第91話:泥の情念
そこは、青い輝きを放ち続ける知らない何かだった。
継ぎ目の無いいくつもの塔が天へと立ち並び、空の情景がリアルタイムで描写される高い天井が遠くに見える。
見たことも無い情景。
想像したことすら無い何かが、メリアドールの眼前に広がっている。
一緒に飛ばされたらしいアンジェリーナが、剣を抜き、警戒しながらメリアドールをかばうようにして前に出る。
彼女の肩は、震えていた。
未知の、存在――。
ここは、何だ……?
研究施設、だったのか?
それにしては広すぎる。
遺跡のようにも見えるし、街のようにも見える。
いくつかの壁に、扇が三つほど組み合わさった奇妙なマークが描かれている。
あれは――?
『……素晴らしい』
低く不愉快な声がした。
その声の主――黒騎士がぐいと身を乗り出し、歓喜に打ちひしがれるように両の手を広げ、言った。
『これが、[賢王の遺産]』
アンジェリーナは何も言わず、ただメリアドールの盾となり剣の切っ先を黒騎士に向け身構えたままだ。
メリアドールは口の中で小さく、
「これが、本当に[遺産]なのか……?」
とつぶやく。
黒騎士が歌い上げるように言った。
『どれだけ欺かれてきたことか! どれだけ踊らされ続けてきたことか! ビアレスめ! なぁにが賢王よ! 小賢しく悪知恵を働かしていただけではないか! だが[遺産]はあった! そしてやはり、[鍵]は血統だった! 一度開いてしまえばこちらのものだ。あるのだとわかってしまえば、あとはどうとでもなる! [鍵]は、こちらにあるのだから――』
ゆらりと黒騎士が振り向き、兜の奥の狂気の眼でメリアドールを見据えた。
同時に、知らない別の男の声が聞こえる。
『――お前では無い』
黒騎士が反応するよりも早く、かすかに見えた鋼色の骸骨が手を掲げる。
一瞬の輝きの後、黒騎士も、アンジェリーナも、メリアドールも暗闇に投げ出され、次の瞬間には見覚えのある遺跡の床が視界に写り込んだ。
アンジェリーナが咄嗟にメリアドールを抱きかかえる。
だがアンジェリーナは床に背中を勢い良くぶつけ、
「あう」
と短い悲鳴をあげた。
メリアドールは困惑したまま、
「アンジー」
と声をかけると、彼女は苦しげな表情で、
「だ、大丈夫」
と返す。
同じく飛ばされた黒騎士が、不愉快な声で言った。
『ふ、ふ。そりゃあそうだ。半端者は弾かれる。本当の[鍵]は――あの場にいて、グランドリオの小娘では反応しなかった。ならばマリーエイジの小娘か、あるいは――』
ゆらり、と黒騎士がメリアドールを見据える。
『ガジット、古い呼び名はG(ギネス)・イット。ギネス家そのものである。そういう言い伝えだな?』
ぞわり、と悪寒が走った。
ゆっくりと黒騎士のどす黒い腕が、メリアドールの眼前に伸びる。
メリアドールが反応するよりも早く、アンジェリーナが剣を鞘走らせ、黒騎士に斬りかかる。
メリアドールから見ても、見事な剣捌きであったが、黒騎士はそれ以上に琉美で完璧な[ガラバ流]の動きでアンジェリーナの剣を弾き飛ばした。
目の前で繰り広げられた、一瞬の剣撃――。
アンジェリーナは叫ぶ。
「メリー、逃げて!」
同時に彼女は〝雷槍〟を黒騎士に向け撃ち放つ。
『無様である』
黒騎士は放たれた〝雷槍〟の直撃を受けるも、さしてダメージを受けた様子もなく力づくで魔力の衝撃すらも押しのけ、アンジェリーナの首を掴み上げた。
その姿は、まるで彼女を喰らい潰さんとする闇の帳のように思え、メリアドールは遅れて身構える。
『何を取っても中途半端な小娘。時間稼ぎすらできない。――所詮は反逆者の娘か』
一瞬、アンジェリーナの顔がこわばったように見えた。
力では、かなわない。
それは嫌というほど味わってきた現実。
それでも、メリアドールは目の前で苦しむ友人を見捨てられるほど冷徹な人間では無い。
メリアドールは勇気を振り絞り、叫んだ。
「無礼であろう黒騎士! 貴様は我が騎士を――」
瞬間、今まで受けたことの無い衝撃がメリアドールの頬に飛んだ。
その強い衝撃はたやすくメリアドールの姿勢を崩させ、べたりと地べたに倒れ込む。
黒騎士が笑った。
『無礼? それは姫様の方でありましょう?!』
メリアドールはようやく、自分が殴られたのだと理解し、絶句した。
もはや、黒騎士には[聖杖騎士団]という肩書も、記憶喪失だという建前も必要無いのだ。
今、ここで勝負を仕掛けるつもりなのだ。
何を――?
