第16話 迦楼羅

『ど、どういう事だ、これは!?』


 『煉獄の使者』は、余りの事に愕然とする

 その澱んだ両目には、全身から眩むばかりの光を放ちながら、瓦礫の山を崩して雄々しき影が立ち上がる姿が映えていた。


「くたばったかと思ったか?」


 北斗の全身を取り巻く光は次第に薄れ行き光を発していた唇の中に吸い込まれる様に消える。消え行く光の下から現れた、生気溢れる無傷の北斗は、不敵にほくそ笑んでいた。


「生憎、俺の名は伊達じゃないんでな。俺と同じ名前のお偉いさんが、手前らを裁くまで落ちて来るなと言うのさ」


 青眼に構える『迦楼羅』の剣先を、『煉獄の使者』の眉間に重ねて睨むその瞳には、猟犬が獲物を見据えて離さない様な、凄絶な光が宿っていた。


「それにしても、奇跡が二度も起きるとは思わなんだ。――否、これがさっき貴様が口走った、静香君の『力』の様だな?」

『ぬ――――!?』


 『煉獄の使者』は漸く、北斗の唇から発せられていた奇妙な白い光の秘密に気付いた。


「『聖水』と同じ効果を持った光だったな……『ルルドの泉』、か」

「貴様、『ルルド』を知っているのか?」

「触り程度なら。 フランスとスペインの国境ピレネー山脈にあるルルドって小さな町の洞窟にある、万病を治す聖水が湧き出る奇跡の泉があるが、それと同じ効果を持った体液を備えた者が時折現れる、とラフィ様から聞いた事があった。

 成る程、これは確かに凄い『力』だ。どんな重い怪我や病気だろうが、僅かでも相手に『活力』が残されていれば、その『活力』を急速に増幅・活性化させる事で瞬時に癒してしまうのだからな。

 もっとも、触媒だけでは何の効果も無く、源たる彼女の祈りが無ければ、只の体液に過ぎないが――二度も同じ『力』に助けられるとはマジで奇跡としか言いようがない」


 そう言って北斗は左人差し指の先で唇に触れる。少し、気恥ずかしさが甦った。


「……本当、見事な御守りだよ」

『おのれ――しかし今更、奇跡が起ころうが貴様が立ち上がろうが、<道>は開かれておる! 無駄な足掻きは止せ!』

「なら、塞ぐまで」

『何だと?!』


 愕然とする『煉獄の使者』を前に、北斗は瓦礫の上で『迦楼羅』を構えたまま両目を瞑った。

 北斗は大きく深呼吸をする。――それに呼応したかの様に、月光が届かぬ暗闇の中で『迦楼羅』の刀身が青白く光った。


『何――刀身が闇の中で光るだと?』

「<夜摩斬法>には三つの流法がある。その一つ、<地の太刀>は――」

『小賢しい!』


 『煉獄の使者』は魔鞭を北斗目掛けて撃ち放った。


「<土飛沫>!」


 魔鞭が撃ち放たれたのと同時に、北斗は『迦楼羅』の刃先を下に向け、瓦礫の山に突き立てた。

 突然、『迦楼羅』が突き立てられた箇所から、『煉獄の使者』の足許に向かって亀裂が駆け抜ける。そして亀裂の中から土くれが勢いよく吹き上がるや、北斗の言葉通り土の飛沫と化し、迫り来る魔鞭を引き裂いて、『煉獄の使者』を弾き飛ばしたのである。


「……<地の太刀>は、今の様に土くれや月の光と言った、自然界に存在する物を使って攻撃する太刀。そして、<天の太刀>は――」


 そう言うと、北斗は再び『迦楼羅』を青眼に構え直し、何やら小声で呟き始める。『迦楼羅』の刀身がその呟きに呼応するかの様に白く曇り始めると、北斗はゆっくりと上段の構えをとった。

 『煉獄の使者』は、<土飛沫>のダメージでふらつきながら立ち上がった。


「<氷爪>!」


 北斗は、『迦楼羅』の刀身が白一色に染まったのと同時に、『煉獄の使者』に向かって『迦楼羅』を振り下ろす。

 刀身が届く距離では無かった。だが、『迦楼羅』を曇らせていた白露が刀身から離れ、白い光のシャワーとなって『煉獄の使者』に襲い掛かったのだ。


『これは――四位の『嗅覚の魔導』、<氷波>の呪文!』


 『煉獄の使者』を襲った白い光のシャワーは、大気中の水分が凍結された事で生じた『ダイアモンド・ダスト現象』の煌めきであった。大気を凍て尽くす凍気は洩れる事なく『煉獄の使者』を襲い、炎を思わせるその紅い体表は凍結して白く染まった。


