第7話:異世界召喚の魔法

「〝次元融合〟とは最も強力で危険な召喚魔法です。精霊や神々、悪魔たちが潜む[幽世]を通じ、果ての異次元からの未知の神や魔神を呼び出す禁術ですが――稀に人が呼び寄せられ、その者は強大な力を持つと書物で読みました」


 黒竜は静かに、


「……そうか」


 と頷きつつ思う。


 ――あ、これどうしよう……。


 それは自分の犯したミスである。

 元人間であることを省いて説明してしまった所為で、誰も姿形が変わってしまった原因について考えてくれていないのだ。

 ドラゴンがドラゴンの姿のまま異世界に来たという前提で話されては困るのだ。

 この姿のまま日本に帰ったとして……いや、最悪それも想定しておかなければならないかもしれない。

 とりあえず第一に帰還、第二に元の姿に戻るという目標を定めるべきだろうか……?

 確かに、元の姿に戻れても故郷に帰れませんでは意味がないのだ。まったくもって意味が無い。

 黒竜はまた考え込み、問う。


「う、うん。それで、その〝次元融合〟で元来た場所に帰るにはどうすれば良いのだろうか?」


 まずは、帰る手段だ。元に戻る手段は追々で良い。そう目的を決めた黒竜であったが――。

 ミラがはっと気づき、バツが悪そうに視線を反らし言った。


「そ、それは、あの……、え、ええと、良い面と、悪い面がありまして……」


 見れば、トラン、ブランダーク、メスタまでもが呆れた様子でミラを見ている。


「ど、どゆこと……?」


 問うと、ミラは続けた。


「……昔、[竜戦争]で[ザカール]が使って、たくさんの異形の怪物を呼び寄せたんです」

「う、うん、それで……?」

「……それで、対抗するためにこっち側も十三人の英雄……[暁の勇者]を〝次元融合〟で呼んで……」

「う、うん。それで、その〝次元融合〟はどうすれば使えるのだ?」

「いや、その、危険な魔法だからってことで封印されてまして……」

「……どこに?」


 嫌な予感がしつつ問うと、ミラは照れくさそうに笑って言った。


「[帝都]の、[禁書庫]に……へ、えへへ。……すみません」


 黒竜は思わず両の翼で顔を覆った。

 ミラが小さくなって、もう一度頭を下げた


「すみません……」


 上げて落とされた気分になった黒竜は、落胆しながら、


「い、いや、良いよ……」


 と答える。

 すると、ミラは少しばかり顔を赤くしながらすぐに言う。


「で、でも! まだ〝次元融合〟だって確定したわけじゃないですし!」


 黒竜は(言い出しっぺキミやんけ)という言葉を飲み込み、


「そ、そうだね」


 とうなずいた。

 そのままミラは大げさに「おほん」と咳払いをし、黒竜を見る。


「で、では少し診断です。……家族や友人の顔を思い出せますか?」

(それさっき答えたんだけどな……)


 という言葉を飲み込み、黒竜は首を横に振った。


「……いいや、思い出せない。だが妙な感覚なのだ。家族や友人の……雰囲気、は、わかる。思い出せる。だが――。顔や名前になると、途端にモヤがかかったようになってしまう」


