第92話:裏切り者たち

 リディルが[幽世の塔]の門番をあっという間に制圧し、最上階の扉を蹴破る。


 ――誰もいない。


 メスタがドタドタと遅れてやってきて、


「ど、どうなってる!?」


 と問う。

 リディルは無視して[貪る剣]を部屋の壁にガリガリと打ち付けた。

 すると、壁に膜のようにして覆われてる魔法障壁の魔力を[貪る剣]が吸収し、リディルのものとする。

 だが、それだけだ。


「あたしの剣が塔の魔力しか奪わない」


 すぐにメスタが注意深く誰もいない部屋の様子を伺いながら、


「うん」


 と相づちを打つ。

 争った形跡は無い。

 メリアドールはあざとい人だ。賢い人だ。

 だから、不意を突かれても何かを残せる人なのだ。

 特に魔法の発動速度に関してなら、誰よりも早い。


「意図せず、塔の何かが発動して、メリーちゃんが巻き込まれた――?」


 リディルは疑問を口にし、更に続ける。


「その仕掛けは、攻撃や防衛の類じゃなかったから、メリーちゃんは反応が遅れた……?」


 同時に、リディルは自分がひどく焦っているのを自覚していた。

 心のどこかで死んだはずの、小さな小さな誰かが悲鳴を上げそうになっているような錯覚すらおこす。


「ど、どうする? 全部ぶっ壊すか?」


 メスタの素っ頓狂な提案が、リディルを冷静にさせる。

 リディルは、返答をつまらせた。

 失敗した場合の、可能性。

 メリアドールという、人。

 その重さ。


「リディ……?」


 きょとんとして言うメスタのなんと気楽なことか。脳天気なことか。

 いや、彼女はただひたむきに一生懸命なだけなのだろうが――

 その時だった。

 首筋の辺りがざわつき、即座にそれが魔力の反応だと理解したリディルは違和感の先に向け剣を奮った。


 そして、現れたのがアンジェリーナなのだと理解したリディルは、ビタリと剣を彼女の首元で止め、他に何か移動してくるものが無いかと警戒しながら数歩距離を取る。

 アンジェリーナはそのままべたりとその場に座り込み、「かはっ」と息を吐ききった。

 彼女の様子から、戦った後なのだとリディルは理解する。

 そしておそらく――。


「……アンジェリーナちゃん。――誰かに負けて来た?」


 びくり、とアンジェリーナの肩が震えた。


 ――ああ、嫌だな。


 まるで、昔の時のようだ。

 自分でもよく分かる。


 ――あたしは、苛立ってる。

 ……何に?


 リディルは自分でも驚くほどの力で、アンジェリーナの肩を掴み、言う。


「――メリーちゃんに、逃されたな?」


 また、アンジェリーナの肩がびくんと震えた。

 彼女の様子が、リディルの神経を逆撫でる。

 メリアドールのことを好きなのは別に良い。そこに口を出すつもりも無い。

 本人同士のことだ、傷つけさえしなければ別に構わないと思っていた。

 だというのに、これはなんだ?

 己の責務も果たせず、あまつさせ守るべき人に守られ、たった一人で戻ってきたこれは、一体なんなのだ?

