第五章:帝都 剣聖編
第48話:鬼教官
ぴしゃり、と本日三度目の鞭が黒竜の顔に飛んだ。
その鞭の主、カルベローナが鬼のような形相で声を荒げる。
「一昨日言って! 昨日言って! 今朝言って! それで何故直さないの!?
貴方! ドラゴンだからといって良い気になっているようですけれど、
このわたくしはそうはいきませんわ!
今まで以上に厳しくさせていただきますから!」
牢獄で一度も受けたことの無い鞭を、まさか今になって受けるなどとは思ってもいなかった。
それも年端も行かぬ少女相手から。
黒竜は今、[ハイドラ戦隊]宿舎の大きな大きな中庭で、一週間後に参加すると勝手に取り決められていたパーティ出席のための訓練を受けさせれていた。
それは別に良いのだが、指導に当たるカルベローナが想像以上にスパルタであり、黒竜としては少しばかりつらい。
崇め奉って欲しいとは流石に思わないが、もう少しチヤホヤしてくれても良いのではないだろうか、というのがここ最近感じているところでもある。
実際頑張っているのだ。
というかここに来てから功績しか上げてないはずだ。
[冒険者ギルド]での評判も良い、はずだ。
ミラがああなってしまったので、黒竜は渋々ながら一人で活動をしているのだが、引く手数多なのだ。
やれ討伐のパーティに、遠征の、補給の、様々な誘いの手を、受付の女性が[青銅級]の冒険者だからという理由で勝手に断ってしまうのは仕方のないことではあるが――。
だが、今カルベローナに鞭を打たれるのにも、意味はあるのだ。
何せ、次の昇級試験は筆記と面接があるのだから……。
「メスタさんの目が覚めて、色々と事情だって変わってきて、
少しずつきな臭くなってきてる中でやるパーティの意味を想像なさい!
誰が敵か誰が味方か!
まさかそんな品定めをするつもりなどとは思っていないでしょうね!?
少しでも多くの理解者を得るために行うものだと、理解なさい!
政は、敵を作るのではなく味方を増やすためにやることでしょう!?」
そんなこと言われましても、と黒竜は肩をすくめる。
一応わかってはいるのだ。
ザカールが復活したことは、すでに各国に知れ渡っている。
対応しなければならない。戦いの準備をしなくてはならない。
そしてそれは、黒竜の本来の目的から遠ざかることでもあり、同時に解決の糸口の一つでもあるという矛盾なのだ。
結果として、あの戦いで黒竜は[精霊界][魔界][神界]までの次元を超えたのだ。ならば同じくそこから更に[魔界][精霊界]と通ればもとの世界は間近である。
……とは言え、どうやってあの世界に行けたのか検討もつかないが、希望が見えたのも事実。
帰ることができるかもしれない。
未だに顔と名前が思い出せない、しかし面影と思い出ははっきりと思い出せる家族の情景。
それが、原動力なのだ。
しかし、目的達成のためには目の前の問題も解決しなくてはならない。
おそらく、現段階で最も有益な情報を持っているのはザカールだろう。
だが先日の戦いで、ザカールが決して味方ではないことがわかってしまった。
仮に頭を垂れあちらの軍門に降ったとしても、黒竜を元の世界に返すことなど決してしないという確信がある。
どうやらリドル卿の罠のおかげで最悪の事態は防げたようだが、取り逃がしてしまったのも事実。
そして他人の体を乗っ取る魔法があることも、わかった。
であれば黒竜が気をつけるべきは、自身の体を奪われることだろう。
……いや、既に今の状態が[古き翼の王]の体を奪った結果なのだろうか?
[帝都]に行くというのだから、そういう未知への答えもそこで見いだせれば幸いだが――。
[禁書庫]だって、あるのだ。
無論そう簡単に入れるとは思っていないが――。
ならば、できることを少しずつこなしていくしか無いのだ。
だから黒竜は彼女の怒りの形相にひるまず、一昨日から何度も述べている弁明をもう一度する。
「いや、あのねカルベローナ君。私、ほら、だから言葉しゃべる時、意味とかさ、
気をつけないと……出ちゃうから、ほ……ふー、炎、とか……火、とか、
その都度その都度別のイメージしながらじゃないとね?
