第68話

 異様な気配に気付いたシナリスは、振り下ろそうとしていた手を止める。


 光はすぐに弱まったが、微かに熱を帯びたものが想次郎の手の中に残っていた。


 そっと開いてみると、先程までの宝石は跡形もなく、代わりに一つの指輪が残されていた。黒い金属でできた指輪。まるで血の色のような深紅の石が嵌めこまれている。


 想次郎は起き上がると、迷わずその指輪をはめる。指を通した瞬間、深紅の宝石が鈍く光を放った。


 すると不思議なことに両手足の震えが瞬時に止まった。耳の内側にまで響いていた鼓動が次第に小さく、その早さが緩やかに落ち着いていくのがわかる。そしてまるで厚い霧が晴れるかの如く、想次郎の思考が透き通っていく。


 何かを確かめるように、自身の傷だらけになった手のひらを見つめる想次郎。


 これまで何を恐れ、何に悩み、何故苦しんでいたのか、それがわからなくなるくらいに想次郎は今、自身の置かれた状況を俯瞰して見ていた。


 先程までの記憶が消えたわけではない。従って想次郎にも異常な心境だという自覚はある。だが、そんなことすら全く気にならなかった。


 ただケガの痛みだけが身体中から響いている。想次郎は床に散っている回復薬の一粒を摘まみ上げると、よく噛み潰してから飲み込み、そしてゆっくりと立ち上がる。


「なんだ? 今になってやる気が出てきたのか?」


 シナリスはエルミナに向けていた剣を引くと、再び想次郎へ向かって来る。


 しかし想次郎はその様子をぼんやりとした眼差しで眺めている。


「そっか……」


 想次郎は迫るシナリスを前にようやく言葉を発する。呟くように、自身に言い聞かせるように。


「そっか、これはゲームだ」


 今想次郎が感じている自身の感覚。それはまるでこの世界に来る前にVRゴーグルで見ていた仮想現実の世界の時と同様のものだった。


 剣と魔法で戦うファンタジー世界。レベルが上回っていれば難なく敵を倒せる世界。仮に負けたとしても死なない世界。本当の自分のいない世界。愛しの女性に会う為だけに続けていた世界。彼女と会う以外は特に面白味もなかった世界。それでも現実よりは遥かにマシだと思えたあの世界。


「ゲームなんだ」


 想次郎はもう一度呟くと、シナリスには目も向けないまま、自身の右手の感触を確かめるように握ったり開いたりした。


「なにわけのわかんねーこと言ってんだ!」


 十分な間合いまで接近したシナリスは横薙ぎに想次郎を切りつける。


「なにっ!?」


 しかし想次郎は身を逸らせ、いとも簡単にその攻撃を躱して見せた。


 まるで自身の存在を気にしていないかのような状態から見せた想次郎の動きに、僅かにたじろぎを見せるシナリス。


 すぐさま剣を構え直そうとするシナリスだが、想次郎は既に彼の懐に入り込んでいた。


「くそっ!」


 シナリスが反応するよりも速く、想次郎の掌底が彼の鳩尾に突き刺さる。


「ぐっ……」


 声にならない呻きを漏らしながら、二歩三歩と後退るシナリス。体勢を立て直そうとする頃には想次郎は既にシナリスの眼前に迫っていた。


 体幹を乱した状態でそれでも何とか反撃をしようと、咄嗟に床に刺した剣を支えに、苦し紛れの拳を放つシナリス。だがそれすらも想次郎は首を曲げて最小限の動作で躱すと、今度は上へ飛び、そのまま身体を横へ回転させて鋭い回し蹴りをシナリスの顔面に直撃させる。


「あがっ!」


 シナリスの身体はそのまま真横に飛ばされた。


「はぁっはぁっ」


 物理耐性があるとは言え、脳が激しく頭蓋に叩き付けられてはひとたまりもない。一度は立ち上がろうとしたものの、思わずその場で膝を折るシナリス。呼吸を乱しながら頭を振り、何とか揺れる視界を落ち着けようとする。


 だが想次郎は待たない。すぐさま追撃を加えようと拳を構えながら、素早くシナリスの元へ飛び込み。鋭い右手を突き出した。


「…………?」


 が、想次郎の手に感触がない。先程までいた筈のシナリスの姿が消えていた。


「陽炎……」


 辺りを見回す間もなく、想次郎の背後から聞こえるシナリスの声。どうやら土壇場で剣技を使用したようであった。


「砕牙!」


 背後からの一撃。想次郎は身体を逸らして、斜め上方向からの袈裟斬りを回避する。勢い余った剣が床を激しく砕いた。


「撃連斬・炎苅!!」


 続けざまに続くシナリスの剣技による猛攻。それは炎を纏った三連続の斬撃。シナリスが剣を振る度、オンっ! と炎を纏った刃が空気を震わせる鈍い音が室内にこだました。


 想次郎はその苛烈極まる攻撃にも全く意に介さない様子で、無言のままその三連撃を危なげなく躱してみせる。


 想次郎が躱した炎の一太刀が木造の壁をかすめ、そこに炎が燃え移った。


 その後も絶えることなく続くシナリスの斬撃。想次郎は身体をギリギリのところで逸らし、全ての攻撃を躱していく。そしてシナリスの動きが鈍くなったところで彼に致命的な隙が生じる。それを見逃さず拳を突き出す想次郎。


 シナリスは躱し切れないと踏み、咄嗟に片腕で防御する。が、


「ぐっ……」


 想次郎の拳を受けて苦悶に表情を歪ませた。拳を防いだ筈の腕から血が滴っていた。


 その腕には深く突き刺さるカランビットナイフの刃。


「剣技、影切」







------------------フレーバーテキスト紹介------------------

【魔法】

水属性C4:ヴィア・アクアリオ

対象一体へ水属性特大ダメージを与える。

調和と公正の天秤は傾けられた。蒼玉に収められしその叡智を解き放ち給え。今こそ天使の書に基づき神の選別を。

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