[遺産]のため?
何故そんなものを求めるのだ?
……ザカールの手のものなのか?
いや、それにしてはあまりにも――。
どくん、どくんと心臓の鼓動が大きくなる。
リディルは、来てくれないのか……?
メスタは助けに来てくれないのか?
考えろ、ヤツの目的と、今、望むものと、こちらができることと――。
黒騎士の大きな腕が、アンジェリーナの首をつかみ取る。
黒騎士は彼女の体を軽々と持ち上げた。
『なぁにが[ビューティーメモリー]よ! ビアレスという男は、結局の所誰も信じてはいなかった! 友情? 仲間? 家族? ハッ! これがその末路! ヤツは自分の子孫すらも信じられず、紙切れしか受け継がせず、こうして別の場所に本当の[遺産]を隠していた臆病者に過ぎない!』
そうして、ギチギチとアンジェリーナの首が締め上げられていく。
彼女は苦しげにうめき、黒騎士の手を払いのけようと懸命にもがくも、適うはずもない。
放った雷槍は全て漆黒の鎧に弾かれ、弱々しい稲妻の残照を周囲に撒き散らすだけだ。
瞬間、メリアドールは両の手に魔力を迸らせ、無詠唱で発射の体制にまで持ち込んだ最上級魔法の〝八星〟を黒騎士に向ける。
「メリアドール・ガジットの名に置いて、黒騎士なる男! 反逆罪として撃つ! でなければその手を離せ!」
黒騎士は笑う。
『フフ、アハハハハ! なぁんにも知らないのですね、お姫様! それとも、お前は思っていたほどこの小娘に信頼されていないのかな?』
「――警告はした! 撃つ!」
バチン、と魔力がほとばしり、メリアドールの両の手から放たれた〝八星〟が黒騎士の心臓部に直撃した。
しかし――。
メリアドールの全力を受けてなお、黒騎士は立っていた。
笑っていた。
『ギルドから逃げた[弱属性]の小娘が、この私に通用するものかあ!』
メリアドールはすぐさま二射目の体制に入る。
しかし――。
がくん、とメリアドールは膝から崩れ落ちる。
たった一発、全力を放っただけで、魔力が枯渇してしまったのだ。
黒騎士はもう一度、
『ハアッハッハ! 無様だねぇ!』
と吐き捨ててから、アンジェリーナの細い体を高く持ち上げた。
黒騎士が言った。
『だからお姫様に教えてやる! 先の戦いの本当の黒幕は、ザカールでは無い!』
それでも、メリアドールは諦めず剣を抜き去った。
剣の腕に自信は無い。
断片的な情報を照らし合わせ、今、できること。言える言葉――。
「……[遺産]が狙いなら、彼女は必要なはずだ。離せ」
『そのもの! ガジットのお前がいればそれで結構! この娘には、死んでもらう!』
メリアドールは抜き去った剣の刃を、自分の首に充てがった。
「どちらも残らなければ、どうするつもりだ?」
黒騎士がビタリと動きを止めた。
自分でも恐ろしいほど、冷徹になっているのがわかる。
烈火のごとく猛っていることも。
同時に、違うな、と直感した。
それは、友人たちを守るために培われた絶大な武器である。
これだけが、唯一、メリアドールの持ち得る力なのだ。
その勘が告げているのだ。
黒騎士は、アンジェリーナを殺したがっている。
何故、と自問する。
マリーエイジ家は……確かに、ドリオ・マリーエイジは人から恨まれる人間ではあった。
いや、誰だってそうだろう。
長く生きていれば、そして人の上に立つ仕事をしていれば、必ず誰かから恨まれる。
全くの逆恨みということだってありえるのだ。
ならば、黒騎士は――復讐をしたがっている?
……本当に?
