第102話:憧れた人
戦闘の報告は、旗艦[グラン・ドリオ]女王の間にも届いていた。
[飛空艇]と呼ぶよりは空飛ぶ城という面持ちのそれは、内部にも城と同じ用な一郭も多数設けられている。
強力な[魔導フィールド]で艦全体を覆っており、〝次元融合〟ですら艦内部への侵入は不可能であった。
その、はずだった。
あっという間のことだった。
突如として、どこからともなく現れた黒い鎧の大男が、[盾]の代役を努めていたテモベンテの騎士たちを薙ぎ払い、女王の間のすぐそこまで迫ったのだ。
女王の間で護衛を務めるテモベンテの騎士は、混乱していた。
何故敵がここに現れたのかという疑問。そしてそれが剣聖を殺したと噂される者だということ。答えの出ない疑問が不安を呼び、それはその場にいたトランにも伝染していた。
指揮官を務めるブランダークが、
「狼狽えるな! 我らで抑える! 陛下の御前である!」
女王は、玉座に座ったまま姿勢を正しまっすぐに扉を見つめている。
だが不安に飲まれたトランは、ここにアークメイジの姉がいることは幸運だと思っていた。
それはすがるような感情だったのかもしれない。
戦力は、ある。
あるはずだ。
それに、まだ死ぬわけにはいかない。
子供が生まれたばかりだ。
妻は、無理やり村から連れてきてしまった人なのだ。
そんな人を、残して死ぬわけにはいかない――。
緊迫した様子のブランダークが言った。
「[血の障壁]は発動しているな?」
「はい。その……はずなのですが……」
「――破壊されたわけでは無いんだな?」
「……はい。解除されています」
[血の障壁]は、血統の魔法の一つだ。
家族の魔法、とも呼ばれている時期はあった。
その血を引く以外のものには呪いが、引くものには恩恵を。
本来は決して強力な魔法では無く、それなりの魔道士ならば呪いのダメージ覚悟ではあるが容易く破ることができる。
だが、[G]の血統の魔法は、重みが違うのだ。
千年もの間、その血を引くものたちが少しずつ少しずつ層に厚みを作り、今では最高峰の魔法の一種となっている。
それを、破壊では無く解く者――。
扉に施されていた赤い魔法陣が、緩やかに、まるで結ばれていた紐が一本の糸のようになり、音もなく消失した。
騎士たちが身構え、魔法の詠唱に入る。
オーキッドもまた同じように、その右手に空間すらも歪めてしまうほどの魔力を集中させた。
そして、それは何の小細工もなしに、真正面から姿を表した。
扉を蹴破り、まるでイノシシのように真っ直ぐに玉座に座る女王を目指し、剣を振りかぶる。
その流麗な動きに、トランはふと違和感を覚える。
――[ガラバ流]の動きだ。
それも、完璧なほどに。
――昔、一度だけ、憧れた人がいた。
それは実践的というよりも、磨き上げられた美のように感じられた。
騎士たちが一斉に魔法を撃ち放つ。
その全てを、剣でいなすか、あるいはわずかに身を反らし回避しきった黒騎士は、そのまま女王めがけ跳躍した。
オーキッドが、[八星]を長大な鞭のように姿を変えさせ、黒騎士に向けて高速の乱打を叩き込んだ。
黒騎士の鎧が砕け散るも、まるで鎧そのものが生きているかのように傷口がぶくりと膨れ上がり、形を変え、鎧と同じ形に戻った。
黒騎士の首が、ぐりんとオーキッドに向けられる。
オーキッドは攻撃の手を休めず、[八星の鞭]の乱打を更に叩きつける。
黒騎士が、ぞっとするほど低い声で言った。
『〝ブレックス・トラスト〟』
黒騎士の顔から灼熱の火球が放たれた。
即座にトランは、支給された[魔導フィールド]を全開にさせ、バリアを貼った。
他の騎士たちも同じようにかろうじて火球を防ぎ切る。
オーキッドは抑え込んだ火球を自らの魔力を注ぎ、黒騎士に向けて撃ち放った。
瞬間、黒い小さな何かが真横から彼女に襲いかかる。
