第3話 魔街<中華街>

 横浜・山下町。

 横浜港に面したこの街は、東に山下公園、南に外国人墓地・港の見える丘公園を配し、更に、横浜港を南北に横断する、東方の夜空を彩る横浜ベイブリッジを一望出来る為、多くの若いアベックが、格好のデートコースとして多く訪れている。

 だがそれ以上に、この街には、古くから全国的に有名なある繁華街が在る事で知られていた。

 『横浜・中華街』。

 半年程前までは、国内一の中華料理の名店街として、美食に舌鼓を打つ者達の波で溢れ返っていた。

 だが、『闇壁』に閉ざされた現在では、かつての賑わいは、異邦の夢物語に過ぎない。

 現在この街は、中華料理やその道具や材料を売る店は全く存在しない。

 半年前の『大気震』によって、その殆どは只の瓦礫の山に変わってしまった。

 辛うじて生き残った人々の手によって、瓦礫の山を全て除けられ、全く別の街に生まれ変わったのである。

 今やこの街は、〈魔物〉と闘う為の剣や鎧、おどろおどろしい小動物のミイラや得体の知れぬ野草といった、『魔導士』達が『魔法』の補助触媒に用いる『魔具』を、店頭に並べて売る店が軒を連ねる、『魔街<中華街>』と呼ばれる場所に変わっていた。

 余りにも怪しげな雰囲気が漂うこの街にはそれに相応しい者が集うのは世の常か。<中華街>の『魔具』販売店の主人達は、何れもが一癖も二癖もある奇人揃いばかりである。

 中華街を東西に貫く『中華街大通り』を東門方面に進み、少し奥まった場所に店を構える魔具販売店『ジェイソン』の店主は元庭師で、比較的腕の立つ『魔導士』である。店内に置かれている『魔具』は、全て園芸道具に退魔処理を施したものだ。

 つい先日、店主は宣伝を兼ねたデモンストレーションと称し、全長二メートルもある愛用の特大特製チェンソーに退魔処理を施して、<横須賀>に赴いた事があった。

 そこで店主は、三昼夜にわたり、〈魔物〉相手に大殺戮、もとい魔物退治を繰り広げたのである。

 以来、電動チェンソーのモーター音が聞こえると途端に慌てふためき、怯えて逃げ出す〈魔物〉も現れる様になったという。

 結果的に『ジェイソン』の『魔具』は、武具よりも防具として高い評価を得てしまい、何とも皮肉な名声に店主は、『大気震』の時に発生した火災でケロイドだらけになってしまった顔を隠すホッケーマスクの下で、複雑そうな貌を造って沈黙した話は、余りにも有名であった。

 その『ジェイソン』の隣に、他の店の様に禍禍しい装飾も無く、質素でこぢんまりとした『魔具』販売店があった。余り繁盛していないのか、店内は静まり返っている。

 その店の前に、隣でのんびりと柄杓で道路に水を撒いていた『ジェイソン』の店主に会釈して、静かなその店内に吸い込まれる様に入った人影が一つあった。

 北斗である。


「おっさん、いるか」

「おう、北斗」


 カウンターから、この店の雰囲気に余り似合わない威勢の良い声が聞こえた。

 この店の主人である。

 ひよこのワンポイントの入ったエプロンと腰に掛けた大福帳と扇子は、商人のスタイルとしては御愛敬だが、がっちりとした体格を持ち、立派というより暑苦しい程の量の髭を蓄えたその顔に宿る一対の瞳には、一片の邪気を感じさせない清廉さがあった。この目に視つめられて、不快になる者は恐らく居まい。

 店の主人の名はヴァルザックと言う。

 北斗は、この主人が人間で無い事を知っていた。

 だが、〈魔物〉の眷属では無い。亜人種――ファンタジー小説等に良く出てくる、『ドワーフ』と呼ばれる、大地に属する精霊の種族だ、とこの主人から聞いていた。

 『ドワーフ』と呼ばれる眷属は、成人でもその背丈は那由他よりも低く、一・三メートル程しか無い。故に那由他は当初、ヴァルザックの事を『SD(スーパー・ディフォルメ)親父』と呼んでからかっていた事もあった。

 実に小柄な体躯だが、しかしそれに不相応な太さを持つ筋肉質な四肢に秘める怪力は凄まじいもので、綱引き勝負で成人男性が十人束になって掛かっても、その片腕一本でお釣りが来る程である。