 リディルの中の暗い感情がヘドロのように膨れ上がり、苛立ちが心と体を支配していくのがわかる。


 ――こいつ、殴ってやろうか。思い切り。


 リディルの指に力が込められる。

 メスタが横から短く言った。


「アンジー大丈夫か、怪我は無いか? それと状況、正確に」


 その声で、リディルの中の暗い何かがほんの少し小さくなった気がした。

 アンジェリーナは、少しずつ、しかしどこか狼狽した様子で状況を語りだす。

 全てを聞き終えたリディルは、違和感をそのまま口にした。


「本当にそれだけ?」


 知らない場所に飛ばされたこと。

 鋼の骸骨のようなものにまた飛ばされたこと。

 黒騎士なるものが裏切ったこと。

[賢王の遺産]のこと。

 だが一瞬、アンジェリーナが言葉を選んだような気がしたのだ。

 アンジェリーナは視線を泳がせ、落とし、唇を震えさせ、微かに、


「黒、騎士は、ち、父、が――」


 そこから先は言葉にできないようで、アンジェリーナが押し黙った。

 リディルは言った。


「メリーちゃんのお母さんを殺そうとしてたことを、そいつが知ってた?」


 瞬間、アンジェリーナの顔が青ざめた。

 彼女は狼狽し、


「あ、わ、私――」


 と意味の無い言葉を述べながら、それでも驚愕した様子のメスタの顔色を伺い、もう一度リディルを見る。


 ――醜いな。


 それが、リディルの感想である。


「息遣い、視線、指先、体のこわばり。後は状況からの判断と、今のアンジェリーナちゃんの様子」


 この期に及んでこの女は、我が身可愛さのために情報を隠そうとした。

 アンジェリーナという女は、そういう女なのだ。

 溢れ出た苛立ちがそのまま喉元を過ぎ、リディルの口から呪詛となってにじみ出た。


「……どいつもこいつも。結局、アンジェリーナちゃんって――」


 ――自分が可愛いだけじゃん。


 そう言葉が出かかった時、リディルの心の奥底で蹲っている誰かが言った。


『そこまで言ってはいけない』


 と。

 それが誰なのか、リディルにはわからない。

 泣いてばかりいた昔の自分に似ている気がする。

 メリアドールにも似ている気がする。

 ふと、思い出す。


 ――あの時は、誰も助けてくれなかった。


 だから、メリアドールは――。

 リディルは、あらゆる恨みを飲み込むと、うずくまったままのアンジェリーナの髪を乱暴に触れ、言った。


「――大丈夫、何とかする」


 ※


 評議会はてんてこ舞いだった。

 議会の中心である十三人のうち、十一人が殺されたのだからこうもなるわけだし、その状況で舞い降りてたフランギース女王の四女、メリアドールの誘拐である。

 しかもその第一報が、国では無くメディアのとくダネなのだ。

 テモベンテの兵が無能だった、というわけでは無いはずだ。

 時系列を調べれば調べるほど、情報の裏取りは全くされてないように見える。

 ならば、情報の出どころは当事者だろう。

 確か、娘のカルベローナのいる部隊、[ハイドラ戦隊]には、新聞社のウォリック家の子が所属していたはずだ。

 大手、といわけでは無いし、まだまだ弱いメディアだが、[魔導通信部門]に力を入れている会社だったはずだ。

 しかし、とも思う。

 子どもたちの遊戯会に、そこまでの力があるのか?

 言ってしまえば、メリアドールは本国の爪弾きものを集めて――それをまとめ上げて、自分たちだけの巣を作っただけなのだ。

 実際の実力などは……。

 しかし、いつまでも思考に時間を割くわけにはいかないのが今のテモベンテの立場でもある。


 緊急会議を開こうにも、当主を殺害された十一の家は後継者争いが始まっている。

 我こそが、となる家ならばまだ良い。

 今の世、すなわち乱世になりつつある状況を恐れて当主になりたがらない、いわゆる押し付け合いの後継者争いすらもあるのは、テモベンテからしてみても絶句せざるを得ない。

 誰しも、火中の栗を拾いたくないのだ。

 その気持はわかる。

 だからこそ、その役を引き受けるために我らがいるのでは無いか、という思いは苛立ちと怒りになり、同時にそれらを呑み込み原動力に変える処世術を身に着けているのがテモベンテである。


 会議までまだ少し時間がある。

 テモベンテの私室に、テモベンテ家ともう一家、無事だった家の当主が訪れていた。

 テモベンテの古くからの友人である彼は、小人のようないで立ちと丸っこい顔が特徴の、[ハーフリング種]だ。

 その彼――ロベル・パイソンが来客用のソファーにちょこんと座り、難しい顔になって言った。


「無能が死んだ、と考えれば、明白なのやもしれぬな」


 それは歯に衣着せぬ言い方であり、テモベンテはぎょっとしながら反論する。


「パイソン卿、そ、それは――」


 [ハーフリング種]は、[ヒューム種]からしてみれば老いても外見が変わらないタイプの種族だ。

 はるか昔にザカールが[エルフ種]と何かを無理やりかけ合わせたことで生まれたとされているが――。

 寿命もやや長い種族だが、それでも今年で八十歳を迎える彼は少年のような外見とは裏腹に種としても高齢だった。

 彼は続ける。


「だが解せないのが、ティルフィングだ。……殺された者の中で、彼女は……。それに、[盾]だ。腐敗は確かにあった。だが犠牲を伴いそれを正そうとし、かつての力を取り戻した結果が今ではなかったのか? 昨今の[盾]は決して無能では無かった。練度も高く、それが一晩で……?」


