸く魔人はその歩みを止めた。


「……先刻も言うたが、儂は人ではない。――しかし、その心遣いは、有り難く貰う」

「……『不死王』」


 僅かに顧みた魔人の横顔に、穏やかな微笑が浮かんでいた事を、北斗は見逃さなかった。


「……北斗。那由他を頼むぞ」


 そう言って、魔人は闇の奥に消えて行った。

 漆黒の背を黙って見送る北斗には、その後ろ姿が、先程の刹那に伺えた笑みが嘘の様に思えるくらい、寂しそうに見えた。


「……無理しやがって。――だが、寄り道した甲斐は、少しはあったな」


 そう呟いて、北斗は再び抱き抱えている那由他の寝顔に笑みを零した。


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