 意外にも、この主人は『大気震』前からこの横浜中華街に居を構えていて、北斗とは旧知の人物であった。

 他にもヴァルザックと同じ眷属の者(ドワーフ)がこの街に住んで居るのだが、何故彼らがこの街に住んでいたのか、北斗は知らないでいる。


「相変わらずの偉丈夫だな」

「世辞はいい。つーか、昨日会ったばかりだろうが」


 北斗はすげなく言い、


「那由他は先に来ているか?」

「相変わらず淡泊な野郎だな。ああ、嬢ちゃんなら、一昨日お前等が担ぎ込んで来た怪我人の坊主を見舞っているぜ」

「そうか。なら、上がらせてもらうよ」


 北斗はカウンターのヴァルザックに一瞥もくれず、カウンターの下にある狭い通用口を潜り抜け、店の奥に入って行く。


「おい、待てや」


 ヴァルザックは、北斗の背中目掛けて何かを投げ付けた。

 北斗は振り返りもせず、まるで背中に目があって飛んで来るものが見えているかの様に、左手で右肩越しにそれをキャッチした。


「一昨日の『魔眼獣』の報酬だ。今朝、やっと調合し終えた逸品だぜ」


 北斗は、左手に収まったものを見る。


「これが、例の『ルルドの泉』の水と同じ成分の『聖水』か」


 鎖の付いた小瓶だった。コルクの栓で詰めたその中には、透明な液体が入っていた。


「そいつは嗅いで良し、飲む事でより効果的に使える様調合してある。何せこの有様だ、現物を手に入れる事が叶わないから、ラフィが所有していた成分表を元にして、漸く出来た。

 だけどな、完全とは言えない。試作品段階の物なんでな、今の処使えるのはそれっきりだ。

 この関東に、前にラフィが言っていた様な『力』の持ち主でも居れば、量産の目ところが立つんだが……。まあ、首にでも掛けて大切に取って置くんだな」

「有ン難よ。これがあれば、またあいつと殺り合う機会があっても少しは楽になりそうだ」

「あいつ、って……北斗、あの噂を聞いたのか?」

「ああ。昨日の夕方、薬草を取りに多摩川から戻って来たエリスから聞いた」

「……お前、まだ、あいつを斃すつもりでいるのか?」


 北斗が指す相手を知っているのか、ヴァルザックは少し困った様な顔をして訊いた。

 北斗はしかし何も応えず、その小瓶の鎖を首に掛け、そのまま店の奥に入って行った。

 店の奥の三和土を上がり、年季の入った、毛羽立った畳敷の居間にある襖を開ける。

 奥の居間には、フランス人形を思わせる様に、ちょこんと座っている那由他が居た。

 那由他は居間の中央で寝ている、一昨日助けた少年を看病していた。


「どうだ?」

「あ、北斗」


 那由他は、北斗が背後で屈み込んで様子を伺っている事に気付いて振り返り、


「朝、エリス姉ぇがラフィさん所に行く前に様子を見てくれたんだけど、だいぶ良くなったそうよ。昨日より顔色いいモン」

「それは良かった」


 素っ気なく言う北斗だが、その貌は僅かながら温かみを帯びていた。


「未だ意識は戻らないのか?」


 そこまで言った時、那由他の向かい側から微唾みに唸る声が聞こえた。


「……こ…ここは?」

「天国よ」


 那由他は目を覚ました少年に、にたりと笑って答えた。


「莫迦者」


 北斗は、那由他の頭を軽く小突いた。


「ジョーダンよ、もう…!」


 那由他は北斗に苦笑いしてみせ、飽気にとられている少年の方に振り向き、


「天国はザンネンだけどウソ。――まだ、地獄の中よ」

「そう…」


 少年は深い溜め息を漏らした。

 この『闇壁』の中に居る者達は皆、今でも朝、目覚めた時に、今まで己が遭遇した恐るべき出来事が、全て只の悪夢である事を信じたがる傾向にあった。

 しかし、数秒も経たぬ内に、全て現実である事を思い知らされるので、自分達は地獄に住んでいるのだと言い聞かせていた。それが納得出来ずにいる人間には、発狂するしかない。

