第10話 遊香先輩の非日常
遊香視点
僕の放課後は大体何をするか決まっている。
大抵は星の数ほどいる友達と遊んでいるのだが、この日は違った。
一度家に帰ったら、すぐ近くにある駅を目指し、最低限のお金をもって歩き出す。
友達から一緒に遊ばないかと声をかけられたが、僕はこの日、すべての誘いを断った。
もちろん友達と一緒にいると楽しいし、自分としても一緒に遊びたい。だが、それに縛られる必要はない。時折こうして一人で過ごす時間が欲しいのだ。
僕は僕のやりたいようにやらせてもらいたい。
一人が好きというわけではないが、僕にだって大切なものはある。替えが利かない、命よりも大事なものが。
この時間ならまだ間に合うかもしれない。
僕は電車に乗って二駅先の駅で降りる。そこはまだ荒神町の中だが、喧騒に包まれた駅前とはがらりと雰囲気が変わる落ち着いた場所。そして僕はその街並みの中にあるひときわ大きな建物を目指して歩く。
その緑色の建物には無数の窓があり、一階には常に多くの人が待機しており、休憩中なのか白衣を着たお兄さんたちがコーヒー缶を片手に他の同僚と話していた。
僕は受付を済ませると、長年行き続けた建物の中を歩いていく。今はまばらだが松葉杖をついた人や車いすの人が廊下を歩いている。きっとリハビリが終わり自分の部屋に戻るところなのだろう。
そして僕はこの建物のとある一室で足を止める。ここに来るのは二週間ぶりくらいだろうか。いつからか後輩たちから誘いを受けることがあったため、定期的な通いが途切れてしまった。だが別に大きな影響があるわけでもない。
現在は午後の七時。面会終了時間まであと一時間ほどだろう。僕は重厚な扉をスライドさせ、長年変わらない簡素な部屋の中を進む。
そこには一人の少女がいた。
長い間目覚めることがなかった少女。おそらく明日も目覚めることはないだろう。そう思ってしまうほどには長い時間が過ぎてしまった。
「・・・
僕は小さな声で、たった一人の家族の名前を呼ぶ。だがその呼びかけも静まり返った病室の中で寂しく木霊するだけだった。
※
何事もなく葉島を送り届けた俺は駅のほうへと向かっていく。
俺の家と葉島の家は駅をちょうど挟むような位置にあるため、行きも帰りも駅を通らなければいけないのだ。
人通りの多い駅は必然的に目立ってしまうが、葉島の家に泊まるわけにもいかないだろう。
最初は葉島に送ってもらうことも考えたのだが、やはり男として俺が葉島を送るべきだろう。それにまだ完全に暗くはないので空を飛んでいったら目立ってしまう。
お腹をすかせて待っているであろうリブラだが、うちの冷蔵庫にあまり食材がないことを知らないはずだ。だからついでにどこかで買い物をしなければならないのだ。
(急いでいるのに・・・)
だがライフラインであるスーパーがすぐ近くにあるのも相まって結局俺はスーパーの方角へと足を運んでしまう。
食材のついでに足りない洗剤を補充しようと考えながら自転車を引いていた俺に声がかけられる。
「およよ、そこにいるのはレンレンじゃぁないかね」
ちらりと銀色っぽい髪をなびかせながらこちらに近づいてくる小さな人影。
そこにいたのはこの前一緒に遊園地に行った遊香先輩だ。おそらく学校帰りなのだろう、手にはスマホとエコバックをもってこちらに歩いてきていた。
「こんばんは先輩、今帰りですか?」
「まあね。いろいろお喋りしてたらこんな時間になっちゃった」
遊香先輩はクラスでも人気者らしい。その人柄が相まってクラス全員と仲がいいんだとか。
俺も学内で先輩を見かけることがあったが、必ず誰かしらと一緒に何かをしており、一人になる瞬間は見られなかった。それほど仲のいい友人が多いのだろう。
下手したら、クラス全員が友達だなんてこともこの先輩ならありうる。
そう考えていた俺は、ふと先輩が持っている空のエコバックに目を向ける。
どうやら俺と同じで学校に教科書などを置いてきているのだろう。明らかに先輩は最低限の荷物しかもっていなかった。そんな中で空のエコバックだ。
エコバックを持ち歩いているということは・・・
「先輩もこれから買い物ですか?」
「うんそうだよ。あそこのスーパーがここ一帯では一番安くてさ。だからいつも重宝してるわけ」
「・・・分かります」
先輩も言う通り、あのスーパーがこの地域で一番安いのだ。それどころか、下手な業務スーパーより安く品質も良い。
一度リブラと一緒に行ったことがあるが、まだあの時は文字が読めなかったためリブラにとってはちょっとした迷宮だったかもしれない。
だが俺はそれよりも気になることがあった。
「あれ、もしかして先輩って一人暮らしですか?」
