第74話:頼れる人、縋れる人
襲撃による死者は千人にも及んだ。
家を焼かれ避難施設で暮らすことを余儀なくされた者も含めると被害者の数は更に跳ね上がる。
それらの問題が、マクスウェル商会の三男であるケルヴィンを憂鬱にさせた。
だが、漏れ聞こえてくる貴族界隈の印象は総じて明るいものである。
ザカールの、それどころかかつて万を超える人々を屠り、数多の国を滅ぼした[魔人王ディアグリム]を相手にして、たった千人の死者で済んだ。
それどころか、双方を生け捕りにもできた。
むしろ大勝利である。
故に、貴族たちは表向きでは被害者への哀悼の意を捧げつつも、実のところはその甘美な勝利に喜び勇み、酔いしれているのだ。
ケルヴィンは、自身の心が深く沈んでいくのを自覚した。
数字の上では、そうだろう。
数字の、上では――。
それが悔しくてたまらない。
最年少の部下バリエントと、お調子者のダーンは既に実家に戻っているため、ケルヴィンが今軽口を叩ける相手は人では無い。
だが、人よりも人らしくもある、変わり者の黒いドラゴンだった。
ここは、[帝都]の南、[魔術師ギルド]にある魔獣用の治療施設だ。
最近は魔獣を使役する者はど田舎でもめったにいないため、取り壊しが検討されていた施設だが、こうして日の目を見るのは皮肉だな、とケルヴィンは苦笑する。
そして、除菌の付呪が施された白い壁と薄い布だけの簡素な部屋で治療を続ける友にここ数日の状況を伝え、勢いのまま貴族たちへの愚痴まで述べると、[翼]の彼は小さくため息を付き、体の痛みで顔を歪めながら言った。
「ああ。……ティルフィング女史から、聞いている。どこも、みんな大変だよね……」
「ティルフィング隊長が、ここに――?」
意外だ、と素直にケルヴィンは驚いた。
同時に、こうも思う。
一人娘の見舞いにも行かない人が――。
そこからはひどい邪推と妄想であり、ケルヴィンは思い浮かんだ卑しい考えを否定するようにして首を振る。
ぼとりと彼の鱗が爛れ落ち、ボロボロと崩れ消失する。
すぐさま鱗が再生されるも、今度は別の箇所の鱗が同じように爛れ落ちた。
ケルヴィンは思わず目を反らす。
これが、[死の言葉]。
そして死ねない彼の、現状。
彼が、静かな口調で言う。
「キミが言う、その浮かれている貴族の、人たち」
一度、彼はごほ、と咳き込んだ。
喉も、器官も、死に続けているのだ。
会話どころか呼吸もつらいだろう。
「ティルフィング隊長から聞いた。――私の保護と、様々な、権利の授与。満場一致だった、そうだ。思惑は、どうあれ……皆が、私を、認めてくれた。……キミの嫌う、人たちも、皆……」
一瞬、ケルヴィンは彼が大人に見えた。
それは揶揄では無い。
純粋に――ケルヴィンが理想とするあり方に見えたのだ。
だが、ケルヴィンは、
「理屈だよ、それは……」
という言葉しかひねり出せず、無性に恥ずかしくなる。
[翼]の彼が言う。
「だと思う。――ケルヴィン君は、中から見ているのだから、たくさんのことを知っているんだろう」
そして、外のことを知らないのだ。
――視点が違えば、見える世界も違う。
それは、ケルヴィンに刺さり続けている現実でもある。
「……俺は、一体何をしているんだろうな」
と、同時に弱音を吐く。
「パーティでは、あたふたしているだけだった。……巨大な爆発を、バルコニーから眺めているだけだった。駆けつけようとしても、逆に守られるだけで――俺は、何もしていない。結局、訓練をして、鍛えたつもりになって……ファッションだよ! こんなものは! 俺は……遊んでいるだけだ。ごっこ遊びでしかなかった」
同時に、これが言える友がまだ生きてくれていることを、心の隅では嬉しくも思う。
[ハイドラ戦隊]はケルヴィン、バリエント、ダーン以外の男性騎士はいないのだ。
無論、庭師やコックはいたが、彼らの多くは昔からその家に仕えている者たちであるから、どうしても遠慮が生まれてしまう。
