第50話:旧王家のお嬢様
黒竜が感じた十二番隊隊長のアンジェリーナ・マリーエイジへの第一印象は、優しい人、であった。
それは黒竜への態度が普通の人と接するものと全く同じものであったからだ。
だが他の人々との出会いを通じて、違和感に気づいてしまった。
千年ぶりに現れたドラゴン、それも邪竜そのものという凶悪な姿を相手に初対面で普通の人と同じように接する。
それは不自然なのだ。
自然に抗うことを、ごく自然にやってみせる。それは意志の強さである。
そしてその意思が鋼であると理解したのは、アンジェリーナが[ハイドラ戦隊]の派閥でカルベローナの語るところの[堕落派]のリーダーであることを知ったからだ。
隊の訓練や遠征に反対し、[中立派]を味方につけ、[ハイドラ戦隊]が[グランリヴァル]から出られない理由を彼女が作ってきたのだ。
だが、[堕落派]という例えはただの悪口に過ぎないと黒竜は感じていた。
あるいはカルベローナ流の皮肉であろう。
アンジェリーナは、[ハイドラ戦隊]の、団員の、そして団長の身の安全を第一に考えているから慎重なだけである、というのが彼女側(二番隊と十三番隊以外の全て)の意見だ。
本当に自堕落な生活を送りたいだけなアリスのような者にとっては大歓迎なことでもあり、そういった面々が全面的に応援しているという部分も大きい。
そういう意味では、[ハイドラ戦隊]を実質牛耳っている影の団長はアンジェリーナなのかもしれない。
実際、彼女の家系であるマリーエイジ家はガジット、グランドリオに次ぐはずの名家である。
マリーエイジ家はかつて、千年前にこの国を統治していたミュール王の家系なのだ。
黒い噂はいくつも飛び交っている。
マリーエイジ家は再び王家を復権させようとしているのでは無いか。
王朝を奪ったグランイットを恨んでいるのでは無いか。
当時国を治めていたドリオ王は、[暁の勇者]を守る組織の片割れ、[暁の剣]の団長でもあったのだ。
今でも[戦士ギルド]には、武神、戦闘神ドリオとして像が祀られており、一定数の支持者を集めている。
だが時は流れ、[暁の勇者]がもたらした[鋼の時代]が再び[魔法の時代]に移り変われば、それは今の[戦士ギルド]の様子そのものなのだ。
既に[戦士ギルド]は、言ってしまえば戦士や衛兵、大工や飛空艇技師などの肉体労働を主とする者たちの保険会社に成り果てている。
いくつかの武具や工具の貸し出しも、月々の支払いプランに応じて行っている。
[暁の剣]だって、とうの昔に解体されてしまっているのだ。
それがマリーエイジ家には気に食わないのかもしれない。
何故[盾]が残ったのに[剣]が解体されなければならないのか。
逆でも良かったのではないか。
そういう思いが彼らの中にはあるのだろう。
[ハイドラ戦隊]の隊の順番は、単純に入団順である。
しかしながら、その経緯はまるで違う。
事実上の初期メンバーはメリアドールの一番隊とカルベローナの二番隊だけであり、その他は少しずつメリアドールが渋る貴族の娘らを自ら誘っていったものなのだ。
故にどれもこれも、個性的と呼ぶべきか、自己中心的と呼ぶべきか、そしてその根底にが善であるのが話してみればわかる子たちばかりだ。
だが、十二番隊のアンジェリーナ・マリーエイジと十三番隊のケルヴィンら男性部隊はメリアドールが誘ったわけではない。志願した者たちなのだ。
その中でも十三番隊のケルヴィンらは、騎士団としての正義感が前面に出ており、入団してからだいぶ落胆したらしいとは耳にしている。
とは言え、リディルから話を聞くに、そもそも下調べもせずに突撃してくる彼が馬鹿なだけなのだそうだが。
しかし、アンジェリーナは違ったらしい。
彼女は入念に下調べをし、人を遣わせ、メリアドールが集めた三番隊から十一番隊の支持を掌握してから軍資金や物資を土産に入団の許可を認めさせたのだ。
その用意周到さはまさしくメリアドールにとって政敵と呼ぶに相応しいように思え、黒竜はつい先程訪れた客人の柔和な笑みに震えた。
メリアドールの指示で一番隊宿舎の真裏に建てられた黒竜用の小屋は、ある意味では煉瓦作りの牢獄である。
それが外への体裁なのだとわかっているのは、質素で冷たい印象を受ける外見とは裏腹に内装が充実しているからだ。
暖かな火が灯る暖炉と、黒竜の希望で作られた広くふかふかなベッドはようやく人並みの生活ができるかもしれないという希望の象徴である。
だが人間用の椅子やテーブル、果ては紅茶セットなどは何のために使うのかと苦笑もしていたのだが――。
「カルベローナ・テモベンテさんは随分と熱心に団長を戦いに誘っているようだけれど」
と言ってから、黒竜宅の椅子に腰を掛けていたアンジェリーナは、紅茶で唇を湿らせた。
彼女の隣に他の隊と同じく二人の従騎士が付き従っている。
紅茶も彼女たちが入れたものだ。
椅子もテーブルも、紅茶セットも諸々の人用家具、やけに豪華で質が良さそうなものを用意してくれたなと少しばかり驚いていたが、何のことは無い。これらは全て客人、即ち彼女たちのためのものなのだ。
とは言え居候の身でもある。希望通りのフカフカのベッドを用意してくれただけでも十分だろう。
アンジェリーナは、黒竜がちゃんと話を聞いていることを視線で確認してから、話を続けた。
「――私から見れば、自分の罪滅ぼしに他人を巻き込んでいるだけにしか見えないわ」
棘のある言い方であるが、不快に思うよりも先に黒竜は思わず、
「罪滅ぼし――?」
と彼女の言葉を反芻した。
彼女がにこりと微笑むと、黒竜は『ああ、俺は釣られたのか』と気づく。
黒竜は微かな不快で表情を曇らせると、それを見て取ったアンジェリーナはわざとらしく頬杖を着き、少しばかり崩した姿勢になって言った。
「あの子に助けを求められたんでしょう?」
それは黒竜の胸の内にするりと入り込んだ得体のしれない何かであり、言いようの無い恐怖である。
アンジェリーナの様子は先ほどとはまるで違って見えた。形式張った貴族然とした様子からガラリと変わり、少し育ちの良い年頃の女の子の姿になっている。
いや、事実そうなのだろう。十七という年齢は政治家のように振る舞うには余りにも幼く、故にどこか人間離れした恐ろしさを感じていたが――。
しかし、と思う。
――戦法を変えただけかもしれない。
そう感じるほどに、黒竜はアンジェリーナのことを過大評価していた。
もう侮りはしない。侮りはしないが、その上限はわからないのだ。
相手を大きく見すぎるというのも問題ではあるが――。
だが結果として黒竜は返答につまり、押し黙った。
「カルベローナさんはリディルさんのことでずっと苦しんでいる。
……けど、どうしよう?
