第5話:初陣

 あらやだ凄い良い天気、などと考えながら悠々と空を飛んでいた黒竜であったが、ふと眼下に捉えた戦闘跡とらしき噴煙と人間たちの死体を見、思わず視線を反らした。

 一帯のそこかしこに巨大なクレーターができており、ところどころから煙が上がっている。

 同時に、生まれて初めて人の死体を見てしまったという現実に戦慄し、心臓鼓動がばくばくと大きな音を立て始める。

 そして思う。


(え、何これは。そんなに簡単に人の死体が転がってる世界なの? いやぁやめてよそれ、勘弁してよ……)


 つい先程まで戦闘をしていたのだろうかと考えた黒竜は、それでもと勇気を振り絞り、降下、着地しおっかなびっくり生存者を探してみる。

 確か、倒れてる人とかを見捨てて逃げると法律違反だとか、そういう罪があるのだとかどこかで聞いたことがある。

 無論、ここはどう見ても日本では無いのでそんな法律が適用されるはずが無い。

 無いのだが――。


 ここで人を逸脱した生活に慣れてしまうと、元の世界に戻ったときに大変なことになりそうな予感がしているのだ。

 よくあるパターンではないか。

 非現実に慣れてしまった所為で現実の生活に馴染めず結局……という話だ。

 映画でも見た。有名なやつだ。

 それは困る。実に困るのだ。

 黒竜としてはこのまま元の世界に直帰して、ああ怖かった変な夢を見ていたよ、俺ドラゴンになっていたんだ馬鹿みたい、と笑い飛ばせればそれが理想だ。

 ……だが現実はそうもいかないようだ。


「こ、こんにちわぁ……」


 と小声でささやきながら、黒竜はびくびくしながら周囲の様子を伺う。


「あ、あのぉ、生きてる人、い、いませんかぁ……? こんにちわぁ……ドラゴンでぇす……。良いドラゴンでぇす……」


 答えは、返って来ない。

 おそらく、全員死んでいるのだろう。

 だがそれでも、返事ができないくらい弱っている生存者がいる可能性はある。黒竜はぎゅっと目をつむり、


「く、くそう……名前思い出せないけど、父よ、母よ妹よ、お、俺はちゃんと人助けするからな……」


 と小声で気合を入れておっかなびっくり一人ずつ慎重に顔を除き込み、心音を確認して行く。

 やはり、全員死んでいた。

 死因は……切り傷だろうか?

 ある者は、胸を鋭利な刃物で切り裂かれ絶命している。

 またあるものは、心臓に当たる部分を、同じく鋭利な刃物で一撃。

 順番に確認していくと、やはり全員最終的には刃物で殺されたのだとわかった。


「五人、か……」


 南無南無、と翼を手のようにして合わせ黙祷した黒竜は、やっぱりめちゃくちゃ怖いのでそのまま一気に空へと舞い戻った。

 慎重に行こう、何があるかわからないし……。

 速度を上げるのは良くないだろうか?

 オートマ限定だが運転免許はある。

 かもしれない運転は大事なことだ。

 子供が飛び出してくるかもしれないからとか良く言われたが、そもそも空で子供が飛び出してきたりはするのだろうか?

 いやいやかもしれない運転は大事なのだ、なら空でも子供が飛び出してくるかもしれないではないか。

 空飛ぶ魔法なんてものがあったらそれこそ子供も犬も魔法で空を飛ぶかもしれないのだ。

 でもやっぱり空より下の方に注意してた方が良いかな、そりゃそうかな?


 などという考えながらなるべく上空を低速で飛行していたその時だった。

 大地が動いている。

 無数の岩が一つ一つ石を持ったかのようにして蠢いているそのさまは、まるでうっかり虫の巣を発見してしまったかの如く不気味であり、黒竜は


「ひょっ」


 と情けない悲鳴を上げた。

 だがその岩の一つ一つが、不出来な人形のような――俗に言うゴーレムらしき何かなのだと理解し、同時に別の小さな影にも気づく。

 人が、襲われている。

 黒竜は一瞬迷った。

 人助けという行為に迷ったわけではない。

 だが、そもそもの大前提の確認ができていないのだ。

 確証が持てていないのだ。

 即ち……。


 ――俺は、勝てるのか?


 現状、自分の強さが全くわからない。

 動く岩の巨人に対しての戦闘シミュレートなるものが全くできていない。

 想像もつかない。

 どう戦えば良いのか、何が効くのか。

 単体としてのパワーはどれほどあるのだ?