 この少年の年齢は那由他より一、二歳下であろう。那由他もそうであるが、この幼い身で良くも生き地獄を堪えていられるものである。そんな少年の溜め息は、何とも痛々しい。


「つらいけど元気だしてよ。――でもキミ、どうして<横須賀>なんかにいたの?」

「えっ……」


 少年は思わず戸惑ってしまう。未だ、何処か不安そうな顔で辺りを伺っていた。


「おい。今の状況を説明する方が先だろうが」


 呆れた北斗は、後頭部を掻きながら那由他を睨んだ。


「……安心しろ。君が今居る所は、横浜の<中華街>だ」

「<中華街>!?」


 それを聞いた少年は、がばっ、と勢い良く跳ね起きる。少年の顔から、みるみる内に不安の色が晴れていった。


「<中華街>なんだね?――よかった」


 少年が此処を<中華街>と聞いて安堵したのも理由がある。

 それは、『闇壁』に閉ざされた関東平野の中で、この街が屈指の安全地帯であるからだ。

 先述の通り、此処は有数の『魔具』の販売店街となっており、必然的に優秀な『魔導士』達が集まっていた。その彼らが、この街を中心に半径二キロの広大・強大な結界を張っている事で、〈魔物〉は一歩も結界内に立ち入る事が出来ないのである。

 少年は安堵の息をついた後、ばたり、と背中から倒れ込んだ。


「ちょっと、ダイジョ~ブ?」


 思わず那由他は目を丸め、慌てて少年の額に掌を当てて熱があるかどうか確かめた。

 幸い、安心し切って力が抜けただけなのだろう、熱も無かったので、那由他は安堵の息を漏らした。


「気休めだ」


 そう言って、北斗は首に掛けていた小瓶を摘んで鎖から外し、コルクの栓を抜いて少年の顔の前に持ってきた。


「……それは?」

「薬みたいなものだ。嗅げば少しは楽になる」


 少年は、そう言われてみても未だ不安を覚えて戸惑うが、小瓶の中から嗅げるほのかな甘い香りを拒み切れず、すうっ、とそれを吸った。

 すると、少年の身体中に満ちていた虚脱感が見る見る内に薄れ出し、失われていた力が次第に甦って来たのである。


「すごい……! だいぶ楽になったよ!」

「完全に、とまではいかないが、明日にでも自力で起き上がれる位の体力は戻ったハズだ。

 さて、先程の様子だと、君は<中華街>に来るのが目的だったみたいだな」

「うん……」


 少年は浅く頷いた。


「何か事情がある様だな。良かったら理由を話してくれないか?」

「北斗ぉ~あんた、いきなりきくモンじゃないわよ。ここはまず自己紹介がマナーよ?」


 お前が言う?、と言いたげな顔をする北斗の胸を、那由他は無視して肘打ちで小突いた。


「名前いうの、わすれてゴメンネ。あたしは那由他っていうの。後ろにいる目ツキの悪い不良学生は、あたしの亭主の夜摩北斗」

「?!」


 少年は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして二人を見る。

 北斗は、那由他の後ろで、俯き加減に困憊に満ちた溜め息を洩らしていた。

 多分、毎回同じ事を言って彼を悩ませているのであろう、その姿には反論する気力は見られなかった。


「ねぇ、キミの名前は? どこから来たの?」

「え…」


 少年は戸惑いつつ、


「……加藤芳光。港北区の高田町に住んでるンだ」


 北斗は怪訝そうに芳光を見た。


「高田町と言ったら、<中華街>から北の方じゃないか。此処へ来るのに、どうして<横須賀>なんて見当違いな所に居たんだ?」

「僕……電車以外でここへ来たことないし……地図見て第三京浜道路ぞいに歩いて来たら……いつまでたっても着かないし…」

「ふむ。恐らく、常磐台辺りの分岐路で間違えて横浜新道の方に出てしまった様だな。丁度あの辺りは、結界の影響で空間が少し歪んでいるらしいからな、無理も無い」

「……二日間も歩きっ放しで……どこまで歩いてもいつまでたっても着かないし……それに帰り道がわからなくなっちゃって――」


 半べそを掻く芳光はそこまで言うと突然、血相を変え、


「――そうだ! お姉ぇちゃんがあぶないンだ! 早く、誰か強い人をさがさないと!」

「お姉ちゃん?」


 那由他はきょとんとする。


「芳光君。君の姉さんがどうかしたのか?」

「うん!」


 芳光は北斗に泣き顔で頷き、


「お姉ぇちゃんが化け物に狙われてるンだよ!ねぇお兄ちゃん、誰か<中華街>の『魔導士』で、助けに来てくれる人を教えてよ!」

「<中華街>の『魔導士』は、誰も助けに行けないぜ」


 素気無く答えたのは、三和土を上がって来たヴァルザックだった。


「どうして!?」


 店のカウンターから来たヴァルザックに、芳光は、赤く腫れた目を向けた。


「<中華街>の『魔導士』の殆どは、『多摩川の障壁』の結界破りに出払っていて、残っているのは、此処の結界を維持する為に居る者だけだ。済まんが、とても余所に力を回せるだけの余力は無いんだ」