ケルヴィンにとって、使用人は家族同然なのだ。
だからこそ、
――これで俺が、好き勝手振る舞えるヤツならもっと楽だったのかもしれない。
という思いもかすかにあった。
嫌なヤツになることができたら、こんなにも悩むことは無かったはずだ。
自分の弱さに苦しむこともなかったはずなのだ。
[翼]の彼が、鱗を崩れ落ちさせながら顔を向ける。
「……マクスウェル、商会。国の流通を牛耳る商家、同時に商人ギルドの長。……経済は、国の根幹……だと、思うよ、ケルヴィン君」
時折言葉にたどたどしさが見える。
何かできることは無いか――。
別に愚痴を言いに来たわけでは無いのだ。
ケルヴィンは――自分の無力さに打ちひしがれ、それでも誰かを助けたくて足掻いている。
そういう意味では、助ける相手を探し求め、[翼]の友人に縋ったとも言える。
だがそんなものは感情であり、実践に移そうと思えばまた別の感情が邪魔をする。
「理解はしている。……だが、今更どんな顔をして会えば良い。俺は、家族の期待を無下にしたんだぞ。騎士としての結果も残せず、そんな俺が――」
それは、ケルヴィンの中の苦い思い出である。
若気の至り、と言っても良い。
四年前、十三歳だったケルヴィンには、父が金の亡者に見えたのだ。
何をするにも金、金、金。それがケルヴィンにはたまらなく醜く思え、皆を救える騎士になると宣言をして家を飛び出し、それがこのザマだ。
だから、メリアドール・ガジット姫が新たな騎士団を創設すると言う噂を聞いて飛びついたし、それが伝説に聞く[ハイドラ戦隊]の真の後継者を名乗りもすれば、心が踊った。
リディルは、たった一人で、当時の[ハイドラ戦隊]全ての騎士を打ち倒した。
あまりにも見事で、美しく、神話の中の剣聖そのもののように感じられた。
一挙一同がまるで一つのメロディーのようになめらかに行われ、最初は一対一の決闘形式であったものが、いつの間にか相手側の騎士全てがリディルに襲いかかり、全てが終わった時には、リディルは剣すら抜かず、汗ひとつかかず、傷一つ追わず、そして全ての相手側も無傷のまま無力化してしまったのだ。
その戦いぶりに見惚れたのは、ケルヴィンだけではない。
ケルヴィンの無茶な誘いに乗ってくれたバリエントも、渋々付き合ってくれたダーンですらも、その強さに呑まれた。
だが、ケルヴィンはすぐに現実に気付かされる。
あれこそが騎士の真の姿だと確信したほどのリディルは、強さに意味など無いと言い切り滅多に剣を振るおうとしなかった。
王位継承権のあるアンジェリーナはお茶会に明け暮れ、騎士と呼べるようなふるまいの一切を見せない。
そして、彼こそはと憧れていた叔父は、リディルをかばって帰らぬ人となった。
強さとは何だ、俺にできることとは――。
ケルヴィンは、まるで懺悔するような思いで言った。
「騎士団に入る後押しをしてくれた、父に……今更、会えるものか」
父が、母が、メリアドールにケルヴィンの騎士団入りを懇願してくれたと知ったのは、入団してからだいぶ経ってからだった。
その事実は赤面するほど恥ずかしく、無様であり、滑稽であり、過去の自分を呪い殺したくなるほど。
結局俺は、何もできなかった。
その事実が、ケルヴィンに重く伸し掛かる。
それどころか、父や兄の方がより皆を救っているでは無いか。
専用の小型飛空艇を無休で回し、操縦士には特別手当を出し、炊き出しだって他の騎士団よりも遥かに多くの地区で行っている。
帝都の流通を、麻痺させるわけには行かないのだ。
ここが止まれば、被害にあっていない多くの街にも影響を与えてしまう。
そんな当たり前のことを、ケルヴィンは知ろうともせずに家を飛び出し、家族に守られているとも知らずに騎士団に入り、何もできずにこうしてここにいるのだ。
生き恥だ、とケルヴィンは唇を噛んだ。