だが、それに気づいていたブランダークが彼女を庇うようにして前へ出、黒い何かを斬り飛ばした。
彼女が打ち返した火球が、黒騎士に直撃する。
圧倒的な破壊の意思を孕んだ炎が、黒騎士の四肢を焼き飛ばし、全てを燃やし尽くしていく。
トランは先程の黒いなにかの正体に気づいていた。
「――腕だった」
思わずそう漏らすのと、ブランダークが、
「封印魔法を!」
と叫ぶのはほぼ同時だった。
同時に、トランは直感的に思った。
遅い、と。
バラバラに消し飛んだはずの黒騎士の四肢が一瞬のうちに騎士たちを取り囲み。[七星]の輝きを嵐のように撃ち放った。
騎士たちの[魔導アーマー]に装備された[魔導フィールド]が防御のために全てのエネルギーを使い切り、そのまま自重で倒れ込み、動けなくなる。
バラバラになっていた四肢が、バチン、バチンと元の姿に戻っていく。
それはもはや、人間ではなく化け物の所業であった。
最後に首と体が一つになると、再び黒騎士の姿になる。
ブランダークが黒騎士に斬りかかる。
同時にオーキッドが黒騎士の横に飛び、再び[八星の鞭]の嵐を繰り出す。
黒騎士はくるりと身を翻し、剣の一振りで全ての攻撃をいなした。
ブランダークの剣が弾かれ黒騎士の剣が彼の首に吸い込まれようとした時、トランの体は自然と動いていた。
――知っている動きだった気がした。
ただ、体が動いた。
憧れが、目の前にいたような気がした。
その瞬間、トランの脳裏によぎった妻と、生まれたばかりの我が子、残してきた父と母の顔、故郷の情景全てが置き去りになった時、トランの剣は黒騎士の剣と交差し、わずかにその軌道を反らしていた。
黒騎士が一瞬怯むと、オーキッドが再び[八星の鞭]を撃ち放った。
ほんの一瞬、黒騎士の呼吸がこわばったような気がした。
トランは昔読んだ本のことを思い出していた。
――[ドラゴン殺し]と呼ばれた、伝説の剣聖について、ビアレスが自ら書いた本。
ドラゴンたちの放つ[言葉と息]は、所詮は呼吸である。
[言葉]であろうと[息]であろうと、体には予備動作が必要だ。
その癖は、ドラゴンごとに違うものもあるだろう。
だが、ドラゴン殺しはその違和感を、直感を信じていたのだ。
トランは鎧に残されたわずかな魔力を使い、薄く[魔導フィールド]を真正面に貼った。
そして、黒騎士の体から、一帯に襲いかかる衝撃の[息]が放たれる。
ブランダークと、オーキッドは弾き飛ばされる。
それでも二人はすぐにくるりと身を翻し、攻撃の体制を取る。
だが、既に黒騎士は女王へと目標を定めていた。
トランは――。
圧縮される意識の中、その瞬間、たった一人で黒騎士に挑んでいた。
不思議と恐怖はなかった。
ただ、この人のは会ったことがある、という妙な確信があった。
知った人。それも、敵では無い人。
その思いが、トランの恐怖を取り除いていた。
――この人はきっと、俺たちを殺したりはしない。
ブランダークが言った。
「トラン、よせ――!」
トランが剣を振り下ろす。
切っ先は、黒騎士の兜をかすめることもなく空振りをした。
遅れて、オーキッドが[八星]で槍を作り、黒騎士目掛け――。
黒騎士の剣が、振り下ろされる刹那、トランは思い出した。
昔、村に来てくれた人がいた。
その人は、村の腕自慢と模擬稽古をしてくれた。
他の村の若者たちと同じようにトランも憧れ、その人に稽古を挑み、目の前で――。
トランは腕の中で剣の柄を持ち替え、そのまま全力で切り上げた。
確か、名は――[燕返し]とか言っていた。
黒騎士の剣を持つ右腕が、斬り飛んだ。
同時に、黒騎士の左掌底がトランの胸を強打し、弾き飛ばす。
それは、確信があった通りの、人を傷つけない優しい掌打。
トランの意識は、そこまでだった。
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