「ムムム、なんでそう思ったの?」
そう聞いた俺に先輩が怪訝な顔をして聞き返してくる。
「この時間って総菜が安くなるじゃないですか。先輩って料理あんまりしなさそうなイメージがあるから、それを買って一人で食べるのかなって」
よくよく振り返ってみれば結構失礼なことを言っているが、俺は割と素で言っていた。
すると先輩も頬をむっと膨らませ
「失敬な。僕だって人並みにお料理はできるよ。今日来たのはタイムセールになっているであろう大量のお肉を確保するためさ」
このスーパーはこの時間帯からタイムセールを始める。リブラにも参加してもらい二人で頑張っていることもしばしば。
今日はお肉が半額になるのだ。もちろん俺も知っているが、それを知っている先輩もかなりスーパーの情報をチェックしているのだろう。
「ちなみに総菜も買うよ。安くなった奴らを、甘く見てはいけないのさ」
「まあそうですけど・・・」
ちなみに俺は基本、総菜などはあまり買わない。
璃子の家に居たころ、美鈴さんのおいしい手料理を食べ続けた俺は、いつしかスーパーの総菜では満足できなくなってしまったのだ。
だから面倒くさくても、自分にできる料理なら自分で作るし、おかずも割と作り置きしておく。その方が安上がりになることがほとんどだからだ。
一人暮らしを始めたころ実験してみたのだ。スーパーの総菜と自分で作った総菜、いったいどちらがおいしく、なおかつ安くなるのか。
結果を言うと後者だ。俺の料理の腕は美鈴さんから完璧に引き継がれており、あの時習ったいろいろな技を試すことができた。作るのが面倒くさいと定番なコロッケでさえも、今や片手間でハイクオリティなものを作れてしまう。
「もしかしてレンレンも一人暮らしなの?」
「ええ。だからよくこのスーパーを使うんです」
「ほうほう。それじゃあ僕とおそろいだね」
ここにきて俺と先輩に新たな共通点が発覚。
最初のころは苦手意識があった先輩だが、先日の遊園地での出来事を皮切りにこの先輩に惹かれていく自分がいた。
「レンレンも買い物なんでしょ? ならせっかくだし一緒に行こうよ、何なら奢ってもらえるかもよ?」
「それって、どっちがどっちにですか・・・」
「それはもちろん・・・フフフ」
どうやら俺にたかろうとしているのだろうか、先輩は俺のことをしっかりロックオンしていた。こうなっては下手に断ることはできないだろう。
「とりあえず行きましょう。もうすぐタイムセールが始まりますよ」
「え、嘘、もうそんな時間!?」
珍しくあわてながら先輩はスーパーのほうへ走っていった。
俺も早く帰らなければいけないため、先輩を追って負けじと走っていく。
すでにタイムセールは始まっており多くの人混みができていた。俺と先輩もすかさずその人ごみに加わる。
そうして俺と先輩は大急ぎで買い物を済ませたのだった。
※
「わざわざ送ってくれなくてもよかったのに」
俺は先輩の荷物をもって駅のほうまで歩いていた。
ちなみに自転車は先ほどのスーパーのほうに置いてきており後程回収するつもりだ。
「でも悪いですよ。俺が結局奢ってもらっちゃって」
あんなことを言っていた先輩だったが、何を思ったのか俺に総菜を奢ってくれた。
『君にも総菜の恐ろしさを体感してもらうよ』
総菜のことをあまりよく思っていなかったことを見抜いたのか、先輩は俺にそんなことを言いながら手ごろな総菜をいくつか買ってくれた。
「まあ所詮は冷めてしまった半額の品々だけど、誰かの心を温めることくらいはできると思うよ」
「そんなに言うなら、今夜食べてみますよ」
どうやら今夜はリブラとスーパーの総菜パーティになるそうだと思いながら俺は先輩の隣を歩く。
おそらくすでに夜の七時を回ってしまっただろう。当初の予定ではすでに帰宅しているはずだったが、思わずスーパーに長居してしまった。
(先輩ってどうしていつも明るいんだろ?)
思えばこの先輩は出会った時からいつも元気で明るい雰囲気をまとっていた。
身長こそ葉島より小さいが、その眼には硬い意思がたびたび感じられる。
俺の第六感がそう告げているのだ。
だがさすがにそこまで踏み込むのは野暮だろう。
何せ俺と先輩は出会ってからまだそんなに日は経っていない。そういうことに踏み込むのは、それこそ仲のいい友達に限る。
だから俺は一度考えたことを忘れようとして話題を転換しようとする。
「そういえば先輩・・・」
考えるのをやめて話し出そうとした瞬間
パァン!!
乾いた音が木霊して、俺の腿を何かが貫いた。
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