第16話:友達は魔法の先生

 土下座しているような黒竜の姿を見て、ミラは眉を少しばかり潜めてからため息を付き、語りだす。


 曰く、[言葉と息]を自分たちのものにしようと立ち上げられたドラゴン研究は、大半が失敗に終わっており、研究費は打ち切られ、形骸化し、今では万が一ドラゴンが再び現れた際の対処法程度しか教わらないのだという。

 なので、自分の知っていることもその範疇、と前置きした上で彼女はこう言った。


「基本的に、[言葉と息]は魂から魂に語りかける概念の魔法です。それを世界に使えば火を起こしたり嵐を起こしたりできますし、[古き翼の王]の言葉は精神すらも支配したとありました」

「精神……何だか物騒だね? 怖い」


 思わず言うと、ミラは苦笑した。


「あなたは本当に戦いの無いところから来たんですね」

「うん? うーん……」


 一切無いか、と言われたら疑問だが、それでもこっちの世界に比べたら遥かに平和なのかもしれない。

 いや、そもそもこっちの世界の国の事情など全然わかっていないのだが。

 ミラが真面目な顔になり、言った。


「『ウィル・ディネイト。その言葉が[古き翼の王]から発せられたのなら、仲間のことは諦めろ』、わたしはそう習いました。――わかります?」


 ウィル・ディネイト。口の中で反芻してみても、遺跡の記憶のように言葉の意味が思い浮かんだりはしない。だが同時に、やはり自分はその[古き翼の王]では無いのだと少しばかり安堵し、首を振った。


