第14話 多摩川の危機
『多摩川の障壁』が突然、轟音を立てて荒れ狂った様に光り輝き出したのは、南の<横浜アリーナ教会堂>で、『煉獄の使者』によって<道>が開かれたのと同時であった。
「これは!」
夜も更け、今日の解呪を終了して近くのキャンプに引き上げようとした矢先、ラフィの警護をしていたロバートが光り輝く障壁を見て思わず声を上げて驚愕した。
「別の所で、障壁が破られたのです」
答えたのは、ラフィだった。
しかし、光り輝く障壁を見る彼女も、酷く動揺している様だった。
「もしや、冬斐様が?」
淡い期待に晴れた顔をして訊くロバートにしかしラフィは頭を振った。
「障壁は破られましたが、未だ、目の前にある障壁は消えていません。これは全く別の地点で、障壁内部へ通じる<道>が開かれたからです。しかも、この光り方はまるで猛り狂っている様に轟音を立てています。『多摩川の障壁』はその<道>を好ましく思っていないのです。恐らく――」
ラフィがそこまで言った刹那、突如、二人を包囲する様に、轟音を上げて地面が盛り上がり始めた。
「何――? これは!?」
噴き上がって弾け散った土砂の飛沫の中から、巨大な灰色の巨影が無数飛び出した。
何れも、人の形を成していた。相撲取りを思わせる肥満体のそれは、ユーモラスの欠けらも許さない、深紅の長爪を備えた異形の者であった。
得体の知れぬ灰色の巨影の群れに驚くロバートは、しかし咄嗟にラフィを庇い、手にする朱塗りの槍を構えて迎え撃つ。
「えぇい!よりによって、先に部下をキャンプに戻した時に現れるとは!」
「『妖灰』……ですね」
ラフィは、異形の者の正体を直ぐに看破した。
「死んだ人々の遺灰が、強力な妖波動を受けて寄せ集まった、偽りの命です。我々の様に段階を踏まずに、強引に障壁を破った為、その歪みから生じた妖波動によって浮かばれぬ人々の魂が迷わされてしまったのでしょう。しかし、これ程の数、解呪し切れるか……」
「ラフィ様、下がっていて下さい!」
ロバートは、自分達を包囲している『妖灰』の群れを見据えたまま、並の人間では、柱にして立てたそれを支えるのが精一杯の巨大な朱塗りの槍を、右手一本で軽々と頭上に掲げた。
「死して尚、魔に惑わされるとは不憫な。――この朱塗りの槍をもって、忌まわしき鎖を断ち切ってやろう!」
怒相のロバートは、水返しを持って頭上に上げた朱塗りの槍を、水平に振り回し始めた 回転する速度が早まるにつれ、空を切る朱色は轟音を上げて咆哮する獣と化す。穂先がやがて白い残光を宙に残した時、ロバートとラフィの周りには、槍の超高速回転によって疾風の渦が生じ、『妖灰』の進撃を阻んだ。
巨大な竜巻とも思える渦の中、ロバートは水平に振り回す槍をここぞとばかりに垂直に振り上げ、空いている左手も柄を掴んで天を貫く様に構えた。
「『青嵐槍華流・疾風断』!!」
気合いの入った掛け声と共に、ロバートは槍を振り下ろした。
穂先は、周りで渦巻いていた大気の流れに乗り、疾風と一つになる。柄を持つロバートの巨躯さえ持って行かれる程の大気の流れに穂先は水平に一回転して円を描いた。
まさか、その様な動きで『かまいたち現象』が生じるとは。水平に切った穂先は大気に真空を作り出し、渦の外周に居た『妖灰』達を一瞬にして全て、ずたずたに切り刻んだのである。何という大技か、北斗の『夜摩斬法』に負ける共劣らぬ、凄まじい威力である。
元、米国陸軍の特殊作戦部隊の指揮官だった男は、この国で体得した古武道を発揮し、一呼吸する。敬愛する聖女をその技で護れた事に、彼は満足感を覚えていた。
「……ラフィ様、すると〈魔物〉が結界を破ったのですか?」
ラフィは南の方角を見ていた。先刻、強い『瘴気』を覚えた方角だった。
「先程、あの方角で北斗が動いているとおっしゃいましたが……まさか、あいつが相手にしている敵が結界破りを?」
「……恐らく」
ラフィが頷くと、ロバートはやおらいきり立ち、勢いよく槍の穂を地面に突き刺して地団駄を踏んだ。
「あいつには荷が重過ぎたか……」
「信じましょう、北斗の力を」
ロバートを宥める様に言うラフィの横顔には、安堵に満ちた微笑が溢れていた。
「ラフィ様……」
「最早、この場にいる私達に出来る術はありません。――今は、彼の力を信じましょう」
南の方角を見つめるラフィの神々しい美貌は、視線の遥か先にいる若者に、絶対の信頼を覚えている様だった。
しかし、この様な危機に直面しても尚、あの若者の力を何故こうまで信じられるのだろうか?