「そんなぁ!」

「仕方がないんだ」


 北斗が割って入った。


「『多摩川の障壁』の所為で、誰も二十三区内に入る事が出来ないでいる。早くあの障壁を打ち破らないと、都内に残された人々が危険なんだ」


 北斗は実に辛そうな顔をして、芳光に詫びた。

 別に北斗が悪い訳ではないのに、深々と詫びるその姿を見て、芳光は疲労の抜け切っていない荒れた唇を横真一文字に噤んで、悔しそうに俯いた。

 那由他はそんな芳光に同情を覚えてか、哀しそうな顔をする。そして思い出した様に北斗の顔を見て、


「……ねぇ、北斗?なにも『魔導士』が助けにいく必要は無いんじゃない?」


 それを聞いた北斗は困惑の色を浮かべた。那由他の言葉の含みに気付いた様子である。


「……なによ、そのイヤそうな顔は?」


 那由他は膨れっ面をして北斗を睨む。


「あんた、奥サンのいうことがきけないの?」

「誰が奥さんだ!」


 北斗は眉を顰めて那由他を睨み返す。


「好い加減、俺を勝手にお前の亭主にするのは止せ! 知らない奴が聞いたら、俺の人格が疑われるだけなんだぞ!」

「ヒトサマに言えるような人格を持ってたワケ、あんた?」

「お前ねぇ!」


 怒鳴る北斗。


「何よ!」

 那由他も負けじと食って掛かる。


「好い加減にせんかい、お前等!」


 ヴァルザックは呆れ返って二人を叱咤する。


「見ろ! 坊主も呆れて見ているじゃないか!」


 そして北斗の顔を睨み、


「北斗よ。嬢ちゃんに言われるまでもなく、お前も男だったら、人助けの一つや二つ、こなしてみやがれってんだ!」

「……手前ぇは言うだけで、何もしねぇ癖に」


 ブツブツ小言を言ってそっぽを向く北斗に那由他とヴァルザックはキッ、と睨み付ける。今の北斗は孤立無援だった。


「なに、ゴチャゴチャいってんのよ!」


 那由他は拗ねている北斗の鼻先を指し、


「芳光クンはね、自分のお姉さんを守ってあげたいイッシンで、危ない道をここまできたのよ!

 北斗だって、二度と家族が死んじゃう目にはあいたくないでしょ?」


 今の那由他の叱咤に反応する様に、北斗は徐に那由他の方に顔を向けた。

 那由他は悔しそうな顔をして北斗を睨んでいる。

 那由他の母は『大気震』の当日、崩れ落ちるJR横浜駅構内で、北斗と那由他を庇って瓦礫の下敷きになって死んだのだ。

 北斗に那由他を託し、瓦礫の雨に消えて行った那由他の母の姿を、北斗と那由他は忘れていなかった。


「――ったよ! やりゃあいいんだろ、このボーヤのお姉さんを助けりゃ!」


 北斗はやけくそ気味に怒鳴り、苦々しげに頭を掻き毟った。


「偉い! それでこそ男の子!」


 ヴァルザックは腰に掛けていた扇子を外して勢いよく開いて扇ぎ、今までの険しい顔が嘘の様に嬉々となった。


(このス~ダラC調の腐れドワーフめ…)


 扇子に筆で書かれた『天晴れ』と言う文字が、北斗の怒りを増幅させる。北斗は、心の中に沸沸と煮えたぎるものを思いっきり口にしてやりたかったが、言うと余計話がこじれるのは明白だったので、煮えたぎる心の鍋に渋々蓋をして暗然とした。


「芳光クン、安心してね。性格の悪いヤツだけど、<中華街>いちの剣士、夜摩北斗がいってくれるから、もうオ~ブネにのった気でいてね!」


 那由他も、花が開いた様に芳光に笑って見せた。その愛らしい笑顔は、思わず芳光が照れ臭そうに顔を赤くして、俯いてしまう程綺麗なものだった。


「……仕方ない」


 そう言いながらも、北斗の顔はもう嫌そうな顔はしていなかった。


「さて、芳光君。君の姉さんがどうして化け物に狙われているのか、その理由を教えてくれ」

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