「ぜんっぜんわからない」

「これが、精神を支配する[言葉]みたいです。

 『ウィル・ディネイト! [古き翼の王]が叫ぶと世界が揺れ、民はドラゴンを王として崇めた。そして昨日まで彼らの王であった者は、民によって滅ぼされたのだ』

 っていうのは童話にもでてきます。本屋さんにも売ってますよ。

 まあ実際は王ごと支配されたみたいですから、この辺りは作り話なんですけどね」

「千年も昔の話だものなぁ……。でも何故それが[古き翼の王]だけの特別みたいになっているのだ?」

「あー……そこからですかー」


 ミラが呆れたように言う。

 その言いようで少しばかり黒竜は傷ついた。

 暗に、お前常識ないよと言われているようでちょっぴり惨めな気持ちになるのだ。

 最も、今回に限っては黒竜が常識不足なのは事実なのだが。

 その上で、もう少し優しく教えて欲しいと思うのは黒竜の甘えだろう。

 同時に、ひょっとしてこの子は友達少ないのかもしれない、とだいぶ失礼なことも考える。

 ミラが続ける。


「ええとですね、[言葉]には段階がありまして、

 初歩的な[言葉]は内なる魂から世界に語りかけるんです。

 まあ火を出したりそういうの。

 で、もっと高度になると魂から魂に語りかける……聞いた瞬間回避不可能って感じになるんです。

 死の言葉とか、束縛の言葉とかですね。

 だけど普通のドラゴンたちでもそれは難しかったみたいで、

 相手の本当の名前と顔が一致していることが前提条件だったみたいなんです」

「顔と、名前……?」


 昔似たような物語を読んだことがある。

 確か、死神のノートに名前を書くと殺せる的なあれだ。

 しかし、と思う。


「結構きつい条件に聞こえる」

「ええ、そうです。名前を魔法の詠唱そのものに組み込む必要があるんです。

 メスタ・ブラウン・ウィルディネイト! みたいに」

「……何でメスタ君例に出したの?」

「どうでも良いでしょそこは。

 ――でも、[古き翼の王]だけはどういうわけか名を呼ばずに支配できた……。

 そこんところずっと研究してたけど、

 結局わからないまま予算打ち切られてそのまんまって感じです」

 予算――。

 黒竜は口の中で反芻し、考え込む。

 お金よりも大事なものは山ほどある。当たり前だ。だが、お金よりも大切なものを守るため、得るためにはお金が必要なのだ。


「割と削られた研究って多いですよ。[次元魔法]だって、もう随分昔に打ち切られちゃって……」

「[次元魔法]――。それひょっとして……」

「ええそうです。〝次元融合〟とかの研究」

「ええ……嘘ぉ……マジか、打ち切られたの……? い、いつ?」

「二百年くらい前って言ってました」

「ああもう、めっちゃ昔じゃないの……」

「なので、アークメイジですら小規模な〝次元融合〟が使えるくらいです」

「そっかぁ……小規模の……ん?」


 思わず黒竜はぐいっとミラに顔を近づけ、言った。


「え、それひょっとして私もう帰れる……?」


 だがミラは、そこからかーと言わんばかりに深々とため息をついて言った。


「迷子になりますよ」

「迷子……?」

「〝次元融合〟で門を開くとそこは[精霊界]、

 そこを探索し比較的障壁の薄い地点でもう一度強力な〝次元融合〟を行い、[魔界]に行く。

 同じことを繰り返して[神界]までたどり着いたら、

 そこから更に[魔界]、[精霊界]と下ってようやく別の次元なんです。

 奥に行けば行くほど抵抗も激しくなります」

「……めっちゃきつくない?」


 思わず絶句して言うと、ミラは、


「当たり前でしょ。そうポンポンと〝次元融合〟で神とか悪魔とか連れてこられたら困ります。

 だから、完全な〝次元融合〟には術者の命を犠牲にする必要があるとか、多数の生贄とか……

 その問題がどうしても解決できなくて、予算打ち切りって感じです」


 それは、最もである。

 結果が出せない上に、実験しようにも誰か死にますでは……彼らにも、家族はいるのだ。

 それを許せる者はいないだろう。

 だがそれは黒竜の目的の遠さを現しており――。

 いや、絶望するのはもうやめよう。

 事実、黒竜はこうしてここに来てしまった。

 ならば、逆もできるはず。

 これだけで、今は良いのだ。

 ミラが続ける。


「ギルドだって慈善事業じゃないんです。

 建物は老朽化しますし、魔導書や魔道具だって買い足してかなきゃいけません。

 ……わたしがギルドに拾われたのだって、

 そういう予算の無駄を省いて他に割くことができたからですし」

「才能を見出されたと、言っていたね」

「初代賢王の方針です。それをずっと続けてきて、予算がきつくなって、

 つい最近ドラゴン研究が無くなった。……もったいない気はするんですけどね。

 でも、千年間高名な魔導師たちが研究し続けて、碌な成果もあげられなかったとなれば、

 そうなったことは仕方のないことだと思います」


 結果か、と黒竜はひとりごちる。


「後は、まあ、権力争いの余波みたいなもんですけど」


 というミラのつぶやきに、黒竜は顔を向ける。


「街でも噂話くらいは聞けた。確か……賢王の長女の家系の……

ええと、[グランドリオ家]、だっけ?

 そこが途絶えてしまって、次女の家系の[ガジット家]が王位について、

それでいくつかの分野を改革したり、予算カットされたり、

あるいは増やされたりと大変なのだそうだな?」


[グランイット帝国]の現女王は、メリアドールの母親である。ガジットは剣士の家計であり[戦士ギルド]や[冒険者ギルド]の派閥であり、逆にグランドリオ家は魔法の家計であったため、今まで日陰者であったガジット派の一部が好き勝手し始めたりと国全土に様々な影響が出ているそうだ。


「ほんと、迷惑です」


 そう吐き捨てたミラの顔は忌々しげに歪んでいる。

 ……何か嫌な思いをしたのかもしれない。

 貴族が嫌いだとも聞いていたので、


「そ、そうだね」


 と黒竜は当たり障りのない返事をするだけにしておいた。

 やがて、戻ってきた四人の冒険者たちの集めた薬草を、ミラが「んー、これは雑草で、これは使えるやつで、これはちょっと採り方雑ですねー」と分け終え、黒竜はミラを首の後ろ、四人の冒険者を背中に乗せて街への帰路についた。



 ※



 体いっぱいにくくりつけた薬草の籠をミラに外してもらいながら、黒竜はギルド本部の冷たい大理石の床にぺたんと座り、息をつく。


「ふー」


 すると、十を超える薬草籠を取り外したミラが気遣うように顔を覗かせる。


「やっぱりお疲れです?」


 黒竜はまた先程と同じように「いや」と首を振った。


「体の疲労は無いよ。これは本当だ。だが、まあ……故郷とだいぶ違う街並みや状況に置かれていると、気持ちは少し。……落ち着ける場所が無いというか、私野宿みたいなもんだし……」

 未だに黒竜は、運搬用の大型獣のための小屋の一角を借り、寝わらで生活しているのだ。

 俺人間やねんぞ、と声を大にして叫びたいのだ。


「そう?」


 とミラが首を傾げ、ちらと籠の中身の薬草の無事を確認していく。


「結構上質な寝わら用意してくれてるみたいですし、屋根と壁だってありますけど」


 それは、黒竜が自身を人間だと明かしていないがゆえの行き違いである。


「ふかふかのベッドが欲しいのだ」


 と言えば、


「えっ、ベッドで寝るんです?」


 と驚愕されるのだ。


「だ、駄目かな?」


 おずおずと問うと、ミラは困惑して考え込む。


「だ、駄目というか……ベッドで寝るドラゴンなんて聞いたことないですし……そもそもサイズが――。巨人用の住居にも入れなかったんですよね?」


 巨人は縦に大きいが、黒竜は縦のサイズはそうでも無いのだ。

 なら頑張って立てば良いのではと考えて実践してみたが、そうしたらそうしたで巨人の二倍ほどの身長になってしまうためやはりサイズは合わず、この帝都全ての宿舎で黒竜は断られてしまったのだ。