斯く言うロバート自身、北斗の実力に信頼感を抱きつつあった。
この半年間で、北斗は父親に匹敵する実力を備え始めていた。しかも、今まで聞いた事も無い未知なる力さえ備え始めているのである。
ロバートがその事に気付いたの、つい最近の事であった。
一ケ月前、ヴァルザックの持つ道場で、ロバートは実戦経験の浅い者達を集め、対〈魔物〉の戦闘訓練の講習を開いた事があった。
火器類が無効化される今の関東平野内に於て、『魔法』以外に〈魔物〉を倒す術は、刃の付いた刀剣類を用いる以外無い。平和だった頃は、まさか真剣を持って切り合いをする日々が訪れようとは、誰も予想だにせず、文字通り無用の長物だった刀剣類を使いこなす訓練を行っていた者は、殆ど居なかった。その為、ロバートの講習には大勢の人々が挙って参加した。
講習に参加した人々の中には、学生時代に剣道で鳴らした有段者も居た。ロバートはそんな彼らと木刀を用いて立ち合いを行ってみせる事で、武具の使い方を知らぬ未経験者に実戦の感覚を教えようとした。
ロバートと相対した有段者の中には、自分の実力を鼻に掛け、横柄な態度で剣を交わそうとした者もいた。
だが、所詮は切り合いの真似事に毛の生えた程度の実力、木刀を構えるロバートに一太刀なりと浴びせる事は出来なかった。武具を用いての実戦経験の有無が、ここで明らかな差を生んだのだ。
唯一、ロバートと互角に渡り合えたのが、北斗であった。
北斗は、講習に参加する気は端から無かった。中華街の大通りの大掃除に参加しろ、と追い回す那由他から逃げ回り、偶々道場に隠れて居た処をロバートに見つかってしまい、那由他に付き出さない代わりに相手をしろ、と脅されたからであった。
北斗は渋々木刀を構えるが、相手がロバートであった為か、向かい合った時には真顔に戻り、ゆったりと剣を構える。
(ほう。剣を右斜めに傾けて構えたか。――『平青眼の構え』で来るな)
長剣による立ち合いの構え方では、剣先を相手の両目の間につけて胸前に真っ直ぐ突き出す『青眼の構え』がポピュラーである。
だが今、北斗がする『平青眼の構え』は少し違い、剣先を相手の左目につけ、刀身をやや右斜めに傾けている。
この事により、右の小手に隙が無くなり、かつ、即座に攻撃に移る事が可能になる。例えば、相手が上段の構えで切りかかって来た時、『平青眼の構え』の剣先は少し突き出す事で、自然と相手の小手を切りつける事が出来るのである。
(何だかんだ言っても、少しはやる気を見せているな)
先に仕掛けたのはロバートの方だった。
二回りも違う体格の優勢さもプラスされた上段からの一刀は、万全をもって備えていた北斗に反撃の余地を与えなかった。
辛うじて受け止めた木刀から伝わった衝撃は、北斗の身体を通して床板に届き、激しい音と共に床全体に広がって微震を生んだ。
北斗は受け止めたロバートの太刀を弾き返し、今度は自分から打ち込んで行く。
ロバートは手にする赤樫の木刀で、北斗の一刀を受け止める。他の者とは全く異なる手応えが、木刀を通じてロバートの全身を震わせた。
互いの太刀の手応えを確かめ合ってから、ロバートと北斗の激しい打ち込み合いが始まる。
互いの太刀は、決して相手の身体に切りつける事は叶わず、全て互いの木刀に遮られた。
木刀の激しくぶつかり合う音が道場一杯に広がり、二人の試合を見ていた他の者達の声援さえも掻き消してしまった。
果たして何回打ち合ったのであろう、ぶつかり合う木刀の音が最高潮を迎えた時、二人は木刀を打ち込んだ状態で静止する。
力尽きたのではない証拠に、刀身の一点で繋がった互いの木刀から、激しく擦れ合う音が聞こえていた。
静かなるパワー戦は、明らかに北斗には不利であった。二回りも違う体格が生み出すロバートのパワーに、止む無く北斗は左足を一歩後ろへ下がった。
だが、その一歩のみで北斗はそれ以上後退りしなかった。
「踏み止どまったか――何っ?!」
「ぅうおおおおおおおおお――――っ!」
咆哮し始める北斗の木刀から、凄まじいパワーが波の様に伝わってくる。
ロバートは押し込んでいたハズの自分が逆に押し返されている事に気付いて思わず驚愕した。
そして北斗の咆哮が高まった時、ロバートや試合を見ていた者達は、信じられないものを目撃する。
北斗が持つ木刀が、突如、白光を散らして輝き始めたのである。
そしてその木刀が光の剣と化した時、押し込み合っていた二人の木刀は音も無く砕け散り、その勢いで二人とも弾き飛ばされたのである。
砕け散った木刀の柄を持ったままふらふらと立ち上がったロバートは、同じ様に立ち上がった北斗から、今の現象はつい我を忘れて力をセーブし損ねた為に起きた事だと説明を受けた。
「力――とは、一体何だ?」
「誰もが持っている力さ。――そしてそれこそ、親父があんたをへこました『夜摩斬法』の奥義」
そう答えてにっと笑う北斗の顔は、かつて酔って暴れた自分を打ち負かし、地面に倒れていた処に手を差し延べた、自分の武術の師となった男の笑顔と瓜二つだった。
一ケ月経った今思い出しても、決して不愉快にならない、逆に心地よさをも感じる笑顔であった。
あの少年は、心身とも、初めて会った頃とは比べものにならないくらい強くなっている。
(あいつの実力は、ここに来て更に増している――まるで――)
ロバートは南方を見るラフィの横顔を見ているうち、心の中に広がりつつあった昏い色が、次第に晴れていく様な気がした。
ラフィも、北斗が、この世界の運命の行く末を担う、大いなる力の持ち主である事に気付いているのだろう。
ロバートは、何かを覚悟した様に穏やかな顔をゆっくりと南の方角に向け、自らの視線の消失点をラフィのそれと一致させるつもりの様に、遥か先で見分ける事の叶わぬ、瘴気の噴き上がる昏い空を見つめた。
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