歌うたいのブラッド
佐藤謙羊
第1話
その部屋は、世界の頂きのような高みにあった。
壁と天井はドーム状のガラス窓になっており、全方位に広がる満点の星空が、天蓋のように、カーテンのように部屋を包み込んでいる。
部屋の真ん中には雲海のようなベッドがあり、ひとりの老人が横たわっていた。
老木のごとき渇死しきった肌は、白カビに覆われたような不気味な色をしており、もはや何歳かもわからないほどの怪異な見目をしている。
まるでミイラが眠りから覚めるように、その乾いた口が、かぱぁと開いた。
「ブラッドよ……」
しゃがれきった声で、老人がそう絞り出す。
すると、それまで室内を漂っていた、天使が奏でているかのような弦声が、ぴたりと止んだ。
部屋の隅にいた人影が、ゆらりと動く。
人影は、ハープの台座から立ち上がると、音もなくベッドに向かって近づいていく。
星明りに照らされたのは、黒髪の端正なる顔立ちの青年であった。
黒いポンチョをまとっており、肩から武器の柄のような、Vの字型のシルエットが飛び出している。
ここは寝室であろうはずなのに、寛いだ様子のない彼は、明らかに『側近』であった。
そして彼の首には、黒ずくめの服装に似つかわしくないほどに光輝く
老人はその輝きで、青年がそばに来たことを察すると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……ワシはついに、千もの国を手に入れた……。
ワシはついに、『サウンドザンド帝国』と呼ぶに相応しい地の、王になったのだ……。
寒村の村長だったワシが、ここまでの大君になれたのは……。
ギターケースに入った、幼いお前を拾ったからだ……。
お前の『歌』のおかげで……ワシは人間でありながらも、200年という長寿をなしえた……。
そして……お前の『歌』のおかげで……ワシは、ひと晩に10もの女とまぐわい……1万もの直系を世に送り出すことができた……。
その息子たちはすでに世界中で王となり、この『サウンドザンド帝国』を盤石なものとした……。
ワシが築き上げた帝国は……もはや、悠久のものとなったのだ……。
しかし……ワシは……まだまだ、死なん……!
あの星を……あの月を、掴むまでは……!」
帝王は腐木のような、今にもボロボロに崩れそうな手を、天に向かって伸ばす。
「ワシはもう間もなく、『今生』を終える……。
だが……ブラッド……貴様の『歌』があれば……。
ワシは再び死の淵から蘇り、再び王となることができるのだ……。
よいか……ブラッドよ……。
息子たちには、ワシが死んだら土葬に伏すように申しつけておる……。
貴様はワシの墓場の前で、唄うのだ……。
そして、このワシに、新たなる命を吹き込むのだ……。
そうすれば、このワシは……『不死王』となり……。
永遠の『サウンドザンド帝国』とともに、永遠の支配者となれるのだ……!
その『
いいや、すべての者は、このワシに逆らうことはできん……!
そう……!
貴様は永遠に、このワシという名の鳥カゴのなかで、ワシのためだけに
ククククク……!」
……ズバァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーンッ!!
帝王の笑いをかき消すかのように、寝室の扉が荒々しく開かれた。
どかどかと踏み込んできたのは、豪奢な鎧と、それに負けないほどの華美なチョーカーをした男たち。
それはさながら、欲に支配された人間たちが、神の座を奪うために、天上に乗り込んできたような光景であった。
その中のリーダーらしきヒゲ面の男が、声高に宣言する。
「ブラッドよ! 『歌』なる邪悪なる呪術で、我らが父、偉大なる帝王をたぶらかした証拠は、すでにあがっておる! 貴様のような捨て子が、帝王の第1の側近になるなど、そもそもありえぬことなのだ! よって我ら
『親王連合』は、貴様を解任し、これまでの罪を糾弾することと決めた!」
『親王連合』というのは、『サウンドザンド帝国』の国王たちの連盟組織である。
帝王の息子たちの集まり、と言ってもいい。
「帝王の体調が最近思わしくないのも、貴様の『歌』のせいであろう! さぁ、帝王から離れろっ! そして、大人しく裁きを受けるのだ!」
国王たちに取り押さえられるブラッド。
彼は無抵抗であったが、むしろ帝王が我が事のように狼狽していた。
「ま、待て……! 待つのだ、我が息子たちよ……! ブラッドを捕らえるなど、このワシが絶対に許さぬぞ……!」
「帝王、いや、父上! あなた様はこの男に騙されているのです! この男が『歌』をやめれば、帝王のお病気も、すぐに良くなるに違いありません!」
「や……やめろっ! ブラッドを、連れていくでないっ……! ブラッドの『歌』がなくなったら、このワシはっ……!」
そしてそれが、帝王の最後の言葉になった。
「ブラッドがいなくなったら……この国は、滅んでしまうっ……!!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
帝王の死に、世界が悲しんだ。
それはブラッドの『歌』が原因であるとされ、『親王連合』によって処罰された。
ブラッドに下された判決は……。
『国輪を奪ったあと、追放』……!
