第93話:アンジェリーナの思い出

 四年ほど、前のことだ。

 メリアドールが、半端者を集めて田舎に逃げようとしているらしい。

 そんな噂を聞いたアンジェリーナは、その声をかけられた半端者の中にアリスがいることを知る。

 同時に、父からの指令が下った。

 メリアドールをその気にさせ、女王への道を歩ませる。あわよくば剣聖を骨抜きにするか、事故に見せかけて殺せ。


 くだらない、と心の中ではっきりと思っても、そう言葉にはできないのが彼女の弱さである。

 だからアンジェリーナは、既に誘われている者たちに対していつものように近づき、悩みを聞く素振りや、理解者である振り、あるいは逆に相談に乗ってもらう体で懐にするりと入り込んだ。


 簡単な仕事だった。

 いつものようにやっただけなのだ。

 大人の顔色を伺うのと同じように、接しただけなのだ。


『それ、疲れない?』


 アリスが大昔の漫画をベッドで寝転んで読みながら、こちらを見ようともせずにそう言った。

 アンジェリーナも同じく、ベッドの上でアリスに借りた恋愛漫画を読みながら返す。


『わかんない』


 それは、本心だった。

 この状態が、今の状況が自分にとって当たり前になりすぎてしまったのだ。

 本音で人と接することを、あるいは偽らない自分のさらけ出し方を忘れてしまったのだ。

 だから、わからない。

 アリスが言った。


『あのメリアドールって子、アンジーが思ってるよりもずっと良い子だよ』


『そう』


 アンジェリーナは、訓練場で見たメリアドールの無様な様子を思い出す。

 顔はまあ良い。でもあの程度ならいくらでもいる。

 スタイルが良いわけでも無い。

 血筋も、王家の中では四女だ。

 それどころか、アンジェリーナとは従姉妹に当たるのだから、別段血統に対しての敬意は無い。

 アンジェリーナの母が女王で、アンジェリーナが王家の長女だった可能性だって十分にあったのだ。


 それに、良い子なんていくらでもいる。

 誰もがみんな、誰かに気に入られようと自分を偽っているのだから。


 マリーエイジ家は、[戦士ギルド]の長である。

 大金持ち、といっても差し支えない家だ。

 昔はそれに加えて地位と名誉もあったそうだが、アンジェリーナには興味が無い。

 ただ、近寄ってくる男も女も皆、金目当てだとか、地位を餌に取り入ろうとしてる薄汚い何かに見えてしまうのは、不幸なことだとは思っていた。

 結局、本当に友人と呼べる人はアリスしかできなかったのだ。

 そのアリスにも、隠し事をしている。

 嘘をついてしまっている。

 ――利用、している。

 そうできてしまっている。

 だから、アンジェリーナはこうも思う。


 ――きっと私はみんなにとって凄く良い子なのだろう。


 と。

 アリスが言った。


『とりあえずあの子に着いてきゃ好き勝手できそう』


『ふふ。みーんなおんなじこと言ってた。言い方は違ったけど、結局はおんなじ。くっだらない』


『へー。じゃあやっぱみんな働きたくないんだ』


『そういう意味じゃ……。――そうかも、知れないね。結局……』


 全ては順調だった。

 十一歳のメリアドールは、所詮おだてられて育った子なのだ。

 二つも年上のアンジェリーナからしてみれば、ただのほんの少し賢しいだけの子供だ。

 そして、顔ぶれだけはそうそうたるメンバーが集まったのだ。


 一番隊は王家のメリアドールを筆頭に、剣聖の娘や[暁の勇者]リドル卿の愛娘。

 二番隊は、向かう先の[グランリヴァル]の首長であるテモベンテ家だ。

 畜産のトップ、初代賢王と共に国を開拓したチェルン家は三番隊に入った。

 手広く様々な業界のトップの家の、はみ出し者をこうも集めたのは、見事ではあった。

 皆それぞれ悩みを抱えており、だからこそメリアドールの誘いに縋ったのだろう。

 そして、そこに付け入るのは容易いことだった。


 [グランリヴァル]へ向かう[飛空艇]に乗った頃にはもう、アンジェリーナは古臭い二番隊と理想主義すぎる十三番隊以外は完全に味方につけていたのだ。

 それに――。


 少しずつ、大森林とだだっぴろい平野に囲まれた[グランリヴァル]が見えてくる。

 アンジェリーナは、メリアドールの甘さを小馬鹿にし、鼻で笑った。

 メリアドールの大義名分は、[ハイドラ戦隊]の再編だ。

 だが、既に[ハイドラ戦隊]は存在している。

 千年も昔から、形骸化し、腐敗し、それでもエリートたちの就職先として。

