第六章:帝都 メリアドール編

第72話 後悔

 黒竜が迎撃に向かった少し後、それは起こった。

 小さな爆発音と共に、煙幕がばらまかれ、二十数名の人影が闇の中から一切に姿を現し、パーティ会場にいた貴族たちに襲いかかったのだ。


 一瞬、ミラベルは行動が遅れた。

 会場全体にアンチマジックフィールドが貼られているのを忘れ、魔法を詠唱し、未発動に終わったことでようやく自分の勘が鈍りきっていることに気づく。

 悲鳴が上がると、誰かが切られたのだと知り、ミラベルは戦慄する。

 どうする、武器も無いこの状況で、魔道士に何ができる――。

 視界の端で、三人の暗殺者がメリアドールに襲いかかるのを捉える。

 メリアドールは上ずった声で咄嗟に、


「リ、リディ――!」


 と助けを求める。

 同時に、その三人の暗殺者の首が両断され、気づいたときにはもうリディルがメリアドールを守るようにして剣を構えていた。

 暗殺者の一人が何者かに殴り飛ばされ、そのまま窓ガラスをぶち破り建物の外へと消えていった。

 その殴り飛ばした者が叫ぶ。


「リディはメリーを守れ!――なんとかする!」


 メスタだ。その力強い声のなんと頼もしいことか。

 リディがメスタの手を引き、どこかへ消えていくのを端目で捉えながら、ふとミラベルは思う。

 なぜ、メリアドールを狙ったのだ……?

 汚れた血を、消したいのではなかったのか?

 ならば今起こっている騒動は、反ガジット派の仕組んだこと、ということなのだろうか……?

 煙幕の中にある会場内には、悲鳴と同時に剣と剣がぶつかる音がいくつも聞こえてくる。


 ――わたしに、できること……。


 同時に、ミラベルの中の暗い感情が湧き上がる。

 良いでは無いかと。

 放っておけば良い。

 貴族同士の、くだらない内輪揉めだ。

 殺し合うのなら、そうやって死ねば良い。

 その微かな思考が、ミラベルの行動を最適から遠ざけた。


 慌ててミラベルは、思い浮かんだ暗い感情を振り払うようにして首を振った。

 何を馬鹿なことを考えているんだ。もう、友人が大勢できてしまったのだ。

 いばりんぼのカルベローナ、貴族でありながら彫金職人を目指している変わり者のリオン、おしとやかで優しいアミル、引っ込み思案なルーナ。

 みんな、ミラベルが大嫌いな貴族なのに、カルベローナの所為で、本当に友人になってしまったのだ。

 自分には戦える力があるのだから、せめて友人たちだけでも――。

 誰かが、悲鳴を上げた。


「カルベローナ様、逃げて!」


 一瞬でミラベルの全身に鳥肌がたつ。

 彼女は即座に位置を探す。

 声の位置、煙の動き、場所を――。

 ミラベルはすぐにカルベローナたちの姿を捉える。


 そして悲鳴を上げたその女性、いつもカルベローナの隣にいる元気な子。エミリー・ジロットに振り下ろされた暗殺者の刃――その盾となって立ちはだかるカルベローナの姿を見た瞬間、ミラベルはこの世の全てを呪った。

