第2話 回想──外の世界──

 ただし「新しい時代」の享受が極めて限定的なものであっただろうことは、想像にかたくない。依然としてバスは通らず、都会の品を扱う店もなく、都会の情報はテレビジョンから得るしかなく、従って精神的、文化的にはいささかも向上しなかった、と私は見ている。本を買うには市街地へ行かねばならず、それには自動車に乗らねばならず、従って両親の付き添いが必要であった。隣町まで独力で行き、バスで市街地へ行くこともできないではなかったが、告げれば都会がいかに恐ろしい所で、かつて自分がどんな目に遭ったかを滔々とうとうと語られるので、実際の上では不可能であった。新しい情報を受け入れぬ、教養のない田舎者を説得し連れて行ってもらうことは、子どもにはとても無理なことであった。二つ先の街の小さな書店でさえ、私には、随分と都会らしく見えたものである。


 情報がない。これは、私自身のみならず、父母が不幸な半生を送ることになった、おおもとの原因であると言って良いだろう。やや遠回りになるものの、ここで、多感な時期の私の記憶を綴ろうと思う。


 私が義務教育を受けていた頃、即ち、インターネットなるものが世の中に一応の普及を見せた頃、私の生家にもPCが導入された。とはいえ、若者が十人もいない限界集落なためか、回線は非常に貧相なものであった。画像一枚開くにも数分を要し、上からじんわりじんわり見えてくるのを待たねばならないような、黎明期れいめいきの如き様相を呈していた。当時阿部寛公式サイトの存在を知っていたら、ぜひとも正常に開けるか試したかったものである。恐らくそれすらも満足に閲覧できなかったであろう。今となっては確かめる術を持たないけれど。

 中学時代に、隣町に住む級友たちに生家の通信環境を話し驚かれたことがある。当然だろう。彼らは各々のPCを持ち──それは大概たいがい親のお下がりであったものの、私にとっては何よりも必要だったものだ──極めて快適な通信環境で世界にアクセスできた。直ぐ会える圏内に同年代が殆どいなかった私にとって、インターネットは、酷く遅いにしても、学校以外で「世間」「普通」を垣間見ることができる殆ど唯一の場であったことには間違いがない。と同時に、山を一つ挟むだけでこれほどまでに異なる環境に私を置き続けた両親を、私は長年恨み続けた。私が死ぬまで消えないだろう。

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