 それは、遺跡から出発しても一向に治っていない。

 完璧に覚えている箇所と、完全に抜け落ちた箇所がバラバラになって記憶の中に混在している。

 その抜け落ちた記憶を思い出そうとすると、意識がさーっと遠くなるような錯覚を覚える。

 ミラが言った。


「……あ、それ〝次元融合〟の後遺症ですね……」


 隣にいたメスタが彼女をじとりと横目で見る。

 沈黙が支配し、黒竜は慌てて言った。


「あ、あと、変な男の子が、負けないでとか言ってきたり、もっと小さな子が後ろの方で笑ってたりとか……」

「え、何ですそれ意味分かんない。頭おかしいんじゃ――ぐえ」


 メスタがミラの脇腹を肘で小突いた。

 だがすぐにミラは小声で、


「ま、待って、まだありますから……」


 とメスタに言うと、もう一度黒竜に向き直って続けた。


「ええと、そういうことなら後は[魔術師ギルド]の長、アークメイジに助力を請うのが一番だと思います」

「ほう」


 黒竜はその話題に飛びついた。

 アークメイジ。立派な呼び名だ。

 おそらくとても偉い。よくわからないがきっとそうだ。

 古今東西アークメイジと言えば何かしらのトップなのだ。間違いない

 つまるところ、ようやく今の住所不定無職状態でもなんとかなりそうな――いやならないか?

 ならないかもしれない。


「……私でも会える?」


 不安になって問うと、今度こそミラは自信に満ちた様子で首を縦に振った。


「もちろんですっ。こう見えても私、[ギルド]で一番成績が良かったんですよ。先生とも仲良いので、これは本当に大丈夫です!」

「お、おお……」


 一応念の為トランとブランダークの顔を見てみる。

 二人は事実だと言わんばかりに頷き、黒竜はようやく安堵した。

 良かった。本当に良かった。

 暗闇の中を行くのと目的地がはっきりとわかっているのとでは気の持ちようがまるで違う。今は少しでも希望が欲しい。

 先の見えない旅ほど恐ろしいものは無いのだ。


 そのアークメイジなる者の件を問うてみると、ミラはすぐに答えてくれた。

 高齢であるが、未だに現役であり世界最強の大魔導師であること。[冒険者ギルド]の最高階位であるオリハルコン級の元冒険者でもあること。メスタの先生の友人でもあることからきっと力になってくれるとミラは力説した後、最後にこう述べた。


「それに、かつて[竜戦争]を終わらせた英雄[暁の勇者]の守護者、[暁の盾]の子孫でもあるんです! 彼らは大戦の後もドラゴンの残党を狩り続けて世界を平和に導いたんです!」