 よせ、やめろ、なぜ、どうして――。

 全ての動きがスローに見え、カルベローナの体に剣が吸い込まれてく様は地獄のような光景である。


 ミラベルの心の中で、何かが悲鳴を上げた。

 いや、それは悲鳴ではなく、産声だったのかもしれない。

 耳の後ろでチリチリと、知らない何かが弾け、かつて受けた[蛇毒]の傷跡から爆発的な怒りと憎悪と、想いが溢れ出た瞬間、ミラベルは叫んだ。


「〝やめろ〟!!」


 その[言葉]が雷鳴と共に響き渡ると、全ての暗殺者たちは、目に見えない力場で体を拘束させられた。

 同時に女王の、メスタの、ミラベルの左手に刻まれた刻印が灼熱に染まると、まばゆい漆黒色の輝きを放った。

 その輝きが巨大な竜の姿を形作ると、緩やかに、静かに、ミラベルの左手の刻印に収束し、消失した。



 ※



 ザカールを再び打ち倒した英雄、リディル・ゲイルムンド、ドリオ・マリーエイジの両名には、最高の名誉である、[金翼証]が贈られることとなった。

 それは、千年前の暁の[盾]と[剣]に贈られたものと、同じものである。

 だが、リディル・ゲイルムンドはそれを辞退した。

 結果としてその証は、ドリオ・マリーエイジだけに贈られることになった。

 授与式に呼ばれたのは、亡きドリオ・マリーエイジに代わり、ザカールと敵からメリアドールを守り抜いたという名誉も合わさり、アンジェリーナ・マリーエイジであった。

 そしてアンジェリーナは、マリーエイジ家の当主になったのだ。


 ――次期女王候補の一人という事実と共に。


 それが人々の希望を生み、善意を生み、その全てを利用する欲によってマリーエイジ派が再び台頭し、ガジット派とグランドリオ派に警戒心を抱かせた。

 しかしそれも、アンジェリーナがメリアドールの正式な従騎士となったことで事態は収束しはじめ、国にはただただ純粋な希望と善意だけが残されたのは救いであった。


 つまるところ、アンジェリーナは強い人なのだ。

 アンジェリーナがメリアドールの従騎士になってから数日が経つ頃には、先の戦いの情報は少しずつだが出回るようになっていた。


 ハイエルフの国、[ルミナス連合]に住む亡命を望むハイエルフをたぶらかしたのは、確かにこの[グランイット帝国]の者である。

 だがそれが、ザカールの息のかかったものだということが分かれば、事態はあっという間に紐解かれていく。

 しかし、とアンジェリーナは思う。


 それでも、最初の一手を指してしまったのは、父だったのだ。

 秘密裏に[盾]の隊長室に呼ばれたアンジェリーナは、ティルフィング・ゲイルムンドに説明を受けた。

 [盾]と、[剣]の得た情報によれば、女王襲撃の目論む本来の暗殺者は、ろくに戦闘経験も無い冒険者崩れであり、数も五人しかいなかったはずだ、と。

 そしてその五人の遺体が、郊外で発見されたと。

 アンジェリーナは、目を伏せ、思う。


 父は――――。


 しかし、それ以上は思考にも、言葉にも、想いにもならず、ただ静かに服の裾を握ることしかできない。

 全ての報告を終えたアンジェリーナは、退室を促され隊長室の扉に手をかける。

 アンジェリーナの背中に、ティルフィングから声が投げかけられた。


「リディルを――かばって、死んだというのは……」


 それが、その場にいた冒険者たち、騎士たちの証言でもある。

 だが、アンジェリーナは――。


「……わかりません。……私は、その場にいませんでしたので――」


 父の死に目に、立ち会えなかった。

 自分が父を殺すのだろうと、そういう覚悟さえしていた。

 憎悪に染まりきった男なのだ。もはや、死を持って止めるしか、方法は無い。

 彼はこの国の平穏を奪う、獅子身中の虫なのだ。

 ……だのに父は、この世で最も憎んでいるはずの相手を、自分の人生を狂わせた怨敵を庇い、死んだのだ。


 その事実が、アンジェリーナの胸の内をかき乱す。

 娘である自分なら、何か、できたかもしれない。

 だって、父は、あのリディルをかばって死んだのだ。

 最後にそういうことが、できた人なのだ。

 ……だったら、もっと、できたかも、しれないのだ。

 では、何が――?

 アンジェリーナは、自ら投げかけたその問に答えることができなかった。

 もう、マリーエイジ家の当主は、彼女なのだから。

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