「<天の太刀>は『魔導』の呪文を『迦楼羅』に込めて放つ太刀。魔力に制限がある為に余り気安く使えぬが、<地の太刀>とは比べ物にならない程、攻撃力は高い」


 凄まじい凍気で満身創痍の『煉獄の使者』を一睨みすると、北斗は突然『迦楼羅』を鞘に収め、少し前屈みになって『迦楼羅』の柄を握り締める。

 それは、居合いの構え方であった。


「だが、<夜摩斬法>には<天の太刀>を遥かに凌ぐ太刀がある」


 北斗は、周囲の大気を全て吸い尽くすかの様に、再び大きく深呼吸した。そして祭壇に横たわる那由他の上空にある空間の歪みの方を見遣った。


「良薬も、度を越せば毒となる。貴様らにとって、人間の『活力』は糧であるのと同時に、貴様ら〈魔物〉を討ち滅ぼす刃と化す。――<夜摩斬法>最強の太刀、<人の太刀>の奥義はそこにある」

『……な……何ぃ?』


 『煉獄の使者』の弱々しい驚愕の声が漏れる。

 北斗は歪みの方に向いたまま、ゆっくりと『迦楼羅』の鯉口を切った。

 燃え上がる太陽の光の様な黄金色の光が一本の刃と化して、漆黒の闇を分かつ。――『迦楼羅』の鞘と鍔の僅かな透き間からそれは漏れていた。


『これは!――『気光』!?』

「そうだ。貴様ら〈魔物〉の糧たる『活力』が放つ光だ。『迦楼羅』が俺の『気』を吸収して『気光』を放っているのさ」

『ばかな……これ程のものとは……!』


 凍り付きながらも、『煉獄の使者』はその光の凄じさに気圧され、図らずも無意識に後退りし始める。凍り付いた皮膚が粉雪と化してぱらぱらと落ちていくが、『煉獄の使者』はその事に気付かずに、『迦楼羅』から放出されている『気光』から逃れようと周章狼狽しているのだ。


『たかが……虫けら風情の人間が……これ程の力を持つとは……』

「……ふっ」


 狼狽する『煉獄の使者』に北斗は失笑する。


「未だ気付かぬとは、哀れな奴」

『何っ?』

「半年間――この『闇壁』に閉ざされた関東平野で、我々人間が、貴様らの影に怯えながら細々と生きているだけの虫けらとしか見ていなかったのか?」


 北斗はほくそ笑みながら『迦楼羅』の柄を握り、鞘から更に引き抜いて『気光』の光を大きく広げる。その光の余りの勢いに、『気光』の源たる北斗でさえ、眩しそうに目を細めていた。


「この『気光』――俺自身も、とんでもない大きさだと思っている。あの大異変によってこんな世界に閉じ込められなかったら、これ程の『気』を備える事は叶わなかったろう。――だが、これは俺だけに言える事じゃ無ぇ。関東平野に住む他の人々も、この約束された地で自らを高めつつあるんだぜ!」


 北斗の一喝。――同時に、黄金色に煌めく『迦楼羅』が鞘から抜かれ、黄金の光の尾を闇に舞わせる。

 鞘から抜けた黄金の光の尾が、北斗の体を取り巻いた。やがてその光は、北斗の周りで渦を巻き上げ、ある形を成した。

 巨大な光の鳥――鳳凰である。


「地獄に還った触れ回りなっ! 人間を、舐めるなとなっ!!」


 振り上げた『迦楼羅』の刀身に満ちる『気光』が一気に爆発し、アリーナ内の闇を全て光に変えた。


「<夜摩斬法・人の太刀>――」


 北斗は空間の歪みを狙い、光り輝く『迦楼羅』で突きを放った!


「<鳳凰天舞>!」


 『迦楼羅』の刀身を黄金色に輝かせている『気光』が轟音を立てて爆発する。

 北斗を取り巻いていた黄金の鳳凰が大きく羽ばたいて舞い上がり、那由他の上空にある空間の歪みに向かって行く!


『ぐぅおぉおぉおぉおぉおぉお!!』


 白く冷たく染まっていた『煉獄の使者』は迫り来る黄金の鳳凰によって周囲の瓦礫ごと吹き飛ばされ、光の中へ熔ける様に呑み込まれて消えてしまった。

 そして『煉獄の使者』を呑み込んだ黄金の鳳凰は、空間の歪みの中へ、それを貫く様に勢いよく飛び込んで行った。

 凄まじい『気光』を打ち放った北斗の輪郭がぼやけていた。突きを放った『迦楼羅』も燻っている。想像を絶する高エネルギーが『迦楼羅』から放出された為に、北斗の周りの大気が一時的に膨張しているのだ。

 北斗は、未だ燻りの収まっていない『迦楼羅』を振り払って煙を散らし、ゆっくりと鞘に収める。『迦楼羅』はチン、と軽い音を鳴らし、鯉口は閉まった。

 刹那。

 空間の歪みが突如閃光し、大爆発を起こした。

 空間の歪みから放出された閃光は、黄金の鳳凰の形を成し、一度大きく羽ばたく。そして<横浜アリーナ教会堂>の天井を突き破り上空の暗天を舞うのであった。

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