金土日

べてぃ

第1話 回想──中の世界──

 私の幼時から、父母は土日も仕事をしていた。


 私の生れたのは、四国の山奥、バスも通らぬ辺境であった。何やらいろいろなことがあって、長年そこに住んでいたようである。詳しく知る術は、今となってはもうない。高くはない給料のために、毎日山を越えて労働に勤しんでいた。業務記録上あるはずのない労働を──処置したところで銭はごうも増えず、かと言ってやらねば方々から責められる労働を──市中で高速通信網が大衆化した後も、アンテナ一本すら立たない土地で、紙に物を書いて、やっていた。一度も柵から出たことのない牛が、それまでの千万日繰返した通り草を食むように。

 事実、彼らはそれまで、ただの一度も柵を出たことがなかった。柵といっても、少々の渡し賃を払えば高々一時間で外である。四国の外に出れば大きなビルヂング、快速な超特急、安価で豪勢なレストラン……経済的繁栄を象徴するあらゆるものが、手に入る。理解していながら、なぜ出なかったのであろう。渡ると死ぬとでも思っていたのかもしれぬ。科学など何の働きも持たず、隣近所の卑しい噂、仏教的な教訓が何よりも重要な集落だった。従ってそう考えたとしても、何の不思議もない。

 

 後々私は、この集落で過ごした日々のことを思い出すのだが、振り返ってみると、これらの文化は、人里離れた土地で農耕を続けてきたが故のものではなかったかと、ある時気が付いた。隣の比較的文化的な町へ行くには山を越えなければならず、公共交通機関の通らぬ地に住む者には、それは文字通り小さくない難所であった。戦後、都会が経済的繁栄を迎えてから更に数十年を要したものの、この奥地でも新しい文化が日常として取り入れられるようになった。それは固定電話であったり、テレビジョンであったり、洗濯機であったりしたが、中でも自動車は人の労働を大きく変えた。自動車に乗れば、山も谷も、大した障壁ではなくなる。徒歩や自転車では隣町までしか行けないが、市街地や柵の外にまで、形の上では行けるようになった。受け継いだ土地を耕すか隣町で働くかであったものが、日のあるうちは市街地で働き、夜に戻るようになった。集落の外、市街地という世界に職を求められるようになったことは、父母の世代の、大きな変化であっただろう。日本という国が赫奕かくやくと昇ってゆく中で、都市部との遅れは多分にあったにしても、この地もまた、新しい時代を迎えていった。

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