危険だから、仕方なくてだね……」
先日、カルベローナは貴族たちを相手にするのならせめて言葉遣いをどうにかしろと怒鳴り込んできたのは別に良い。気にはしていない。
ダンスだったり食事マナーをとやかく言われずにすんだのは良かったが、言葉は死活問題なのだ。
言葉は喋るときに、その内容を意識して話す。
それが油断すればドラゴンの[言葉]となって発言してしまうのは、人として暮らすには余りにも不便なのだ。
こんにちわ、いい天気ですね程度ならば問題なかろう。
が、今日も暑いですねの一言にイメージでも加えようものならそこで発動し、一帯の気温を上げる[言葉]となってしまう。
カルベローナ曰く、パーティ会場で黒竜は品定めされる側なのだそうだ。
つまるところ、ただの獣か、制御できるか、敵か、味方か、味方ならば頼ることができるか、まともに戦えるのか。
様々な思惑の渦中に飛び込むのだ。
できることは何でもしておく、というのがカルベローナ流なのだ。
カルベローナは怒りの形相を一層濃くして言った。
「それを! なんとかしろと言っているのです!」
「い、いきなりは無茶だよ……」
「無茶でもやりなさい! せめてまともな言葉遣い!
貴方よくそれで今まで生きてこられましたわね!?」
そもそもこの体になってからまだ一月と少ししか経っていない。
だが黒竜は、
「す、すいません……」
と頭を垂れる他ないのだ。
どうも昔から子供には強く出れない。黒竜の性だろう。
すると、カルベローナの従騎士たちが遠目から恐る恐る彼女に声をかける。
「カ、カルちゃぁん……やっぱ無理だよぉ、怖いよぉ……」
「カルベローナ様乱暴ですぅ、食べられちゃいますよお……」
「お黙り軟弱者! それでもわたくしの従騎士ですか!
お二人とも武門の家柄でしょうに!」
「そ、そうだけどぉ……どっちかって言うと魔法の方が得意だしぃ……」
「わ、私は弓の方が……えへへ……」
「――んもう!」
カルベローナはぷくーっと頬を膨らましながら、黒竜の頬を素手でベシベシと叩いた。
「この子が人を襲うはずが無いでしょうに」
「この子て」
年下の子にこの子と呼ばれた滑稽さで思わず言うと、カルベローナは眉間に皺を寄せ、
「何か?」
と凄んだ。
「あ、いや、なんでもないです……」
平謝りである。
結局の所、黒竜は剣幕に弱い。
それは人の顔を伺う小心者というより、妹の機嫌をつい伺ってしまう甘い兄という人間性が染み付いているからだ。
父母に甘やかされて育ったという実感は無いが、黒竜側としてはどうしても年下を甘やかしてしまう癖があるのだ。
そのことで父母から苦言を呈されたりていたが、結局の所叱ったりという躾、すなわち甘い兄の尻拭いは父母に任せきりにしてしまっていたのは今思えば失敗であろう。
他人に厳しく言えない人間になってしまったのだ。
とは言え、その性分を今更変えることもできず、黒竜はカルベローナにされるがままである。
しかし、と黒竜は思う。
「……キミは凄いな」
と、思わず別の思考が声に出てた。
従者の二人の反応が、至極当然の反応なのだ。
本能、と言っても良いであろう巨大で獰猛な外見をした獣への恐怖。それを物ともせずにこうして黒竜を小動物の愛玩用ペットのように扱うのだ。
それが勇気か蛮勇か無知かはわからないが、ともあれ黒竜に取って彼女の対応は救いなのだ。
正面向かって馬鹿と言ってくれる善なる友人は、単純に貴重な存在という理由もある。
その部分に関しては、カルベローナという少女の人間性なのだろうが。
カルベローナはちらと黒竜の顔を見て、不敵に微笑んだ。
「あら? 褒めても優しくはしてあげなくてよ?」
その言い方がやけに愛らしく、黒竜は笑った。
「いや、良い。……言葉遣い、努力はするが」
「それなら、きちんと形になさい。努力は結果を出してこそ」
「う、ううむ……。は、はい……」
「ン、よろし!」
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