あまりプライベートのことまで話しすぎるのは良くないかな?」
そうして浮かべられた彼女の微笑は愛らしく、黒竜の警戒心を解かせる気安さを感じた。
おそらく、黒竜が彼女のことをどう聞いているのかも承知の上だろう。
無論、口と単語の選び方が悪辣なカルベローナの弁である。黒竜だって言葉をそのまま信じたりはしていない。
黒竜が思案していると、彼女はまた愛らしく首を傾げ、言った。
「[翼]くん? どうしたの? 大丈夫?」
「[翼]くんて」
思わず返すと、アンジェリーナはくすりと微笑んで。
「あれ? 駄目だった……? アリスが図書館で仲良くなったって言っててさ。
もう古くもないし、王でも無いけど翼はあるから[翼]くんって。
……この呼び方、嫌い?」
警戒心がみるみるうちに解かれていくのを自覚しながら、黒竜は注意深く返す。
「いや、構わない。……少し、驚いただけだ」
「どうして?」
「[翼]くんと呼ぶのは、アリス君だけだからだ」
「あ、そっか。……駄目だった?」
「いや、そういうわけでは……」
「[翼]くんは、私のこと嫌い?」
言葉に詰まると、アンジェリーナはすぐに続けた。
「ごめんなさい、少し言葉が過ぎたわ。
カルベローナさんは私のこと誤解しているみたいだから――。
ふふ、ちょっと変な感じになっちゃったね」
彼女は、何が言いたいのだ……? 何をしに来たのだ……?
この手のタイプに良い印象は無い。
常に論点を反らして話の主導権を握ろうとするタイプに思えてしまう。
そしてそれは決して頼れる味方では無い。
だが、黒竜はあえて彼女の目を見て、言った。
「すまない。
貴女には、以前テモベンテ家のテントで食事に誘われた以外の印象は無い」
アンジェリーナの表情に僅かな笑みが浮かべられる。が、その視線は相手を探るそれであり、彼女は、
「へえ?」
とだけ愛らしく首を傾げた。
黒竜はすぐに返す。
「カルベローナ君は、良い友人だ。だが――アリス君も、良い友人なのだ。
私からしてみれば、貴女は友人の友人だ。だから、嫌いなどとは思わない」
怖いとは思うが、という言葉を胸の内で述べ、黒竜は最後にこう言った。
「誤解されることには、私も慣れている。……だが、見ての通りこんな男だ。
貴族も政治もわからない。誰が来ても警戒くらいはする」
即ち、お前に心は許していない。
黒竜は、内心で『い、言ってやったぞ』と盛大に息を尽き脱力した。
正直勇気のいることである。これが蛮勇でないことを祈ろう。
やがてアンジェリーナは何かを言いかけてから一度口を閉じ、思案し、そして言った。
「それもそうね」
口調が、変わった。
そのまま彼女はゆっくりと椅子を立ち、従騎士に目配せをする。
すると従騎士は一度頭を下げてから帰り支度をし始める。
「出直すわ、[古き翼の王]さん? 陰口は良くないものね」
彼女の瞳は冷たくもなく、かといって暖かくもない。無かと言えばそうでもなく、ここではいない何かを常に見据えているような――そんな印象を受ける。
ある種の気高さを感じさせる。
「だけど、カルベローナがリディルのことで悩んでいるのは本当よ?
たぶん、無駄な悩みだけどね」
「無駄って――?」
「ふふ、内緒。陰口は良くないでしょ?――ああ、それともう一つ」
既に従騎士が帰り支度を終え、扉を開けて待っている。
アンジェリーナは去り際に一度ちらと振り向き、笑って言った。
「私、メリー団長のことは好きよ?」
と。
皆が去ったのを確認してから、黒竜はどさりと体をベッドに預け、ぎゅっと目をつむって呻いた。
「な、なんか疲れた……ええ、俺これからああいう人たちの中に飛び込まにゃいかんの……?」
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