第7話 潜入

 神奈川県横浜市、港北区高田町。四日前に〈横須賀〉の近くで、〈中華街〉屈指の剣士である夜摩北斗と、その相棒であり、自称〝北斗の奥方〟の那由他が助けた、加藤芳光が住む町である。

 麻布に魔封じの呪文が描かれた封印を張った木の杭と鉄柵で覆われた町の入口門前では、凄惨な光景が繰り広げられていた。

 巨大な身体を持つものが多い〈魔物〉の中で、比較的大きい方の部類に入る、『食人鬼』と呼ばれる身長三メートルもある巨大な亜人種の群れが、人々を襲っていたのである。

 しかし人々は逃げていたわけではない。町を守らんと『食人鬼』と戦っていたのだ。だが、その数と猛威は、大切な家族が入る自分たちの町を守ろうと立ち上がった戦士たちの意気を絶望に変えるのにそう時間はかからなかった。次々とその牙に下り、ただの肉片と化して大地に散華する光景は、地獄絵図であった。

 遂に人々が恐怖に負けて逃げをうとうとしたその時であった。逃げ遅れて転んだ血塗れの中年の男に飛びかかった三メートルもある巨影の頭頂から月光の如き青白い閃光が疾り抜けた。次の瞬間、地面にへたり込んで唖然とする男の両脇に、二つに分かれた『食人鬼』が突っ伏したのである。

 男は、『食人鬼』を二つにした閃光が駆け抜けた向こうにある、町の入り口の方を見た。

 あろう事か、『食人鬼』の群れは既に全部二つになっていた。いや、中には黒焦げになって居るものもあった。

 門の中で武装したまま見守っていた町の人々も、巨大な魔物を一瞬にして惨殺した青白い閃きを手にした一人の少年の姿を見た。

 それは夜摩北斗であった。北斗の背後には、芳光を庇うように『炎の錫杖』を手にして構える那由他もいた。

 北斗達はRVで〈中華街〉を発ってから川崎経由で車中一泊の後、翌日の昼前に高田町近くに着き、『食人鬼』の襲撃に遭遇したのである。人々の危機に気付いた北斗は、透かさず車を停めてから降り、愛刀の鯉口を切って飛び掛かり、瞬く間に全てを切り伏せてしまったのであった。

 北斗の凄まじい太刀筋に暫し飲まれていた高田町の人々は、北斗が刀を鞘に納めるのと同時に我に返った。そして、北斗の背後に居る、顔見知りの芳光の姿を見て、驚きの声を上げたのだった。


「――芳光!」


 その中でも、一際高く、それでいて、まるで舞台俳優の様に、各発音の音階のバランスがとれて耳障りにならない澄んだ綺麗な声で芳光の名を呼んだ者がいた。

 白地のデニムシャツの上にスタジアム・ジャンパーを掛け、洗いざらしのGパンを履いた、北斗と同い年位の美少女であった。

 背中まである長い黒髪をそよ風に揺らし、少女と大人の女の境を微妙に揺れ動くその聡明そうな美貌は、芳光の無事な姿を認めて、驚きと、喜びと、安堵感が複雑そうに入り交じった色を成していた。


「お姉ちゃん!」


 芳光は姉の姿を認め、弱っているハズの我が身を忘れて駆け出し、彼女の懐に飛び込む。

 今までの慕情が一度に爆発したのか、芳光は周りをはばからず、大声で泣きじゃくった

 芳光の姉はそんな弟にほっ、と安堵感に駆られ、感涙の笑みを零して弟を抱き締めた。

 那由他は、感動の対面をした姉弟を見て少し打たれ、瞳が潤んで零れ掛ける。

 北斗は相変わらず仏頂面をしていたが、ふと、鼻を打ちつつ微笑んでいる那由他にくれた一瞥は、何となく優しそうだった。

 そんな時、負傷した男を介抱する住人達の中から一人、北斗達の傍に歩み寄って来る者がいた。

 年配の男で、若い頃鍛え上げたのであろう肩の広いなかなか偉丈夫そうな身体の上に、人懐っこい顔を乗せている。


「……失礼だが、君らは何者かな?」


「あたしは那由他。こっちがあたしの亭――」


 そこまで言うと、那由他は横目でジロリと睨む北斗に気付き、


「――あたしのお兄ちゃんの夜摩北斗。<中華街>から来たの」

「<中華街>!?」


 偉丈夫だけでなく、他の住人達も素っ頓狂な声を上げて驚いた。今の関東平野内において、群れ成す〈魔物〉達を次々と蹴散らし、生き残った人々の細やかな平和を守っている無敵の『魔導士』達が多く集う『魔街<中華街>』の武勇を知らぬ者はいないという話は、決して誇張ではないらしい。


「何であの<中華街>から!――それより何故、芳光が君らと一緒に?」

「芳光君が行方不明になっていたのは御存じですか?」

「ああ。一昨日の朝方気付いて、今日も捜索を続けていた処だったんだ。一体、何が起こったのだ?」


 偉丈夫の問いに、那由他が答える。


「あのね、芳光君は〈魔物〉にさらわれて、<横須賀>に連れ去られてたんですよ。運よく、奴らの討伐に参加していたあたしたちが、芳光君を見つけて助け出し、事情を知って、お家まで送りに来たんです」


