第49話:後悔

 それから更に三日が経った。

 今日も[ハイドラ戦隊]貴族令嬢たちが物珍しさから黒竜の姿は見物にやってきている。

 彼女たちの従騎士や執事、メイドなどもチラチラと横目で黒竜の姿を伺っているのにはもう慣れた。

 だがそれは、黒竜の扱いの緩さの現れであり、それが件の会合で得た女王側、即ち国家として黒竜を敵視まではしないという判断そのものである。


 メスタは出歩くことすらできないほど体の疲労が溜まっていたらしいと聞いており、つい先日ようやく松葉杖を着きながらではあるが多少の会話をした。

 やれ大変だったなとか、戦ってる時の記憶は無いだとか、当たり障りのない内容ではあったが。

 先程見かけたアークメイジも先日よりは元気そうだ。


 少しずつ[ハイドラ戦隊]の面々が日常を取り戻しつつある中、黒竜はミラの顔を一度も見かけていないことに気づく。

 それとなくカルベローナに問うてみると、彼女は知的に笑って言った。


「ドラゴンと従者は本来対になる存在。

 近くにいるだけで事情を知らぬものは警戒するし、恐れもする――」


「……ううむ、良く、わからんのだけど」


 別にミラが近くにいるから、あるいは遠くにいるから力がどうということはない。

 それは黒竜の実感である。


「そもそも、[竜人の里]には一緒に向かった。そして悪い影響は無かったはずだ」


 すると、カルベローナは黒竜の頬をぐしぐしと撫で、言った。


「貴方とミラベル、双方に何の影響も無いのでしたら――

 それが貴方の願いということなのでしょうね」


「ど、どゆこと……?」


「[従属の言葉]はより強い[支配の言葉]ということです」


「――? ど、どゆこと?」


 ちんぷんかんぷんだともう一度首をかしげ問うと、カルベローナは盛大にため息をついてから説明しだす。


「本来でしたら、心の概念を操る[支配の言葉]の更にその先、

 魂の概念すらも作り変えてしまうのが、[従属の言葉]でしょう?

 それをご存じない言うのでしたら――。

 ああ、全く。学者たちの大多数は、[従属の言葉]を使った貴方は

 等しく[支配の言葉]を自在に使えるのだと考えていますわ」


「そこがわからない。私[支配の言葉]は使えんのだ。

 言葉の意味もわからない。……あれ、でもそれってやばくない?

 私世界的には危険って思われてる?」


「当たり前でしょう。

 ……てっきり覚悟の上かと思っておりましたが、無知と蛮勇でしたのね?」


 さらりと皮肉を言われた黒竜は、


「うっ……」


 と押し黙った。そして、


「……ミラ君は?」


 と問うとカルベローナは難しい顔になって言う。


「[古き翼の王]に支配されていると考える学者の方が多いでしょうね。

 ドラゴン研究は、結局[支配の言葉]の解明まで行かなかった。

 だから憶測が通説としてまかり通っているわ。

 ……実際、わたくしだってこの目で見るまではそれを信じておりましたし」


「……ならば、その学者たちに会えばわかってくれるだろうか?」


「無理でしょうね」


 黒竜のかすかな希望を、カルベローナはあっさりと否定した。


「何百年と研究を重ねた結果の憶測。それをたかが一意見、

 特に貴方という[古き翼の王]そのものの意見など、誰が信じるものですか。

 戯言を通り越して甘言、敵のまやかしと考えるのが普通でしょう。

 ……少しはご自分で考えたら?」


「すんません……」


 そういうものかと考えながらも、黒竜自身もどこかでそうだろうなと実感する。

 地球が動いていると訴えた学者は、確か最終的には他の否定意見に負け、自説を曲げさせられたのだ。

 カルベローナがぽそりと、


「人は自分の信じたいものを信じる」


 と言ってから、黒竜に向き直った。


「ですので、貴方には貴族的な振る舞いをしてもらわねば困るのです」


「え、どゆこと……?」


 思わず問うと、またカルベローナの鞭が黒竜の額にぴしゃりと飛んだ。


「あ痛っ」


「想像なさい」


「ぼ、暴力はいけない……」


「ドラゴンは力を信仰する種族でしょう?