「俺はな、翼の。父が追い求めている夢を……[ビューティーメモリー]の悪口を言って、家を飛び出してしまったんだ。……俺は、父の夢を笑ったんだよ。何が世界を救う[知恵の遺産]だって、そんな夢物語あるわけが無いって。父さんは、自分の私利私欲のために有りもしない希望で、人々を利用しているだけだって。……俺は、そう言ってしまったんだ」
今だって、[知恵の遺産]のことは信じていない。
だが、未知というものへの理解は、ほんの少しだけれどもあの時よりあるつもりだ。
未知そのものである[古き翼の王]が、こうして友人として傍らにいるのだから。
……夢を、否定する権利なんて、誰にだって無いはずなのだ。
――それを、俺はやってしまった。
やってしまったのだ――。
だが、黒竜は穏やかなに言った。
「良いじゃないか、それでも」
「何が。どこが」
と返してから、すぐにケルヴィンは苛立ちを出しすぎてしまったことを後悔する。
そういうとこなのだ、と自分が嫌になる。
すぐムキになってしまう。できないことをできると言い張ってしまう。
相手は友で、怪我をして、国を救ってきた英雄だと言うのに――。
だが友は気にもとめずに、言った。
「ちゃんとさ、良い家族をやれているんだ。だったら、帰ったって良いと……僕は思うよ」
ふと、思う。
彼が自分のことを僕、と呼ぶようになったのはいつの頃からだったか。
大衆の面前では私、と呼んでいたが、いつの間にか彼はケルヴィンたち三人といるときは僕と呼ぶようになっているのだ。
これが彼の素なのか……?
彼が続ける。
「ケルヴィン君のご両親は、キミの帰りを待っている。――こんな襲撃もあったんだ。心配しているはずだ。だったら――せめて、顔を見せるくらいは、した方が良い。キミには、帰れる場所が、ある」
別に、彼が――家族のもとに帰りたがっていることを忘れていたわけでは無い。
だが、あえて言われて気づく重みというものだって、あるのだ。
ケルヴィンは視線を落とし、
「恥を忍んで、か?」
「ん、そうだ。騎士なんだろう?……だったらさ、恥の一つや二つかいて、それがどうってことないんだって見せてやる必要があるんじゃないか?」
「誰に」
「そりゃ……自分自身とか、友人とか……僕にだってさ。恥をかける大人は尊敬する」
「……言いたいことは、わかる」
「だったら……行けよケルヴィン君。……僕を、助けてくれるんだろう?」
それは、彼が見せた少しばかりの弱みだったのかもしれない。
だからだろうか、ケルヴィンもまた、ほんの少しだけれども、勇気と呼ぶよりもっと前の小さな何かが芽生え、
「そうだな」
と小声で頷いた。
結局、ケルヴィンは背中を押してほしかっただけなのかもしれない。
末端の貴族とは言え、噂は聞こえてくる。
ミラベル、ザカール、[古き翼の王]。ピースが揃ってしまっている。
そして全員が捉えられ、王家のミラベル、殺しても殺せないザカール、今まさに[死の言葉]を受け弱りきっている[古き翼の王]。
今、貴族たちは様々な熱に浮かされて、彼を持ち上げている。
だがそれは、勝手な感情であり、彼の人となりを無視した無限の期待なのだ。
大きすぎる期待は、すぐに裏返る。
それを煽る輩も出て来るだろう。
魔人ヴァレスの行方は、わかっていないのだから――。
ならばケルヴィンにできることは、国の流通のトップである父を、商会を頼るしかないのだ。
安全性が疑われ国が許可を出していない治癒薬の話だって耳にしたことがある。
それも効果と副作用が凄まじいやつだ。
商会ならば、何かできるかもしれない。
そして自分には、その力があるのだ――。
最後にケルヴィンは、叔父の言った『負けるなよケルヴィン君』という言葉を思い出す。
それが、この世で最も尊敬する騎士から送られた、最後の言葉――。
短く沈黙し、思考し――ケルヴィンは言った。
「悪いな翼の。少し顔を出してくる」
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