 漠然とした情報で予想できているのは、かつてドラゴンと人間の間で戦争があった。

 その辺を飛んでる一般通行ドラゴンさんなんてものにには出会わなかったので、おそらくドラゴン側が負けたと見て良いのだろう。

 記録で見た映像でも劣勢だったように見える。

 そのパワーバランスだけを見れば、人間はドラゴンよりも強いということになる。

 つまり、ドラゴンよりも強い人間よりも強いゴーレムということにもなってしまうのだ。

 無論戦争となれば個々の力とはまた別の要素が関係してくるため一概にも言えないが――。


 そしてもう一つ。ドラゴンの体となってしまった自分が戦いに介入したとして、今襲われている人間側はどう捉えてくれるのかという問題である。

 黒竜は、人の強さが何たるかを正しく理解しているつもりだった。

 それはすなわち、数と知恵の力である。

 それは自身が持つ人間としての自負でもあるし、誇りでもある。

 地震を、津波を、竜巻を、即ち大自然という災害を恐れ対策をねり、生活を営んできた長い歴史。人は打ち勝ってきたからこそ、今こうして生きているのだ。

 仮にこの体が単体として世界最強だったとしても、国家を相手にすることは不可能だろう。

 それが人としての黒竜の見立てである。

 事実、[古き翼の王]は負けたのだ。

 であれば、単独のドラゴンである自分が人間と敵対することは絶対に避けたいのだ。

 だからこそ助けるべき、という思考にまとまりかけ、また疑惑が浮かび上がる。

 あの岩の巨人、ゴーレムがただのゴーレムであるという保証がない。

 別の勢力の人間が使役している可能性だってあるはずだ。

 そうなれば、人間と人間の争いのどちらかに加担してしまうことになってしまう。

 それは、避けたい。たまらなく恐ろしい。

 元の世界に帰るという大目標から大きく遠ざかってしまうのだ。


 ――しかし。


 遺跡で語りかけてきた黒い髪の少年が、今まさに殺されようとしている女性の直ぐ側にいるのが見えた。

 少年は、まっすぐに黒竜を見上げる。

 その少年の瞳は、まるで何故助けないのだと非難しているようで――。

 なんだ、という疑問と同時に、家族の姿が脳裏に浮かぶ。


「こうなった原因を、思い出せ。俺は妹を……あの真っ暗な闇から庇ってここにいるんだ。俺は、既に、命を投げ出して、人を助けたことのある男だ――」


 それができる男のはずだ。

 それは理屈を超えた、思いである。

 仮にこれがただの人同士の戦争だったとして、後で謝れば許してもらえるなどとは考えていない。取り返しのつかないことになるかもしれないという恐怖がある。

 それでも、と黒竜は羽ばたきを強め、そのまま一気に滑空し高度を下げた。

 例え状況がわからなくても、見捨て無いのが俺という人間のはずだ――!

 それは、ドラゴンの体を得てしまった黒竜の願いである。

 未だに家族の顔、名前を思い出すことができない。

 このまま思考が別の何者かに染まってしまうことこそが最も恐れるべきことのはずだ。


 なればこそ、人間らしく――。


 かつてそうであった自分を見失わないために、黒竜はそう決意した。

 もう、少年の姿は消えていた。

 あれが何なのかも、どうやって帰るのかも、何もかも――これが、最初の一手だ。

 あっという間に高度を下げた黒竜は、更に加速しながら思考する。

 火を吐いて奇襲を仕掛けるか、あるいは別の[言葉]を使うか……。

 が、良く良く見れば混戦状態であり、下手な[言葉]は射線軸上の味方に当たる可能性が思い浮かんだ瞬間、黒竜は焦りはじめる。


(あ、なんか思ってたより怖い。でももう飛び出してしまった。

 というかなんか凄いスピードが出てる。これ減速できる? ぶつからない?

 衝撃で俺死なない? 無理やり方向変えられる? え、どうやって?

 翼、え、この速度で方向転換ってどうやるの?

 むしろ変な飛び方になって転がり落ちるように墜落しない?

 燕みたいにきれいに弧を描いて体勢立て直せる?