 優しく叩いて差し上げてるのですから、理解なさい」


「そう言われましても……」


「……全く。想像力の無い貴方には、団長の気苦労などまるでわからないのね」


「――? く、苦労は、しているとは思う。大変だなーと、思ってる……」


「浅はか。里の一件で団長が本国からこっぴどく叱られたのは耳にすら入っていないようね?」


「えっ――」


「貴方という力、[古き翼の王]を私的に運用したこと。

 あまつさえその力を[司祭]であるミラベルと同時に使ったこと。

 それを事後報告としたこと。

 ――見ているこちらが辛くなってしまうほどですわ」


 それは――。

 黒竜は言葉を区切り、かすかに項垂れた。

 全く、知らなかった。考えもしなかった。

 ただ漠然と、大変そうだな、部隊のことで苦労しているなくらいにか考えていなかったたのだ。

 しかし、とも思う。


「だけど――」


 先程言ったように、何も無かったのだ。

 そう訴えるようにして言おうとした言葉は、カルベローナの言葉で遮られる。


「何も無かったと、証明できまして?」


 それは、悪魔の証明である。

 カルベローナが続ける。


「……報告はわたくしも目にしています。

 〝次元融合〟、そして強大な力と力がいくつもの次元の壁を無理やり壊し、

 ついに[神界]にまでたどり着いた。

 そこにいたのは、ザカール、メスタさん、リディルさん、

 アークメイジのカトレア・オーキッド、そして貴方――」


「カトレア嬢の言葉なら、信じてくれるのでは……?」


 アークメイジ、という肩書は伊達では無いはずだ。

 その思いで言った希望であったが、カルベローナは苦笑で答える。


「話半分、でしょうね」


「な、なぜ――?」


「弟子のミラベルを溺愛する師の言葉。例えそれが真実を語っていたとしても、

 最初から疑ってかかるものでしょう?

  本国では無名のメスタさん、悪名だけが勝る異端、狂人リディルさん。

 ……貴方、ド田舎の[グランリヴァル]だけを見て国全てを理解したつもりになっていらっしゃらない?」


 黒竜はぐうの音も出ず、押し黙った。

 カルベローナは続ける。


「未知というのは、恐ろしいものでしょう?

 貴方とミラベルは、千年ぶりに訪れた未知そのもの。

 そこにザカールの復活も加われば、陰謀を騒ぎ立てる者だって出てくる。

 今は臆病に行動すべきだと思うし、団長もそう判断した。

 それだけのことでしょう?

 ――ザカールが歴史の示す通りの人物なら、そこも利用してくるはず」


「……どういう人物だったのだ?」


 歴史書を読み漁りはしたが、あくまでもそれは全体としての歴史である。ザカール個人に焦点を当てた本はなかなか見つからない。

 マランビジー嬢によれば、一応あるにはあるそうだが。

 カルベローナは、


「その姿で質問されると何だか滑稽ですわね」


 と前置いてから語りだす。

 そもそもの発端が、ザカールだったのではないか、というのが最近の研究で明らかになってきた。

 元々、ドラゴンという強大な力と知恵を持つ種とは敵対関係にあったわけではない。

 無論、近しい間柄というわけでも無く、互いに不干渉であったのだ。

 住んでいる土地や好む気候、土地がまるで違うというのもある。

 人種は穏やかな気候、作物が育ち水が豊富な土地を好むが、ドラゴンは切り立った山々の山頂や、人の住めない極寒の地を好む傾向がある。

 それは彼ら自身が強靭な鱗と甲殻を持つことや、厳しい自然、即ち属性の吹き荒れる土地でこそ[言葉と息]の力が発揮されることにも繋がっている。


 力による統治を行うドラゴン社会において、自身の力の強化に繋がる土地に住むのが常識であり、更に主食は主に魚や海藻であったと記されている。

 僅かに残されている文献によれば、彼らは海流を読み、稚魚を放ち自らの土地に戻ってくるような漁業を行っていた気配すらもあるのだ。


 中には物好きなドラゴンが時折人里を訪れ、あるドラゴンは気まぐれで人を襲い、またあるドラゴンは気まぐれで人を助け、しかしながらそういったドラゴンは所謂力社会の群れから逸れたり追放された弱いドラゴンであり、容易に討伐されたり懐柔されたり――そして、そのような弱きドラゴンに価値は無いとして彼らの怒りを買うことも無かったのだ。


