第73話:友達
カルベローナ・テモベンテの憤りは、珍しく自分にでは無く国へと向けられていた。
いや、正確に言うならば、大衆の感情に、と言うべきだろうか。
いつもカルベローナに付き従ってくれている従騎士の一人、ロロナ・コルトーネは実家で療養中だ。
大切に育てられた愛娘なのだ。いくら付き合いが長い家だとしても、テモベンテに託した愛娘の命が狙われたとなれば、気が気でないという理屈はわかる。
だから、別にそれは良い。
カルベローナの苛立ちの一つは、もう一人の従騎士、エミリー・ジロットの件だ。
彼女の、家族は――。
カルベローナはぎゅっと唇を噛んだ。
あの時狙われたのは、カルベローナでは無い。
最初からGの血統――すなわち、エミリー・G・ロットの命も狙われていたのだ。
パーティ会場でも、巻き添えで殺された者も少なからずいた。
貴族たちが神経質になっていることにも、理解できる。
しかし――。
カルベローナは乱暴に[帝都]の最北端に位置する[幽世の塔]の扉を開けた。
既に許可を得ているため、憲兵たちは迷惑そうな顔をこちらに向けるだけにとどまっている。
この[幽世の塔]は、危険な生物や魔獣を幽閉しておくために作られた施設である。
基本的にこの塔に入れられる者は、最悪の場合野に解き放ち、敵を混乱させ、そして敵もろとも処分するために集められた――あるいは、魔術師ギルドの研究対象として、ギルドでは管轄仕切れない強大な力を持つ異形の怪物たち。
噂では、ヴァレスとかいうザカールが召喚した魔人と同じ種族の何者かも幽閉されていると聞くが……。
先日の戦いで、ザカールは捕らえられ、[時の監獄]と呼ばれる所在不明の施設に入れられている。
どれもこれも、危険な敵を封印する施設だ。
しかし、ここに幽閉された子は――。
ザカールとの[同調]の可能性を恐れ、彼女は[花の宮殿]から最も遠いこの塔の最上階に幽閉されていた。
いくつもの[結界門]をくぐり、掃除の行き届いてない階段を登り、その作業を繰り返し、カルベローナはガタのきている窓から外の景色を見て、少しばかり安堵した。
古い時代の、遺物。特にこの[幽世の塔]は、もう何年も――何百年も使われていないのだ。
魔人が封印されている、というのも所詮は噂でしか無く、つい今しがたくぐった結界門だって、外からの攻撃には無力なのだ。
だからこの塔に、ミラベル・グランドリオが幽閉されたのは、体裁のためなのだろう。
使い古された形だけの、建造物。
ろくに整備されていないため、現代の魔法科学文明からしてみれば、不完全な牢獄。
それでも、友人として、カルベローナの気持ちは穏やかではないのだ。
あの場を収めたのは誰だ。皆の命を救ったのは誰だ。みんな、わかっているはずだ。
ミラベルが――。
そうして、その結論が、ミラベルをザカールから遠ざける一番の理由でもある。
ミラベルは、〝支配の言葉〟を使ったのだ。
誰も、〝ウィル・ディネイト〟と叫んでいない。
だがその弁護を、リディルが使うリドル卿の鎧が否定する。
人の言葉で、概念の魔法は発動するのだということを、もう知ってしまったのだ。
未知とは恐怖だ。
みんな、不安に掻き立てられ躍起になっている。
ただ未知というだけで恐れ、遠ざけようとする。
この[幽世の塔]に来たカルベローナの護衛だって、たった一人しかいないのだ。
皆恐れて近寄りたく無いのだろう。
あの可愛らしいミラベルが、無関係な人に向けて[支配の言葉]を撃つのだと考えているのだ。
なんと愚かな。
そして支配される可能性があるこの場にやってきたこの護衛は、よほどの馬鹿か、無知か、蛮勇か。
あるいは――。
カルベローナは警戒を強めながら最後の階段を登り、最後の結界門を潜ろうした。
すると、その護衛がカルベローナの行動を静止する。
「テモベンテ嬢。これより先に行くことは、許可されていません」
カルベローナはすぐに答えた。
「ええ。わたくしも許可は頂いていません」
カルベローナが真っ直ぐに、その護衛の瞳を見据える。
教会から使わされた、監視役。
それ以上の情報を持っていないのは、心細かった。
カルベローナは今、たった一人なのだから。
彼が教会の監視役ならまだマシであり、最悪の場合ミラベルに悪いものをもたらす可能性だってありえるのだ。
教会もまた、一筋縄ではいかない存在なのだから。
だが、その不安はきっと、ミラベルはもっともっと感じているものだ。
だから、カルベローナはこうして来た。
……自分が自分を、許せなくなるから。
カルベローナは、その護衛を真っ直ぐに見る。
「友達が、一人でいるのです。だから、わたくしは、この先に行きます」
無理矢理にでも。
その意図を込めて強い口調で言うと、護衛は苦々しげな顔になる。
そのまま護衛はぎゅっと眉間に皺をよせ、視線をそらし、何かを考え込むようにして目をつむり、ややあってカルベローナに背を向け、言った。
「自分は、何も見ていません」
それは、カルベローナにとって意外な反応であった。
もう、その護衛はこちらを見ず、微動だにしていない。
カルベローナは、
「ありがとう」
と告げて結界門にふれる。
門を通る直前に、ふとカルベローナは思いたち、その護衛の背に声をかけた。
「貴方、お名前は――?」
その護衛は、背を向けたまま敬礼し、言う。
「アルマシア教会、[八天騎士団]所属、騎士、トラン・ドール」
「そう、ありがとう、騎士トラン」
結界門を抜け、最後の階段を登る途中、カルベローナは思い出す。
トラン・ドール。確か、ミラベルと同じパーティを組んでいた剣士が、そんな名前だったはずだ。
そうか、とカルベローナは思う。
無知でも、蛮勇でも、無かったのだ。
それだけで、胸のうちに暖かな気持ちが溢れてくるのを自覚したカルベローナは、最後の階段を登りきり、施錠された分厚い鉄の扉に手をかけた。
五つある鍵を全て開け、重い鉄の扉を開ける。
部屋の中に、彼女はいた。
簡素なベッドの隅っこで、うずくまるようにして。
だが、彼女の瞳がカルベローナを一瞥すると、すぐに彼女は言った。
「あ、来た。遅いしっ」
カルベローナは思わずひょいと片眉を釣り上げ、言う。
「思っていたよりも元気そうね? ワンワン泣きわめいているのかと思っていたけど?」
「無い無い。だって、カルベローナは来てくれるって思ってたから」
そう言ってはにかんだミラベルは愛らしく、カルベローナは熱くなった喉の奥がぎゅっと閉まるような感覚を覚える。
そのままカルベローナはミラベルのもとに歩み寄り、ぎゅっと抱きしめ、言った。
「馬鹿ね……当たり前じゃない」
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