「……友人も、亡くしています。良い者たちでした」


「能力の話をしている。心優しい無能は、大勢いるのだ。それは良く知っていよう?」


 そういう物言いのため、彼は他の貴族だけでは無くティルフィングともあまり仲が良くなかった。

 彼は、ティルフィングのやり方に批判的な人物なのだ。

 ロベルがすっと立ち上がり、テモベンテをまっすぐに見た。


「犯人が本当に殺したかったのは、誰なのだろうな」


「卿はこの殺人がまだ続くとお考えか?」


「わからん。だから困っている。私と貴公の持ち得る情報を照らし合わせても、犯人の象すら見えてこない。[監視映像]にも映っていない。……どういうことだ?」


 テモベンテは短く考え、言った。


「内通者がいる、と――?」


「それも、かなり深いところに。……だが、その考えすらもはや古いのかもしれぬ。――私か、あるいは貴公が[支配の言葉]を受けてないと言い切れないのがザカールの恐ろしさでもある。……疑心暗鬼に陥れば、何もかもが怪しく見えてしまうものだ」


「ザカールは建物ごと封印した、とはありましたが……」


「逃げられただろうな」


「それは、同感です。……しかし、[イドル・ドゥ]という名に聞き覚えがありません」


「私もだ。だが[イドルの悪魔]という名はおとぎ話には出てくる」


「闇の聖霊、闇の神、小さき子鬼、内に潜む悪、様々な呼び名がありますが、それらは大抵[イドルの悪魔]」


「[イドル]の……何かなのか? わからないことが多すぎるな」


「それが、監獄の更に地下に、封印されていた」


「……陛下に、今こそ[書庫]の中身を問う時なのやもしれぬ。――どうだ?」


 テモベンテは押し黙り、考え込む。

 やがて、言った。


「今が、その時なのかもしれません。私からも陛下に進言しましょう」


「頼む」


 ※


「いやー……まいったねどうも」


 ユベル・ボーンは、執事が持ってきた報告を聞き、脱力し背もたれに体を預けた。


「後手に回っちゃった。『ボーン商会の推薦で異例抜擢された聖杖騎士団団長がメリアドールを誘拐した』って、もうかなり広まっちゃってるよね」


「そのようでございます」


 執事が淡々というと、ユベルは絶句する。

 新聞にすらも出回っていない、ユベルが知るわけもない配下の情報を先に報じられたのだ。


「……なんか思ってたより使えないねアイツ」


「わたくしめは黒騎士なる者を存じませんので」


「ちゃんと説明はしたろう? ビジネスライクさ。あいつが売り手、僕が買い手」


 執事は何も喋らない。ただ視線で訴えかけているのがわかったユベルは、もう一度ため息をつきポツリとつぶやいた。


「あーあー、もう。どーすんのこれ。計画がめちゃくちゃだよ」


 二週間ほど前、突如姿を現した黒騎士を名乗る男が、未知の遺跡とそこに眠る異物の情報を条件に、[ボーン商会]で地位を買った。

 無論、こちらとしても用が済んだら消えてもらいたい黒騎士との関係は深くしたくなどない。

 そういう意味では、[聖杖騎士団]は都合の良い押し付け先であった。

 執事が言う。


「旦那様は時々危険な橋をお渡りになる」


「そいつは違う。僕は時々じゃなくて、いつも危険な橋を渡ってきた。そして勝ってきた。だからこうしてここにいるんだろう? [聖杖騎士団]は実質僕の私兵だ。けど……んー、押し付けちゃおうかなぁ」