 そう言って那由他は、北斗にウインクをして見せた。


「そうだったのか……」


 偉丈夫は警戒を解いて安堵の息を洩らし、


「いやぁ、何てお礼を言ったら良いか…」

「いいんですよ。困った時はお互いさまですわ」


 那由他は、無愛想な北斗の分までにっこり微笑んで見せた。


「いやいや、それでは私達の気が済みません昔と違って此処まで来るのも大変だったのでしょう、ぜひ、お礼を…」

「どうする、北斗?」

「……別に急いでいないから、構わないだろう」


 相変わらず仏頂面の北斗に、しかし何かの合図を見たのであろう、那由他はほくそ笑んでウインクした。


「……じゃあ、遠慮なく」

「おお、そうですか!では、私の家にご招待を…おっと失礼、私は高田町の護衛団団長を務める野火と申します。芳光とその姉の静香の保護者です」

「保護者?」


 那由他はきょとんとする。


「ええ。あの姉弟の両親は、先の大崩壊の時は都内にいて……。二人の母親が私の妹なので、私が引き取っているんです」

「……そうだったの」


 頷く那由他の顔に、陰りが見えた。


「……酷かったモンね、あれは」


 那由他はうら悲しそうな貌を見せて、少し重そうな吐息を洩らした。

 そんな那由他の心に気付き、北斗は無言で那由他の肩に手を掛けて優しく微笑んだ。

 肩に手を掛ける北斗の手に、突然、力が込められたのは次の瞬間だった。

 肩を握られた那由他は、顔を顰めて北斗の顔を見る。

 北斗は何かを感じ取って周囲を警戒していた。

 それは、那由他が良く知っている、いつもの貌であった。

 北斗の、上下左右にゆっくり動く刃の様に鋭い眼光を放つ瞳は、やがて一点を狙って制止する。那由他は、その視線の果てにあるものを確かめようと、横目で追った。

 視線の果てには、白い影があった。


「――おお、これは司祭様!」

(『司祭』?)


 北斗と那由他は同時に眉を顰めた。

 司祭と呼ばれる白い影は、北斗達が良く知っている『エルフの聖女』と良く似た白いケープ姿で、彼女より頭一つ大きい体躯をしていた。肩まで伸びた黒い髪の中に収まる神経質そうな顔は、体調を崩しているのだろうか土毛色をしている。


「……この方々は?」


 司祭の口から、余り感情の籠っていない声が漏れた。


「は、はい。実は、例の行方不明になっていた芳光を助けてくれた少年達で…」


 野火は司祭におずおずとして答えた。


「……ほう」


 司祭はゆっくりと北斗達の方に歩み寄って来た。そして二人を嘗め回す様に視線を動かし、ふっ、と失笑にも似た溜め息を漏らした。


「……何と立派な若者達でしょう。今の様な殺伐とした世の中で、人助けという行為はなかなか出来ないもの。神も貴方達をきっと祝福されるでしょう」


 司祭は妙に不似合いな微笑を浮かべ、胸の前で十字を切った。


「……若き勇者達よ。是非、御尊名を……」

「夜摩北斗」


 北斗は、司祭を冷ややかに見つめながら答えた。


「……ヤ・マ?」


 司祭の澱んだ瞳が光る。


「……煉獄の皇『閻魔大王』の、もう一つの名と同じ名字です」


 そう言って、北斗の口元が僅かにつり上がる。良く見ていなければ気付きもしない変化であった。なのに、その曖昧な微笑には、充分過ぎる位な不敵さが満ちていた。

 暫し静寂の中で見つめ合う北斗と司祭。沈黙したまま見つめ合うそれは、まるで宿敵同士が、対峙している様であった。


「――あ、あたしは那由他。よろしく」


 妙な雰囲気を紛らわせようと、那由他も愛想笑いをして司祭に名乗った。


「――!?」


 すると司祭は、思い出した様に那由他の顔を見遣った。

 那由他の映える一対の瞳に宿る光は、何故か驚いている様に見えた。


「――ほう」


 那由他を見つめる司祭の貌が微笑む。妙に薄ら寒い、怪しげな笑みであった。


「………?」


 那由他はそんな笑みを前にして、背筋に冷たいものを覚えずにいられなかった。

 やがて司祭は、再び視線を北斗に戻した。


「……二人とも良い相をしている。汝らに神の祝福あれ…」


 そう言って司祭はその場から去って行った

 北斗は暫し、その白い背を見つめていたが那由他が青い顔をして怯えながら、己の手を掴んでいる事に気付いた。


「……どうした?」


 北斗に問われ、怯えていた那由他は、恐る恐る北斗の顔を仰ぐ。

 天頂にある、常に冷厳とするそれが、僅かに温かみを帯びているのを認めた那由他は、漸く安心して吐息を漏らした。


「……なんか……今の人……こわかった」

「怖い?」

「うん」


 那由他は、北斗の腕を掴む手に無意識に力を込めた。


「ぞっとするんだけど――なんか妙に、なつかしいものも感じたの…」

「……気の所為だろ?」


 北斗は何処か惚けた様にそう言うと、那由他の肩を引き寄せ、彼女の頭を胸に抱いた。

 那由他は、プロテクター越しでもはっきり感じられる北斗の心地よい温もりに、安堵の息を洩らして浅く頷いた。

 野火は、北斗と司祭の間に只ならぬものを感じ取っていたが、只の思い過ごしであったのだろう、と直ぐに結論を出し、静香、芳光姉弟と共に二人を自宅へ誘った。


     *    *    *


 いいかい、芳光君。俺達は只、〈魔物〉に誘拐された君を送りに来ただけ、という事にしておくんだぞ。

 何故って? 生け贄にされる君のお姉さんを助ける為に来た、って言ったら町の人達が俺達を追い返すに決まっているからだ。

 だから、俺達は秘密裏に動いてお姉さんを助ける。いいね?

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