 何と立派で高名な肩書だろうか。

 だが黒竜はふと疑問が思い浮かび、それをそのまま言った。


「それ私殺されない? ずばりドラゴンの残党そのものじゃない?」

「あっ、いや……」


 ミラははっとして口ごもり、視線をそらす。

 ブランダークが続く。


「なに、もう千年も昔の話でありましょう。

 確かに名目上は[冒険者ギルド]の討伐対象にドラゴンも含まれておりますし、貴族たちが道楽で[ドラゴン殺し]を目的とする組織を結成してもおりますが――」

「いやぁなんだか凄いピンポイントで物騒な名前……。駄目じゃない? 私やっぱ殺されない? それなんかもう私を殺すためだけに結成された組織では」


 なんだか不安になってきた。

 結局人は多数決の生き物なのだ。

 彼ら四人が黒竜をかばってくれたとしても、他の百人、千人が敵だと言ってしまえばそれでおしまいなのだ。

 つまるところ、四人のまともな理解者など百人の民衆の前では無力なのだ。

 しかし、ブランダークは柔和な表情のまま続ける。


「それは心配ありますまい。

 [ドラゴン殺し]を自称する彼ら――[ハイドラ戦隊]のやることと言えば、

 貴族のパーティに参加し、お抱えの[魔獣使い]が育てた温厚な飛竜に跨がり空を飛び、

 ちょっとした害獣の巣穴を空から魔法で攻撃し権威を知らしめる程度でありますので。

 本物のドラゴンが出たとなれば、今の彼らでは太刀打ちできないでしょう。

 ――無論我々も便宜は図ります。命を助けてもらったのですから」

「う、うーむ……」


 黒竜は悩んだ。

 果たして彼らを信用して良いものか……。

 無論、人間性を疑っているわけではない。彼らはきっと本心からそう言ってくれてるのだ。

 だが、やはりそれでも問題は他の大勢の意見である。


 黒竜は、妹のことを信じていた。

 だから、これ絶対美味しい! と持ってきた珍しい変わり種のパスタを二人で食べ、あまりの不味さから二人とも一口でギブアップしそれを残したことだってある。

 妹はその時、こ、こんなはずじゃなかった……と言っていたのを覚えている。

 つまるところ、それが怖いのだ。信用した人がやる、こんなはずじゃなかったが一番恐れるべきことなのだ。

 信じてはいるが信じてはいけないのだ。


 というか、貴族の道楽とは言えそんな組織がある時点でドラゴンは悪、敵というイメージが今でもはっきりと残っているではないか。

 本当に彼らがただの貴族の娯楽組織であったとしても、市民らに敵意や恐怖が浸透していればそれは強大なうねりとなって黒竜に襲いかかるのだ。

 そうなってしまえば、たかが一介の中堅冒険者の便宜を図るなどという言葉は無に等しい。

 無職の人間が会社のことは俺に任せろと豪語するくらい信用してはいけない。

 それは怖い。

 どんな善人だったとしても、怖いのだ。

 黒竜が黙り込みを考えを巡らしていると、ブランダークは一度肩をすくめてからチラとメスタの左手を見、言った。


「何、貴公が古の邪竜で無いことは、メスタ殿が証明してくれましょう」


 言われた言葉の意味がわからず黒竜は首を傾げると、メスタは一度眉を顔をしかめてから、


「くだらない伝承だよ」


 と言ってから革の小手を外し、左手の甲を黒竜に見せた。

 入れ墨、だろうか。その手の甲には一切光沢の無い黒で十字の印が刻まれている。

 ブランダークが言った。


「彼女もまた、[暁の勇者]の血統を色濃く継ぐ者であります。[黒竜の刻印]がその証拠でありましょう。悪しきドラゴン、[古き翼の王]に共鳴し赤く輝くとされていますが――」