「うむ……つらい」


 黒竜ががっくりと項垂れると、ミラがぐしぐしと黒竜の顔を撫でる。


「こうなったら、土地を買って専用の家を作ります?」

「い、いや、永住する気は無いから……」


 ややあって籠の個数を確認し終えたミラは受付の女性に向け手を大きく振った。

 受付の女性がボードを片手に持ちこちらにやってくる。


「ちょっと行って来ますね」


 とミラが受付嬢に連れられてカウンターに向かった。

 すると、ゆっくりとした動作で巨大な影が黒竜の横に現れた。

 その影が言った。


「[翼]の、友。調子は、どう、だ?」

「やあ、ブロブ君か」


 見上げると、そこにいた影――全身に鋼鉄の板鎧を着込んだ三メートルはあろう巨人が、フルフェイスの兜の隙間から温和そうな瞳でこちらを見据えていた。

 彼は、最近友人になることができたロゴグロ・ブロブという巨人族の冒険者である。

 彼の方から声をかけてくれたのはありがたいことであったし、いわゆる『巨体あるある』で会話がはずんだのはつい先日のことだ。


「うん、調子は良いよ。私は友人に恵まれた、と思う。そのおかげだ」


 受付のカウンターで会話しているミラを見ながら言うと、ブロブは「そうか」と低く唸った。


「少しずつ、[翼]の、友、この街の、人、お前を見る目、変わってきている」


 ブロブがゆっくりとした口調で言うと、黒竜は頷いた。


「ああ。私もそう思う。受け入れられつつあるという、実感のようなものがある」

 だがそれは、黒竜だけの力で無いことはわかっている。

 受付嬢やミラたちの力添えがあっての――いや、殆どが彼女たちのおかげだろう。


「ブロブ君の時はどうだったのだ? やはり、大変だったのだろうか?」


 同じ巨体同士、という思いを込め問うと、ブロブは少しばかり考えてから首を振った。


「[翼]の、友。お前ほどでは、無い」

「そうなのか?」

「そう。俺は、確かに、巨人族、で……だし、巨人族はあまり、人の街、に、来ない。

だが、それでも、千年前、[竜戦争]で、一緒に、手を取り合って、戦った、仲間。

そういう意識が、俺にも、彼ら、人、にも、ある。

だから、驚かれはした、けど、すぐに、受け入れて、もらった」


 [竜戦争]。口の中でつぶやいてから、「そうか……」と返した。

 ブロブが続ける。


「[翼]の、友。お前の、姿。伝説の、邪竜、魔神、[古き翼の王]そのもの」

「むう……風評被害だ」

「わかる。[翼]の、友。お前は、不思議なドラゴン。姿形、伝説の邪竜。

だが、お前の、様子……すまない、良い言葉が、出てこない。

だが、遠くから、お前のこと、見ていた。とても……優しい、人間に、見えた。不思議、だ」


 黒竜は顔をあげ、ブロブを見た。

 この街で、黒竜を人と呼んでくれるのは彼だけだ。

 それがどんなに嬉しいことか。


「ありがとう、ブロブ君。キミにそう言ってもらえると、勇気づけられる。私は良い友人をもった」


 ブロブが少し黙り、気恥ずかしそうに兜の上から顔をかくそぶりをした。


「俺も、恵まれた。良い友人に、出会えた」


 遠くから彼の仲間が、


「ブロブー! 行けるかー!」


 と大声で手を振ると、ブロブは片手を軽く振って返す。


「行くのか?」


 問うと、ブロブはゆっくりと頷いた。


「行方不明の、冒険者仲間の捜索。リジェット。彼も、良き、友、だった。

ギルドからの依頼。背が高い、俺は、こういうのも、得意」

「そうか。気をつけてな、ブロブ君」

「う、む。[翼]の、友よ。お前の、冒険も、報われることを、祈っている」


 そう言って彼はゆっくりと歩き出し、冒険者たちと合流しギルドの大きな門をくぐって外へ向かった。

 やがて、ギルドで手続きを終え報奨金を受け取った黒竜はそのままミラを首の後ろに乗せ、のたのたと巨大な門をくぐったその瞬間であった。


「やあ、良いタイミングだったね」


 ろくな護衛も無く、そして先日のように綺羅びやかな鎧を着込むこともなく、男装の令嬢といった服装のメリアドールとメスタと鉢合わせた。

 ミラが少しばかり懐かしむように、


「メスタ」


 と名を呼ぶと、彼女は少し疲れた素振りを見せたが、すぐに笑顔になって、


「よっ」


 と片手を上げた。

 メリアドールがふと、ミラの顔を見て言った。


「キミの義姉さんのことで、少し」


 と。

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