 いや、たぶん無理そう。よくわからないけどきっと無理。恐らくだけど絶対無理。凄い怖い。

 どうしよう。いや、問題は着地だ。凄い痛そう。骨折れたらどうしよう。

 そもそもこの速度で着地したら体がバキバキになるのでは。

 いや普通に考えてなる。どう考えても着地の衝撃で俺死ぬわ……)


 ドラゴンにどれだけあるのかわからない脳がフル回転し、黒竜は必死に考える。


(やっぱり[言葉]しかない。

 〝疾走〟で加速することができるのなら、減速するやり方だってあるはずだ。

 ああ、というかそっち系の[言葉]全然練習してなかった。

 減速って言ったら減速してくれるの? いやわからない。

 ていうかわからないとか思っちゃってる時点でたぶんイメージ足りてないから減速しないわこれ。

 駄目だわ。あ、なんかあの女の子やばい、急いで助けないと間に合わないかもしれない。

 でも、でも怖いわ。やっぱ怖い。地面近づいてくる。凄い早い。どうしよう。

 そ、そうだ強化だ。そっちは色々と考えたしストックはある。

 で、でもこの速度とか想定してなかった。どうしよう。い、いくつか組み合わせよう。

 複数の、ええと、複数のイメージ、とにかくイメージを形にして、なんとか……ちゃんと、

 自分に発動するように――)


 そうして咄嗟に出た[言葉]が、


「”〝力・纏う・自分・鉄・頑丈・強化・硬質フォース・セインフォード〟!」


 という大量の単語であったことは、黒竜の臆病かつ慎重な性格の現れである。

 これは、遺跡で黒竜が編み出した[言葉]と概念の組み合わせである。〝力・纏う・自分〟と〝鉄・頑丈・強化・硬質〟という二つに分けた言葉を組み合わせ、一つの[言葉]として声にするのだ。

 かくして、『とりあえず口に出せば間違い無いだろう』という考えは何とか無事に的中し、その巨大な躯体から波動のように解き放たれた力が再び収束し、目に見えぬ鎧となって漆黒の鱗は更にどす黒く輝かせた。

 そしてそのままの速度で少女を守るように、そして踏まないように無事着地できたのは自分で自分を褒めてやりたい気分だった。


 即座に黒竜は行動する。

 戦いとは、先手必勝だ。

 いかに相手の裏をかき、意表を突き、先に攻撃するかが大事なのだ。

 地上に降りてしまった以上、誤射の危険があるためもう[言葉]も[息]も使えない。

 放たれた炎が敵ごと仲間を飲み込んでしまう危険性は大いにある。

 故に黒竜は、即座にゴーレムの大群目掛け跳躍した。

 そのまま体重を乗せた右翼の鉤爪でゴーレムの岩の体をグシャリと押し潰した黒竜は、


(あ、これいけるわ!)


 と直感し、最優先目的を敵の早期殲滅から生存者の把握と確保へと変更させる。

 背後に気配を感じた黒竜は慌てて振り返ると、運良く尻尾がゴーレムに直撃し、その巨大な岩の体が乾いた土のようにいとも容易くえぐり飛び、気づく。


(下手に動き回ると尻尾が人に当たる――)


 即座に判断し、円ではなく直線的な動作を意識するよう心がける。そのまま次の獲物に向け跳躍し、最初のゴーレムと同じ要領で頭上から翼で押し潰した。

 黒竜は、割と頻繁に遊んでいるゲームに出てきた、獣に似た迅竜と呼ばれるドラゴンの動きを頭の中でシミュレートしながら、猫のように跳躍と反転を繰り返し、ゴーレムを一体一体着実に押し潰していく。

 同時に視界の端で、生存者の状況を把握していく。


 剣士らしき青年は倒れたまま動かない。だが浅く呼吸はしている。

 岸壁に叩きつけられぐったりとした壮年の重戦士の姿が見える。彼はかろうじてだが意識はあるようだが、足の骨が折れ動けないでいるようだ。しかし、しっかりとした眼でこちらを注意深く見据えている。