 一瞬、ミラの体がびくんと震えた。

 それは、彼らに出会ってから意図的に避けられていた名前である。

 黒竜は、静かに問う。


「私の姿は……[古き翼の王]に見えるのだろうか」


 すると、皆は黙り込む。

 沈黙が答えであり、黒竜は小さく「そうか」とうつむいた。

 ブランダークが、どこか心もとなげに言う。


「……千年も、昔のことであります故」


 ふと、トランが言った。


「どちらにしても、一緒に行動した方が良い。恩は返す、これは冒険者の流儀だ」


 すぐにブランダークが頷き、答える。


「でしょうな。それにこの――[古き翼の王]を連想させる黒い姿。これは不要な混乱を招きます。しかし……さて、問題は街の者たちにどう納得させるか……」


「東門から降りよう。冒険者や魔獣に慣れてるし、顔も効く。――後は、リジェットさんたちがどうしているか……」


 トランが言うと、ふいにメスタが、「……頼みたいことがある」と黒竜に言った。

 ミラが小声で「メスタ」と咎め、彼女の腕に触れる。

 メスタは自分の腕に触れるミラの指に手を重ねてから、それでも止まらず黒竜に言った。


「先行した白金級の冒険者たちがいたはずだ。彼らの安否を確認したい」


 すると、すぐにブランダークが難しい顔になって口を挟む。


「もうじき日が暮れます。ここから先は夜の眷属の世界。流石にこれ以上は――」

「いや、良い。助けになれるのなら、そうしよう」


 黒竜は彼が何かを言いかける前に、そう言った。

 彼らは、黒竜のために動こうとしてくれているのだ。

 その東門なるところに行くよりも先に、貸しを作っても良いはずだ。

 黒竜としてはその方が気分が良いのだ。

 それに黒竜の行動が人間の為になるのなら、それは彼らにとっての恩義となり、[ハイドラ戦隊]なる存在を抑え込む材料にもなるはずだ。

 しかし、と黒竜は言う。


「ここに来る途中、数名の……人の死体を見かけた。戦いの跡だったように見えた」

「なんと……」


 とブランダークが絶句し顔を覆う。彼はすぐに続けた。


「ならば早急にギルドに戻り、状況を伝える必要がありますな」

「結局、俺が……」


 とトランが悔しげに何かを呻くが、メスタはそれを無視してブランダークに言った。


「だったら、[冒険者ギルド規定]に従って彼らの記章を回収し持ち帰る必要もある! そうでなくては遺族も浮かばれない。彼らには待っている人がいたはずだ」


 生真面目、という言葉が意志を持っているかのようなメスタは語気を少しばかり強めていたが、言われたブランダークは柔和な表情で返す。


「それは理屈です、メスタ嬢。

 この[アガレス山脈]よりも一層強大な敵が待ち構えている可能性があります。

 あのゴーレム、恐らく最上位の[オーバーゴーレム]。

 それを大量に使役する者が何処かに潜んでいるのでしょうが、我らは太刀打ちできなかった。

 ……それに、あれほど統率の取れた動きを自分は見たことがありません。

 強大な力を持つ何者かが目的を持ってあれを遣わしたと考えるのが自然でしょう。

 であれば、我々のできることは、状況をギルドに持ち帰り、伝えることでありましょう」

「それは――そうだけど……!」

「メスタ嬢。お気持ちはわかります。自分も同じであります。ですが、どうにもならん事態というのはあるのです」


 ブランの冷静な指摘にメスタが押し負けそうになってしまったのを見て、黒竜は慌てて口を挟む。


「待ってくれ。良いと言ったはずだ。せっかくここでこうして出会えたのだ。私にできることなら手伝おう。彼らの遺品――記章と言ったか、それを回収しに行くのだろう?」

「良いのか!?」


 ぱあっと表情を明るくしたメスタを見て、黒竜はふと、


(この子ちょろそう)


 と無礼な感想を抱いてしまったが、表情には出さないように努める。


「構わない。私も……キミたちと行動を共にしたいと思っているのだ。――乗ってくれ、彼らのとこまで運んでいこう。それならば時間も短縮できる。日が暮れるまでにことを済ますのだろう?」


 やがて、黒竜は背に四人の冒険者を乗せ、来た空路を戻り、白金級冒険者たちの首元につけられていた記章を回収させた。

 遺体を弔っていたトランが、ふと言った。


「一人、足らない」


 黄金級の冒険者たちは、六人のパーティだったらしい。記章の数は六つあるものの死体が五人までしか発見できなかったのだ。

 爆発とかで、肉体がバラバラになったのだろうか……?

 と恐ろしい想像をしてしまったが、それはブランダークに否定された。


「……妙ですな。装備一式、全てが――?」


 黒竜が五人の遺体の回収を提案したため、また少々問答があったが結局彼らは五人分の遺体を遺体袋に埋葬し終えた。

 ブランダークが神妙な面持ちで考え込む。


「見つからなかったのは……リジェット殿か。治癒魔法にも精通した高名な魔導師であったと。……何故……? 彼は、まだ生きている……? いや、しかし――」

「……もうギリギリですよ」


 と、ミラが暗くなりつつある空を見て不安がった。

 夜には夜の眷属が出る。それがこの世界の常識であり、それは生者を羨む動く死体や人の血を吸う吸血鬼たちのことである。

 特に、整備されていない街道だったり人があまり立ち寄らない地には多く見られ、まさにここがその[禁断の地]であることから、本来ならば今この時点でここに残っていることが生命の危機なのだ。

 トランが短く思考し、うなずいた。


「限界だ。戻ろう」


 彼らは五人分の遺体袋を黒竜の後ろ足にきつく固定し、再び黒竜の背に乗りしがみつく。

 この死体は、彼らを待っている人の元へと届けられるのだ。

 最後の一人が見つからなかったのは残念ではあるが、黒竜はなるべく丁寧に羽ばたき、再び空高く舞い上がる。

 そして黒竜は、[アガレス山脈]よりはるか西。[グランイット帝国]の最東端に位置する[城塞都市グランリヴァル]を目指した。

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