第5話 月下にて

 夕映えの中、一台のRVが瓦礫の散乱する道路を疾走していた。

 『大気震』と〈魔物〉の容赦無い襲撃で崩壊した街並みを、専用のV6エンジンを搭載し、他の4WDを圧倒する二百馬力の出力を持つ猛牛の様なRV『ニュー・ビックホーン』を自在に駆る北斗のハンドルさばきには、一つも乱れが無い。良く乗りこなしている様である。


「……ねぇ、北斗。なんか遠回りしているんじゃない?」


 広々としてゆったりとする後部座席で、芳光の隣に座る那由他が、窓の外に後方へ流れ行く黄昏の色を眺めて、運転している北斗に怪訝そうに訊いた。


「たしか、大綱橋が落ちちゃったから、国道十五号から川崎を通って高田町に行くことにしたんでしょ?なのに、鶴見あたりでぐるぐるまわったりして……どうかしたの?」

「…一寸、気になる事があってな」


 そう言って北斗はフロントガラス越しに、左右へ広がる黄昏を伺う様に見る。そして、フッ、と吐息を漏らすとブレーキに足を掛けて車を止めた。


「どうしたの?」


 那由他は前座シート越しに、北斗の顔を訝しげに見つめて訊く。


「済まんが、今日は此処で一泊する」

「何で?」


 芳光も不安気に伺った。


「……大丈夫だ」


 北斗は後ろを向いて、芳光の未だ青白い不安そうな顔を見据え、


「何、明日の午前中には着く。急ぐ気持ちは判るが、君は未だ回復し切っていない身体だ。本当ならあと二、三日は横になっていなければならないくらいに衰弱していたんだからな。そんなヨレヨレの姿を見せたら、却ってお姉さんに心配をかける事になるぞ」


 そういって北斗は芳光の頭を撫でる。未だ顔色の良くない芳光の身体の事を、真面目に心配してくれる北斗の優しさに、芳光は黙って横になるしかなかった。


「でも、北斗。何でこんな所に止まったりしたの?」


 那由他に訊かれると、北斗は無言で那由他の顔を横目で見遣った。


(……ホント、アイソのないヤツよね)


 と、那由他は思ったが、それでいてこの無愛想な北斗の貌が、何となく微笑んでいる様に見えた気がして、実に不思議であった。


「気にするな。――只の、噂だ」


 那由他は今の言葉の意味が判らず、小首を傾げる。続けて訊こうとしたが、北斗は再度前方を見据えて黙り込み、何も応えようとはしなかった。


     *    *    *


 闇の中に、禍禍しい二つの光があった。

 獣の眼光である。

 血を欲した、飢えた獣の。

 獣の視線の果ては、北斗達が寝ているRVだった。

 血の渇いた喉を鳴らし、静かなる唸り声を上げて、獣が闇の中からRV目指して疾走する。

 疾風と化した獣の足が、急に止まった。

 RVの前に、一人の男が立っていた。

 夜摩北斗である。


「『狼人』か。この辺りでは珍しいな」


 北斗が迎える〈魔物〉、『狼人』。

 『狼人』は、獣人種に属する者である。獣人種と言う眷属は、普段は普通の人間の容姿をして秘かに人間達の中で生活している。だが一度、魔の気を受けると、瞬時に獣化して無敵の魔獣となり、生ある者の血肉を欲する様になるのだ。

 その獣人種の中でも、疾風を駆ける魔狼の姿を持つこの『狼人』は、多くの伝説に残されている程の最もポピュラーな魔獣であり、そして最も危険な――今夜の様に、満月の夜

では不死身に近い肉体を有する、屈強の〈魔物〉なのである。


「<横須賀>から迷い込んで来たか?」


 月の淡い光の中で、冷徹な北斗の口元が不敵そうにつり上がる。


「否。そうではないよな?」


 問い掛ける北斗の言葉に呼応するかの様に、『狼人』は北斗目掛けて飛び掛かった。

 しかし同時に、北斗も長刀の鯉口を切り、『狼人』目掛けて暗天に舞っていた。

 北斗の打ち放った閃きが、闇夜を疾走する。漆黒を切る音が後から届く北斗の凄じい音速の居合いの閃きは、暗天での交差の刹那に闇に染まった『狼人』の黒い身体を打ち抜いていた。