 そんな不干渉が長く続いていな中に現れたのが、ザカールだったのだ。

 歴史によれば、ドラゴンの軍勢にザカールが組みしたのでは無い。

 人を支配せんとやってきたドラゴンの軍勢には、最初からザカールがいたのだ。

 当のザカールの力も恐ろしいほどに強大であったが、やはり彼の恐ろしさは人を(ドラゴンさえも)巧みに操ることにあった。


 何をしたかったのかまではわからない。

 自らが世界の王になろうとしたのか、あるいは別の目的があったのか。

 ともあれザカールは世界を混乱させ、互いに争うように仕向け、そして疲弊したところをドラゴンの軍勢を率い一挙に世界を手中に収めたのだ。

 カルベローナは続ける。


「後は、資料が一切残されていない神話のお話。

 [闇の神]の従者ザカール。……歴史のお勉強をしているのですから、

 その程度のことはご存知ですわね?」


「そ、それは、もちろん」


 童話にもなっている。

 [闇の神]の従者ザカールは、ミュール王を殺し世界を闇に陥れた。

 だが、光に導かれた勇者によって討たれ、

 その勇者こそがミュール王子であり[最初の暁の勇者]だとされている。

 そしてその後、[暁の勇者]は英雄の称号となり、ドラゴンたちから世界を救った十三人は[最後の暁の勇者]として今も讃えられている。

 最後にカルベローナは真剣な顔でこう言った。


「自分の弱さを認められる敵は怖いわ。慎重だもの――」


 そしてその敵が既に、潜伏している可能性があるのだ。

 黒竜は雲ひとつ無い空を仰ぎ見、思う。

 甘く考えていたかもしれない。

 自惚れていたかもしれない。


 ……戦えば勝つだろう、ある種根拠のない自信が、満身を生みどこか傲慢になっていたかもしれないと思い立った。

 いや、本来なら既にそのことを黒竜は知っているはずなのだ。

 強大な軍隊でも、民間人の中に紛れ込んだテロを完全に防ぐことはできないのだ。

 内側に潜む隣人の振りをした敵意をどう見分けろというのか。


 同時に、先のザカールとの戦いで黒竜は少しずつ自分の力を正しく見つめ直すこともできていた。

 おそらく、遠距離戦や巨大な相手、大多数の敵と戦うのに自分は相当の力がある。

 全方位への攻撃や、追尾ミサイルのような[言葉]も会得した。

 だがそれは、敵が敵とわかっている状況に限る。

 そして近距離戦に置いてはいくらでも弱点はあるのだ。


 最初のリジェットとの戦いではあっさりとミラに封印されてしまった。

 暴走したメスタにも容易く捕まり、力を吸収されてしまった。

 ザカール相手でも近距離での戦いは劣勢だったのだ。


 思えば、記憶の中にいた[暁の勇者]たちも、主として近接戦闘でドラゴン達に勝利を収めていたでは無いか。

 長距離の[言葉と息]を除けば、ドラゴンは所詮腕力が強いだけの獣だ。

 そんなものはきっとブルドーザーやダンプカーでも押し勝てる。

 では内側に潜伏した敵に対してどう抗えば良いのか。自分にできることはあるのか。何ができるのか。

 思考し、それでも答えが見つからず、黒竜は、


「……怖いな」


 とつぶやいた。

 カルベローナがうなずく。


「ええ、本当に。

 でも、貴方がここにいることそのものがわたくしたちの武器でもあります」


「真正面からの対抗はしてこないから?」


「そう。貴方がいれば、少なくとも敵側の出方を一つ封じることができますもの。

 問題は、本国が貴方を完全に味方だとは考えていないことですけれど」


 それが悩みのタネではある。

 ふと、黒竜は問う。


「キミは……カルベローナ君はどうなのだ?

 私のことを……その、なんだ、信じてくれているのか?」


 それは黒竜の本心から来る疑問である。

 疑われながら過ごすというのは、つらいのだ。

 すると、カルベローナは笑って言った。


「後先考えず、馬鹿の一つ覚えでミラベルを助けようとしたでしょう?」


「馬鹿の一つ覚えて……」


「ではただの考えなしの蛮勇と言い換えましょうか?」


「……い、いや、まあ、はい」


「その馬鹿な蛮勇でたいして縁があるわけでもない他人を救おうとする貴方の事、

 はっきり言って同じ騎士団の仲間として背を預けたくはありませんわね。

 何をしでかすかわからないお人好しなんて、怖いだけですもの。――だけど」


 その余りにも辛辣な物言いでげんなりしかけた黒竜であったが、彼女の次の言葉を待った。

 カルベローナは少しだけ微笑んでから、黒竜の頬をぐしぐしと撫でる。


「友人としてなら。だって、貴方はわたくしの友人の、恩人ですもの」


 その言葉は少しだけ暖かく、黒竜は気恥ずかしさもあって、


「――結局、いらぬ火種を撒いてしまった」


 と口にする。

 また、カルベローナは笑って言った。


「ええそうね、愚か者のお馬鹿さん?

 だけどああしなければ、ミラベルは死んでいたわ。

 ……救える命を見捨てるなんて、テモベンテ家の恥よ」


 そう言った彼女は少しだけ悲しそうな顔になる。


「……難しいわ、本当に。火種であることは、事実。

 ……ミラベルを助けたことで、

 ひょっとしたらこれから失わなくて良い命が失われるかもしれない。

 ――この後、何が起こるのか想像もつかない。ザカールのことだもの。

 だけど……それでも、あの時あの場所で、

 命を切り捨てるような人間には、なりたくない。

 そういう思いも、確かにあるの。

 ……貴方はどう?

 自分の行動が、必ずしも最善の結果を生んでいると思う?

 見落としていること、無い?

 完璧にこなせたと思っていても、後からたくさんの、人の――」


 カルベローナは一度言葉を区切り、何かを思い出すように……それが自身の苦い思い出であるかのように、言葉を絞り出す。


「……自分が、悪だと……そう思い知らされたこと、無い?」


 黒竜は、返答に詰まった。

 違う。

 これは黒竜に対して投げかけられた質問では無い。

 カルベローナ自身が、苦しんでいるのだ。後悔しているのだ。救いを求めているのだ。

 だが、黒竜は答えなんて持ち合わせていない。


 ……それでも、何か、かけてやれる言葉は無いか。

 僅かな逡巡であったが、カルベローナはすぐにフっと笑い、首を振る。


「馬鹿なことを聞いたわ。忘れて頂戴」


 そう言ったか細いカルベローナの背中に、黒竜は何も言うことができなかった。

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