 髪を短く切りそろえた魔導師らしき少年――いや、少女か? は怯えた目つきで黒竜を見、じりじりと足を引きずって後ずさる。

 角持ちの少女は緊迫した様子で黒竜とゴーレムの戦いざまを視線で追い、臨戦態勢を取っている。

 生存者の救助にあたってくれ、と内心思ったものの、彼女たちからしたら現状どちらも敵なのだ。

 無理も無いか――。

 僅かな思案がすきとなり、一体のゴーレムが黒竜の胸元に潜り込み、そのまま重い拳を突き上げた。


「ふ、おっ――」


 鈍い痛みが胸部にズシンと響き、


「お、思っていたより、だいぶ。痛いな――!」


 と黒竜は肺から漏れた息とともに右翼を拳のように振り下ろし、そのゴーレムを頭上からグシャリと押しつぶす。

 同時に、殴り合いでは不利だと理解する。


 おそらく本来のドラゴンの戦い方は、空中から放つ[言葉]の雨だろう。

 ならば、ドラゴンは現代で当てはめるならば戦車ではなく爆撃機、あるいは戦闘機なのだろうと考える。

 故に、空から一方的に広範囲を攻撃できる利点を自ら捨てた現状の戦い方は愚策以外の何者でもないのだ。

 それに、空からの[言葉]による絨毯爆撃などは、多数のドラゴンがいて尚且地表の被害を気にしないことでようやくできる戦法でもある。


 ――人間、の、社会。


 生活、営み。

 ……思っていたよりも、自身の優位性は少ないのかもしれない。

 だが、それがここで引いてやる理由にも決してならない。

 既に、行動は起こしてしまった。

 傷ついた人を、むざむざ見捨てて逃げるという選択肢は、無い。

 やがて全てのゴーレムたちがこちらに狙いを定めるはじめたのに気づく。


 ――それで良い。来るのなら、俺のところに来い……!


 多勢に無勢とは言え、同時に攻撃してくる数は限られている。

 一対百は無理でも、一対一を百回ならば行けるのだ。

 ……この体と体力があってこその芸当だろうが。

 それにゴーレムが繰り出す岩石投げも、黒竜の前では無力だ。対空ならば誤射を気にする必要が無いためいくらでも[言葉]での迎撃が可能なのだ。


 戦いながら、黒竜は自身の強みを理解していく。

 拠点防衛、迎撃、そして拠点攻撃。多数を相手にするのなら、おそらくは相当強いのでは無かろうか。

 だが逆に、この地上戦のように他の者たちを守る戦いを強いられてしまえば、このドラゴンの体の強みは決して多くは無いだろう。

 守る戦いが不利なのは、厳しいものだが――。

 だからこそ、すべてのゴーレムがこちらに狙いを定めてくれたのは幸運なことである。

 そして一体一体着実にゴーレムの数を減らしていき――。


 総勢五十七体にも及ぶ全てのゴーレムが動かなくなったのを確認した黒竜は、ふうう、と肩で長い息を吐ききった。

 まだ心臓の鼓動がバクバクと大きく聞こえる。

 喧嘩をしたことがなかったわけでは無いが、それを考慮したとしても生まれて初めて一切加減をしない攻撃をしてしまったのだ。

 少しばかり恐ろしくて、けれども成し遂げたのだという微かな満足感が黒竜の胸のうちに溢れてくる。


 ――俺は、やれたのだ。


 だが、次にやるべきことだってたくさんある。

 黒竜は翼を前足代わりにしてゆっくりと人間の元へと近づく。

 その人間は、左右の耳の後ろから二対の螺れ曲がった黒い角を持つ不思議な外見をした大柄な少女だった。

 身長はおそらくだが、人間だった頃の自分よりも高い。……一八○センチはあるだろうか?

 [竜人]とでも呼べば良いのだろうか、その角持ちの少女は、折れた槍を杖代わりにして立ち上がると、恐れと困惑が入り混じったような赤い瞳を黒竜に向け、肩で息をしていた。

 やはりドラゴンは人間の敵なのだ。

だからこそ最初の一手を間違えるわけにはいかないのだと慎重に考える。

 だが、何と声をかけるべきか――。

 結局、その辺りを何も考えずに飛び出してしまったのだ。

 黒竜は少し前の己の失態を呪った。

 しかし、負傷者の位置を把握していた黒竜は、角持ちの少女に向き直り、言った。


「……すまない、怖がらせてしまったことは謝る。だが今は他の者の救助を優先すべきだと思う」


 角持ちの少女は息を呑み、弱々しく息し足を引きずる少女を見やる。

 こういう時は、たぶん正論でぶん殴れば良いのだ。

 よくわからないけどきっとそうだ。


「ミラ――」


 と角持ちの少女が誰かの名を呼ぶ。

彼女はは折れた槍を杖のように使いながらミラという魔法使いの少女の元に向かった。

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