ならば、何故今なのだ?
全てを今得た地位をかなぐり捨ててまでマリーエイジを殺したいのなら、今、ここである必要はどこにも無いはずだ。
何故――。
黒騎士が、わずかに苛立った様子で言う。
『知ればそんな気はなくなる。お前は愚かな子供でしかない』
「ならやってみろ。結果はすぐに出る」
メリアドールはぐっと刃を押し当てる。
熱い痛みとともに、血が刃を伝った。
また、黒騎士が言った。
『愚かな』
「引け、黒騎士を名乗る者! 貴様の出る幕では無い!」
『ドリオ・マリーエイジこそが、先の戦いを仕掛けた張本人!』
メリアドールは、思わず息を呑んだ。
しかし、すぐにそれは世迷い言だと言い聞かせる。
ドリオ・マリーエイジはリディルをかばって死んだのだ。国のために――誰かのために命を投げ出した人なのだ。
そんなはずは無い。
事実、彼はメリアドールを逃がすために、戦いの渦中へと飛び込んで行き……その背中が、メリアドールの見た最後のドリオの姿なのだ。
黒騎士が続ける。
『国家のため? 民のため? くだらない。ヤツは我が子を女王にするただそのためだけに、国を売った男よ。配下のレドラン・マランビジーを使い[教団]を裏で操り、暗躍し! 女王暗殺を目論んだ! 結果、どうなった? ザカールは新たな肉体を得、街は焼かれ、大勢の罪なき人々が焼け死んだではありませんか! そしてあまつさえ、その事実を! 自分可愛さから愛する主君にすら打ち明けず欺こうとする醜い魂胆! 生かしてはおけぬ!』
メリアドールは、刃をわずかに走らせた。
ぼたり、と鮮血が流れ落ちる。
焼けるような鋭い痛みの中メリアドールは言った。
「くだらん問答に興味は無い。我が騎士を殺せば、お前は全ての[鍵]とやらを失うことになる。選べ。全てを失うか、私か」
ここに来て、初めて黒騎士が狼狽した。
『小娘……!』
黒騎士はなおも口惜しそうにアンジェリーナを兜の奥から睨みつけ、メリアドールの顔を交互に見、最後にもう一度アンジェリーナを見、叫んだ。
『私を見ろ、メリアドール! 私は、私こそが、選ばれた者として、世界をより良く導き得るのだ! それを邪魔しようとするお前は、国家への背信である! 絶対者が必要なのだ! 力を持ち、コントロールできる者! それを理解できない愚か者を裁くために! 私は選ばれたのだ!』
激高する黒騎士を冷ややかに見据えながら、メリアドールはある種の確信を得る。
『――だ、だと言うのに、賢しいだけの、小娘が! お前ごときが、マリーエイジごときが! 良くも……! こんな真似を!』
黒騎士はアンジェリーナを乱暴に投げ捨て、そのままの勢いでメリアドールの首を掴み上げる。
『容赦はしない!!』
メリアドールは、言った。
「口先だけの、小者と見た」
黒騎士の肩がこわばった気がした。
「猛々しいことを口にし、実行に移す気概の無い――」
黒騎士の振り下ろした拳が、メリアドールの頭蓋を揺さぶった。
咄嗟に強化魔法で防御していなければ、殺されていたかもしれないほどの力だ。
不完全なメリアドールの魔法では全てのダメージを防げず、幾度となく乱暴に振り下ろされた拳にメリアドールの血がこびりついていく。
――それでも。
バチン、とメリアドールは倒れ込んだアンジェリーナに目掛け、転移魔法を放つ。
遅れて意図に気づいたアンジェリーナが、掠れた声で叫ぶ。
「ま、待って、メリー……!」
咄嗟に黒騎士が赤黒い〝雷槍〟に似た魔法を撃ち放つも、もう遅い。
すでにアンジェリーナの転移は完了しているのだ。
何度も、何度も研鑽を重ねたメリアドールの魔法は、[発動速度]だけならミラベルにも劣らないのだ。あのいけ好かないアークメイジにだって――。
赤黒い〝雷槍〟は虚空を裂き、遺跡の壁にぶつかると、低く唸るような雷鳴が鳴り響いた。
血を、失いすぎたのかもしれない。
霞む視界の中、メリアドールは口の中で小さく言った。
「ざまあみろ」
と。
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