 確かに、今隊にいる者たちは本物からは遠い者たちだ。

 だが、歴史ある隊なのだ。

 使い物にならない雑兵では入ることができない。

 性格や態度に問題はあれど、実力はエリート。そういう意味での爪弾き者の集まりが、今の[ハイドラ戦隊]なのだ。

 性格や態度どころか実力も問題のあるメリアドール配下の子らが、どうにかできる相手では無い。


 そして、現[ハイドラ戦隊]がメリアドールにぶつかるようにも、仕向けてある。

 アンジェリーナは、メリアドールが折れる姿が見たいのだ。

 それは八つ当たりに近いものだ、と自覚している。

 だが、だから何だと言うのだ。

 父の指示を、着実に実行しているだけだ。

 人をその気にさせるには、弱っている時に甘い言葉をかけてやれば良いのだ。

 温室育ちのお姫様など――。


 そして、滞りなく、想定した通りに、それは起こった。

 古くからの習わしに乗っ取り、より強い者を後世に残すため。

 アンジェリーナは現[ハイドラ戦隊]を裏から煽り、メリアドールを焚き付け――。

 観客は大勢呼んでやろうと思ったが、ことが早まりすぎた結果、世にそれを周知させる前に行われてしまったのが誤算と言えば誤算だろう。

 見届人として、メリアドールが声をかけたのは、ちょうど現地で冒険者などというくだらない趣味に没頭している元神殿騎士団長のブランダーク・ダインという男だった。

 公平を期するため、そして後顧の憂いを残さぬよう、歴史に乗っ取り顔を隠し、名を明かさずに。

 だが、アンジェリーナはとうに調べはついていた。

 メリアドールが直接呼んだということは、結局指南役でもあったこの男をそれなりに信頼していたのだろう。


 ならその男の前でも恥をかかせてやる。

 ざまあみろ。

 お前も、折れてしまえ。

 挫けてしまえ。

 負けてしまえ。


 そうして、心の中で言い訳をして生きていくのだ。

 私は悪くないと。

 精一杯したと。

 努力は、したのだと。

 仕方がないのだと。

 お前も――。


『あたし一人で良いや』


 静寂を破り、その場にいた最年少の子供が前へ出て壇上に上がった。

 メリアドールよりも更に年下の、十歳の女の子。

 父の腕を、切った女。


 ――この女のせいで、私まで巻き込まれた。


 何が剣聖だ。何が、何が――。

 相手の騎士たちは、あざ笑うか、あるいは酷く汚い言葉で罵ったのを覚えている。

 そして最年少の子、リディル・ゲイルムンドは表情一つ変えずにこう言った。


『怖いならみんなで来ても良いよ』


 最初は、誰からだったか。

 騎士団の中でも短気な者だったか、あるいはそうなる前に少し痛い目を見させてやろうと多少なりとも気を使った者だったか。


 ともあれ、その騎士が剣を抜き、振りかぶった次の瞬間には、どういうわけか騎士は剣を落とし、その場に倒れ込んでいた。

 それどころか、怪我をしないようリディルによって手を添えられ、優しく倒されたのが見てわかる。

 少しずつ、少しずつ騎士たちがリディルに向けて攻撃を始める。


 ある騎士は、剣を握り振りかぶった腕を軽くひねられ、足をかけられ、膝からゆっくりとリディルに介護されながら崩れ落ちた。


 四方からの同時攻撃には、リディルは姿勢をわざと崩し攻撃のタイミングをずらし、騎士たちが自分の持つ剣で互いを傷つけないように全員が違う向きになるようにゆっくりと転ばされた。


 気がつけば、まるで乱戦のようになっていた。

 だがそれでも、リディルは汗一つかかず、ただ最初からわかっている太刀筋をなぞるかの如くゆっくりと、流麗に動き、一人ずつ丁寧に無力化していく。


 それに納得ができず、再び剣を握り背後から斬りかかった騎士に対しても、リディルは優しく、決して傷つかないように、打ち身すら負わないように、緩やかに転ばせた。


 ――ああ、これは違う。


 人の顔色を伺い続けてきたアンジェリーナ、わかってしまった。

 これは、心を折る戦い方だ。

 こんな戦い方をしては、もう、彼らは立ち上がれないかもしれない。

 二度と剣を振るえなくなるかもしれない。

 騎士団の中の、ほんの数名は、今のアンジェリーナに匹敵するほどの者がいた。

 だが、彼らはもう剣を落とし、膝を付き、自分の身に何が起こったのかもわからず呆然と項垂れている。

 それに挑もうとする心を容易くへし折るほどの、圧倒的な強さ。


 父は、これの前に立ったのか。

 こんな、化け物の前に。


 ――化け物。

 本当に、そうか?