「お盛んなのは構いませんが、お家の断絶だけは無いよう気をつけていただきたいと言うのがわたくしめの本音でございます」


 しまった、とユベルは眉間にシワを寄せた。

 またアレを言われる……。


「あー、まあ。そりゃ悪かった。でも僕はいつも最後には勝って来たことは知っているだろう?」


「でしたら、せめて子を成していただきたく」


 そう言って執事はいくつもの写真の束を、腰に携えた[ヨバクリの鞄]から取り出そうとする。


「ああ、もう! 僕はまだ結婚する気はないって言ってるでしょ!?」


「お見合いの相手はいくらでもいらっしゃいます」


「ヤダよ! ヤダ!」


「旦那様は若く健康でいらっしゃる」


「そうかい、ありがとう。なら僕は来年も再来年も若くて健康だよ」


「今の方がより若くて健康でございます」


「でもヤダよ。相手だって、どーせどっかの弱小貴族でしょ?」


「ボーン家は貴族としてまだまだ若輩であります故」


「ほら見ろ! そんなのと結婚して子供でもできてみろ、僕の価値は決まっちゃうじゃないか!」


「わたくしめはお家の存続を第一に考える者であります」


「続くさ! あと家はもっと大きくなる! あれもそれもこれも、全部僕のものになる! そうやって来ただろう? 僕の力、キミは特等席で見てきたじゃないか」


「旦那様のお力を疑ったことはございません」


「だったら!」


「それとこれとは話が別でありますので」


「んもうわからずや! ヤダからね、結婚とか! 第一身近に隠し事ができない女とか、口の軽い子供がいるって耐えきれない!」


「しかし、お家が途絶えてしまえば仕えている者たちが露頭に迷います」


「ああもう、わかった、いつかはするよ、いつかは!」


「それは、いつでしょうか?」


「いつって、そりゃ……」


 ユベルは考える、そんな時が訪れるのか?


 ――この僕の身に?


 何を馬鹿な、と首を振り、ユベルは言った。


「夢を諦めたら、その時がそうでしょ」


 と。

 執事の目が一瞬細くなる。


「[賢王の遺産]、アレがそうだとお思いで?」


 アレとは、つい先日、黒騎士から場所の情報を提供され、[ボーン商会]が発見した遺跡の奥深くに眠っていた異物のことだ。


「さぁ? けど、面白いじゃないか。記憶が無いと自称する黒騎士が、わざわざ場所を提示してくれてさ。向かってみたら誰にも知られていない遺跡があって、その奥には[紅蓮ゴーレム]以上のものが眠っていたなんて。仮に[遺産]じゃなくたって、そうだと言えるくらいには見事なもんだ。キミだって見てきたんだろう?」


 遺跡の封印は、すでに解かれていたのだ。

 此方側で用意した魔導師によれば、封印が解かれた時期は、[古き翼の王]の復活と重なっているらしい。

 ならばアレは、[古き翼の王]に備えてビアレスが用意した[遺産]か、あるいは全く逆、ザカールが再び世界を支配するための力か――。


「ヴァレス君もアレの存在は知らなかったと言っていた。なら、とりあえず戦後に作られたものと見て間違いないでしょ」


「嘘を言っている可能性があります」


「おいおい酷いな。僕の大切な友人だよ?――ま、剣聖殺しはヤツなんだろうけど、さ」


 しかし、嘘どうかなどはどちらでも良いのだ。

 ……人は信じたいものを信じる。

 今回の件だってそうだ。

 先に情報を出されてしまったから、こうなった。

 だから同じように、先にアレを[遺産]だと宣言してしまえば、そしてその圧倒的な力と優位性を示してしまえば――。


「強い思いにのみ反応を示す赤いゴーレム。ロマンがあって良いじゃないか。だとすれば、アレはビアレスが残した――人のための、[願いの器]」


 執事は黙ってユベルの言葉を聞いている。

 ユベルは続ける。


「ビアレスは、自分たちだけの[古き翼の王]を作ろうとしたのさ。それがあの[遺跡]、巨大なゴーレム。[遺産]の前で強い思いを示し手に入れたものはまさしくビアレスのような勇者となり、民を導く。……あ、そんな感じで噂、広めといてね? あの姿こそ、まさしく現代に蘇った[神話の王]なのだ、とね」


 ふと、語りながら今思いついたことを言う。


「あ、ガラバは実は人間ではなく、発掘されたゴーレムのことを指すのだ、みたいな説も良いんじゃない?」


 執事は応えない。ただいつものようにそこにいるだけだ。

 ユベルが言った。


「よし、僕たちも被害者路線で行こう。黒騎士に騙された、しかしその責任の一旦は聖杖騎士団だけでなくボーン商会にもある」


 言いながら、考える。

 黒騎士は、裏切られる前に裏切ったのか。

 あるいは、すでに用済みだからこちらを切ったのか。

 メリアドールを、王家の血統を、誘拐し、去った。


 ――ならば、後者かもしれない。


「黒騎士は、ひょっとして『本物』を見つけたのかもしれないね」


 そう口にし、ゾクゾクと背筋が震えた。


「ウチからも、聖杖騎士団からも大規模な捜索隊を出そう。――そして誰よりも先に、黒騎士を捉えて……後は、フフフ……どうなるかな?」

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