『国輪』というのは、『サウンドザンド帝国』においてすべての人間が身に付けているチョーカーである。
チョーカーをしていない者は、帝国の人間として扱われない。
この『追放』は、死刑よりも重い処分とされている。
なぜならば国輪のない者は、『サウンドザンド帝国』において、法の加護を受けられないからだ。
そしてこの世界において、『サウンドザンド帝国』の傘下でない国など、ほんの数国しか存在しない。
しかもどの国も、『この世の地獄』と呼ばれて恐れられている場所ばかり。
『追放』を言い渡された罪人は、どんな大悪党であれ、「殺してくれ!」と泣き叫ぶという。
それほどまでに、『サウンドザンド帝国』以外の国は、人ならざる者が住む地とされていたのだ。
ブラッドは国輪を破壊されたあと、処刑場から出され、放免となる。
処刑場の外には帝王を殺した大悪党に正義の鉄槌を食らわせようと、多くの帝国市民たちが待ち構えていたのだが、ブラッドは持ち前のすばしっこさを活かしてなんとか逃げ切った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからしばらくの間、ブラッドは逃亡生活を強いられる。
数日後、『サウンドザンド帝国』内にある、帝王の墓所内に、彼の姿はあった。
若かりし頃の帝王を模した立像の前に立ち、見上げるブラッド。
おおお……! と
その声に耳をすますと、地の底から聴こえてくるかのようであった。
『おお、よくぞ来た、ブラッドよ……! 今すぐ「歌」を唄って、ワシを蘇らせるのだ……! そうすればワシは再び帝王となれる……! 貴様にも、再び国輪を与えてやろう……! さぁ、ワシのために唄うのだ、ブラッドよ……!』
しかしブラッドは、吹き荒れる風にポンチョを揺らすばかりで動かない。
いままでいくつもの歌を紡いできたその唇だけが、静かに動いた。
「……アンタには、いろいろ世話になったな。両親の記憶もなく、ギターケースに詰められ捨てられていた俺を、拾ってくれた。種族すらもわからない俺を、
『そうだ……! ワシは貴様の親といってもいい……! さあ、今こそその恩を返すときだ……! 存分に唄うがいい、ブラッドよ……! このワシへの、感謝の気持ちを込めて……!』
「俺のなかでは、その恩は100年目のあたりでぜんぶ返したつもりだ。そのあとの100年は、毒親に捕まった子供の気分だったよ。でもその気持ちすらも、ずっと国輪によって押し込められてきたんだ」
ブラッドは言いながら、ポンチョの前を開け、両腕を出す。
「でも、それでも……。アンタが死んだあと、アンタの息子たちが俺を必要としてくれているなら、俺はこの国のために身を捧げるつもりでいたんだ……。でも、でもっ……!」
クワッと開いた口から、魂が漏れ出す。
「バカ息子たちは俺をお払い箱にした……! それで俺はもう、一気に冷めちまった……! 俺はもう、お前たち一族に政争の道具として振り回されるのはたくさんなんだよっ!」
……バッ……!
怒りに任せ、高く跳躍するブラッド。
帝王の立像の頭上に着地した。
『なっ……!? わ、ワシの上に乗るとは、無礼なっ……!?』
「うるせえっ! 国輪がなけりゃ、こんなこともできる……! 俺は、自由なんだっ!」
『お、落ち着くのだ、ブラッド! わ、我が息子たちに怒っているのだな!? ならば、今度は息子たちも逆らえぬよう、息子たちよりも上位の国輪を与えてやる……! この国のナンバー2になれるのだぞ! だから今すぐ、そこから降りて……! いや、そこでも構わぬから唄うのだ……! このワシを、このワシをっ……!』
しかしその返答は、
……ジーッ!
ズボンのチャックを降ろす音だった。
『ななっ……!? なにをするつもりだ、ブラッドっ……!?』
「くれてやるのさ、俺からの別れの餞別を!」
……じょばぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!
『うっ!? うわあっ!? ワシに小便をひっかけるとは!? きっ、貴様、許さんぞぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!』
「許さなかったらどうするつもりなんだよっ!? 俺の歌がなけりゃ、セックスもまともにできなかったジジイがっ!」
『ぐぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!? 誰か、こやつを殺せっ! こやつを殺せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーっ!!!!』
その言葉は誰にも届くことはなかったが、偶然通りかかった墓守が、ブラッドの暴挙を見かけてしまい、悲鳴をあげる。
「うっ!? うわああっ!? 帝王の墓に小便をしてるヤツがいるぞぉぉぉぉぉぉーーーーっ!!」
……バッ……!
黄金の雫を撒き散らしながら、ブラッドは再び
漆黒のポンチョを翻しながら大空を舞うその姿は、さながらイタズラ
腰を抜かしている墓守の眼前に着地すると、その勢いのまま地を蹴る。
「死ねっ! この国の人間は全員死ねっ! バァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカッ!!」
ドップラー効果の罵りを残しながら、かき消えるように走り去っていった。
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