 二つの影は、満月の中で交差した後、何事も無かった様に着地し、再び向かい合った。

 北斗の太刀を受けたハズの『狼人』の身体には、全く傷が無かった。


「……満月の下では斬れぬか。流石は伝説の不死獣人、銀で造られた武具でなければ、致命傷を与える事は叶わぬ様だ」


 憮然として言う北斗をあざ笑うかの様に、『狼人』は耳まで裂けた口を開いて、荒々しく咆哮を始める。勝利を確信した謳歌であろうか。

 その咆哮が、ピタリ、と止んだ。

 獣の血に飢えた両眼には、北斗が握り締める長刀の閃きが映えていた。

 北斗が手にする、日本刀に思われていたそれは、作りこそ片刃の段平だが、何故か日本刀独特の反りが無い、直刀であった。悪い言い方をすれば、巨大な刺身包丁の様である。

 だからといって、それが粗悪な物とは決して言えない。

 刀身は玲瓏たる鋼の蒼さを湛えており、名刀と呼ばれる他の日本刀にも劣っていない。否、こちらの方が、もしかすると勝っているかも知れない。刃に宿る鈍く冷たい光を見ていると、何故かそう思わせるのである。

 この刀身に映える満月の青白い光は、鎬をにじる様に伝う夜露と化し、今にも刃から滴り落ちそうであった。


「銀ではないが、その源である月色に満ちた太刀を受けて、果たしてその不死性も無事で済むか?」


 不敵ささえも伺える泰然たる北斗の問いに、『狼人』は疾風と化して応える。


「その身で知るが良い。――<夜摩斬法・地の太刀>」


 北斗が手にする長刀の帽子が光の弧を描くのと同時に、再び『狼人』は暗天に舞った。


「<残月>」


 北斗の手の先にある閃きが、先刻以上の速度をもって月の露を散らしながら暗天を貫き、闇に滲む黒き影を打ち払った。

 ブッ!黒き影は、閃きの流れに逆らって二つになり、やがて紅く染まって地に落ちた。


「WOOOOOOOOOOOH!!」


 『狼人』が咆哮する。しかしそれは、肩から右腕を断たれた激痛から来るものであった。


「WOOH!莫迦ナ、月ノ光ヲ受ケタ刃ノ残像デ、月光ノ刃ヲ造ルトハ!?」


 北斗が放った今の一太刀は、『狼人』にとって理解の範疇を越えた現象であった。しかし無理もあるまい。残像が刃になるなど、明らかに人外の技である。

 人外の妖物を断つには、矢張り人外の技でなくてはならないのか。不敵に微笑を浮かべている、人外の技を使ったこの少年は、ある意味で〈魔物〉と同類なのかも知れない。


「オノレ~、ヨクモ俺ノ大切ナ右腕ヲ切リ落トシヤガッタナ!」


 怒りに燃える『狼人』は、鮮血を撒き散らす右肩を左手で押え、四肢の鋼の様な筋肉を隆起させて、北斗に今にも飛び掛かろうとする。

 突然、『狼人』はその怒りの表情を凍らせた。

 何かに、怯えていた。

 獣の顔を持つ『狼人』から、その様な表情を伺えるものかどうか判らぬが、しかし確かにこの獣人は、全身の毛を逆立て、わなないてさえいるのである。


「――糞ッ! ヤハリ、トンデモナイ奴ガオッタワ! 小僧! 今度会ッタ時コソ仕留メテクレルゾッ!」


 何かに怯えつつ、『狼人』は在り来りな捨て台詞を残し、灰色の疾風と化して闇の深みへ駆け去って行った。

 『狼人』を撃退した北斗は、憮然とした表情で、地に在る紅い影を見下ろしていた。

 奇妙な事に、転がっている『狼人』の右腕は、まるで字を間違えて『老人』になってしまったのか、肉体は潤いを無くし、枯れ果てた干物の様になっていたのだ。


「……余計な事を」


 苦々しげに漏らした北斗は、RVの方を見た。

 満月を背に受け、RVのボンネットの上に佇む黒い影、一つ。

 北斗は知っていた。『狼人』の右腕を〈月華〉で奪った時、この影はその場の全ての動きを凌駕した速度で、暗天に滲んで『狼人』と交差していた事を。

 まるで周りの闇よりも暗い漆黒のそれは、沈黙を守っていた。

 間もなく、幻だったのかの様に、それは満月の光の中に消えて行った。


「まあ、いい」


 北斗はふっ、と失笑すると、刀を鞘に収めた。


「これは厄介な事になりそうだ」


 そう呟きながらも、何処か不敵さを孕んだ笑みが、北斗の顔には浮かんでいたのであった。

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