 アンジェリーナは、リディルを懐柔できないかと彼女のもとに何度も足を運んだのだ。

 そうして感じた人となりは、まるで教育の行き届いていない子供だった。

 常識が、無い子だった。

 だが、何かに反発してそうなったようには見えなかった。

 最初から教えられていないのだと、アンジェリーナは知った。


 人の弱さは過去にある。

 アンジェリーナは経験からそう信じている。

 リディルの過去は、文字通り剣の訓練しか存在していなかった。

 [暁の盾]の騎士たち、そして実の母の指導の元。朝食と、昼食と、夕食以外は全て剣の訓練に身を捧げられていたのが、リディルなのだ。

 常識の無い獣に、そもそもの概念の無い怪物の懐柔などできるわけが無い。

 アンジェリーナはそこでリディルを諦めた。同情はしたが、興味は失せた。

 だが、その結果がこれなのだ。

 [盾]は、彼女の母は、いったい何を作り出したのだ?

 たった一人の子供の人生を、こうも捻じ曲げて、何を恐れたのだ?

 ここまでしてしまう必要があったのか?

 女王は、それを許したのか?

 だが、だとしても、それでも――。


 アンジェリーナは、目の前で繰り広げられる得体のしれない何かに、自分の中の何かが折れていくのを自覚していた。

 それは、意地というものだったのかもしれない。あるいは、拠り所だったのかもしれない。心の柱だったのかもしれない。

 いつかは、いつかはと心に描いていた、儚い夢だったのかもしれない。


 ――いつか、父に認めてもらえる日が来る。


 一番になれば、いつか。

 強くなれば、いつか。

 剣聖に、なれば――。


 その日が、来ることは決して無いのだと、アンジェリーナは確信してしまった。

 それでいて、リディルの剣技のなんと美しいことか。

 完成されているのだ。行動の一つ一つが。

 全ての動きが最善で、完璧な結果を生み出している。

 相手が動くよりも先に、まるで未来でも見ているかのように、対応を行動の先に置いているようにも見えてしまう。

 その遠すぎる夢に、絶対に来てくれない未来に、自分よりも三つも年下の子が到達していることに、アンジェリーナは折れてしまった。

 悔しくて、悲しくて、だけどもその美しさと、そうなってしまった彼女の過去を知っているが故に、アンジェリーナは気がつけばボロボロと大粒の涙をこぼしていた。


 恥ずかしくてうつむく。

 誰にも、こんな姿見てほしくない。

 知ってほしくない。

 アリスだけがそれに気づいた。

 彼女は決して振り向かず、アンジェリーナを他の者の視線から遮るようにして少しだけ後ろに下がった。

 アンジェリーナは思わずアリスの服の裾を握り、決して声を上げずにあふれる涙を止めることができないでいた。


 一人の騎士が、目の前で繰り広げられる得体のしれない何かに怯え、リディルに向け〝雷槍〟を撃ち放った。


 瞬間の閃光と、轟音。


 アンジェリーナが顔を上げたときには既に、リディルは指先の一点に集中した魔力の盾で軌道をそらされ、空の観客席を焼きえぐった後だった。


 リディルは表情一つ変えず、数名の騎士の武器を奪い、優しく倒し、〝雷槍〟を撃った騎士にゆっくりと近づく。

 騎士は自分が放った〝雷槍〟の威力に怯えたのか、〝雷槍〟より威力が劣る〝稲妻〟をリディルに向けて何度も連射する。


 その全てを、リディルは弾道の先に置いた指先で、背後で倒れる騎士たちに当たらないように反らしきる。


 リディルはもう騎士の目の前だ。

 騎士が慌てて剣をさやから抜こうとすると、リディルがその腕に触れ、軽くねじるような動きを見せた。

 騎士の体がぐらりと曲がると、リディルの出した足につまずき、最初の騎士と同じ用に介護されながらゆっくりと膝をついた。


 そうして、全ての[ハイドラ戦隊]の戦意が完全に喪失し、同時にメリアドールが集めた爪弾き者たちの目には来た時とは明確に違う、力強い輝きが宿っていた。


 彼女たちは、今、頂点を見たのだ。

 アンジェリーナとは違う、真っ直ぐな眼差しで――。

 それはきっと、希望と呼べる存在だったのだろう。


 結果として、それはアンジェリーナの目的の通りに進んだ。

 新しい[ハイドラ戦隊]の、メリアドールの連れてきた子たちは、それぞれが自分の夢を追い始めたのだ。

 ずっと彫金士になりたかったと言って、[ハイドラ戦隊]の隊長会議をサボって街の[彫金ギルド]に入り浸るようになった子。

 本当はコックになりたかったと言って、料理ばかりするようになった子。

 ドレスを着るのではなく作る側になりたかったと言って、仕立て屋を目指すようになった子。


 皆がバラバラで、それでも心に夢を抱いて、[ハイドラ戦隊]は騎士団としてはどうしょうもない存在となったのだ。

 そして気がつけば、アンジェリーナもまた、新しい夢を追った子たちと同じになっていた。

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