第5話
想次郎はコントローラーを操作し、その場の岩に座り込む。
バンシーは獲物に釣られるかのように姿勢を低くし、想次郎の腕に噛み付き続けた。回復薬と解毒薬が次々と消費されていく。
「もうあんな世界、嫌です……」
眼下で自らの腕を貪るアンデッドの女性を眺めながら、想次郎は自嘲気味に微笑んだ。
「ゲームだっていうのはわかってます。でも、もし叶うならばこの世界であなたと一緒にいたい」
一瞬バンシーの動きが止まる。一度想次郎の方を見上げ、しかし再び腕への噛み付きを再開した。
「アイさんはいつもこんな僕に付き合ってくれて、感謝してるんです……」
バンシーが想次郎の傍を離れようとしないのは単に敵対するプレイヤーに攻撃を加える為なのだが、想次郎の中では都合の良い解釈へと変換済みだ。
「あなたのいるこの世界で暮らしたい……。あなたと一緒に……」
再びバンシーの動きが止まる。先程より長く。そして想次郎の顔を見上げる。しかし強い願いと共に瞳を固く瞑っていた想次郎は気付かない。
「はぁ……。今日はもう行きますね」
想次郎は立ち上がり、バンシーIへ別れを告げる。
攻撃ダメージをほとんど受けていなくとも、毒状態を放置していれば比較的早くゲームオーバーにすることができるので、想次郎は解毒薬の使用を止め、生命力がゼロになるのを待った。
「また会いに来ますね」
生命力の残量が1割を切った頃、想次郎はそう約束を口にした。
「…………。いい加減しつこいです」
突然バンシーの口から発せられる声。
「え?」
想次郎は口を開けたまま固まってしまっていた。空耳かと自身を疑う。
「ですから――」
呆れ顔で「しつこいです」と再度繰り返される声。確実にバンシーの口の動きと連動している。
抑揚がないその冷たい言葉に、想次郎は驚愕と困惑に塗れた脳内で必死に思考を整え、ようやく第一声を絞り出す。
「思った通り。綺麗な声だ……」
瞬間、想次郎の視界に眩い光が満ちた。それは決して比喩なんかではない。眩い眩い光。
その光は今まで見たどんなものよりも白く、眩く、まるで自身の存在を消し去ってしまうのではないかと彼が錯覚する程であった。
しばらく目を開けられずにいた想次郎だったが、徐々に霞がかっていた視界が開けていく。
「なんだ……これ……」
辺りを見回して、想次郎は絶句してしまった。
景色は確かに先程まで想次郎がいたボスエリア。湿った土と無造作に突き出す岩、朽ちた石が折り重なってできたドームだ。
しかし、違った。先程までの景色とは決定的に〝何か〟が違った。
言うなれば質感が妙にリアルなのだ。いかにグラフィックの良さを売りにしているゲームであろうと、ここまでのものはあり得ない。
そう、これではまるで現実のようだと、想次郎は感じた。
薄暗い筈なのに視界がクリアに感じる。
訝し気な表情を浮かべながら想次郎はVRゴーグルを外そうと自身の顔へ手を伸ばす。が、その手が触れたのはVRゴーグルではなく、普段掛けている眼鏡だった。そして想次郎はさらに混乱する。
それもその筈、ゲームをする時は必ず眼鏡を外している筈なのだから。確かにゲーム内の主人公キャラクターは最初のキャラクターメイク時になるべく現実の自分に似せようと眼鏡を掛けさせたのだが、それはあくまでもゲーム内の見た目の話。
顔に触れていた手を見る。確かに想次郎自身の手が見える。土に汚れ指紋が浮き出たその手の質感も、やはり妙にリアルだった。
「これじゃあまるで……」
異世界転移だと想次郎が思い始めると、微かな空気の流れが先程まで流していた涙で濡れた頬を撫でるのがわかった。地面の感触も足に伝わって来る。湿った土の匂いと、嗅いだことのない腐臭のようなものも、感じることができた。
「どうなってるんだ。もしかして本当に……」
ようやく身に起きた事態を自覚し始めた頃、想次郎のすぐ傍らから女性の声が聞こえてきた。
「あの」
「わ! わぁ! ああっ!!」
想次郎は腰を抜かし、その場にへたり込んでしまう。
「いきなりぼーっとされて、一体どうしたんです?」
覗き込む女性は、先程まで想次郎が一方的に話し掛けていたバンシーIだ。
「え、いや……なんで?」
「『なんで?』はこっちの言葉です。まあ、この姿を見ての反応としてはむしろその方が正常ですが……。それにしても今更ですね」
見た目は相変わらずアンデッドモンスターであるバンシーのままだったが、驚く程流暢に話す居住まいは最早人間そのものであった。
「ここは……現実……?」
「その言葉の意味はわかりかねますが……、まあ、正直わたしも驚いています。今になって急に人間だった頃の記憶が戻るだなんて」
そう言いながらバンシーIは胸元のボロ布が大きくはだけていることに気が付き、恥ずかしそうに布を寄せ、隠すようにした。下半身の丈も妙に短かった為、悪あがきと言わんばかり下へに引っ張ったところ破けてしまい、余計に短くなってしまっていた。
「はぁ……」
バンシーIは未だ気持ちの整理がついていない想次郎を差し置いて、深く溜息を吐いた。
「ところで……」
バンシーIはその燃えるような赤い目で想次郎の顔をまじまじと見つめる。
「そ、そんな見つめられると……」
想次郎は思わぬアプローチに、彼女の瞳の色に負けないくらい頬を赤らめた。
「大丈夫ですか?」
「はい?」
「ですから……毒……」
「ぶへぁっ!!」
想次郎はこの世界で気が付く直前、自身が毒状態であったことを思い出し、その瞬間盛大に吐血した。
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【モンスター】
アンデッド族C3:オブソリートリッチ
その昔、強大な魔力を持つアンデッドの王であったが、今はその面影すらない。それでも未だ死ねぬその身が完全に風化して朽ちるまで、彼は這いずる死人たちの王として、暗い墓の底で君臨し続ける。
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