第4話:竜人族の冒険者

 メスタ・ブラウンは義父の言葉を思い出していた。

 無事に冒険者を辞められた者は幸いである。

 それは、まっとうな職にありつけたということだから。

 行く宛があるということだから。

 帰るべき場所があるということだから。

 であれば、今なおそれを続けている冒険者は、現実を理解できない愚か者か、行く宛の無い者かのどちらかであろう。


 [リヴル死海]。


 かつての邪龍[古き翼の王]が支配していた[古龍帝国]の最後の拠点となった魔境である。

 名誉と財宝を求める冒険者たちがこぞって目指す[禁断の地]と称される地域はいくつかあるが、その中でも[リヴル死海]は格が違う。

 海の波が止まったまま動かず、それでいながら歩くこともできず、結果として船すらも浮かばず沈み続ける闇の海として侵入者の行く手を阻んできたのだ。

 その異質さはまるで世界の時間が止まったかのようであり、風すらも吹かない[リヴル死海]には鳥も[飛空艇]も侵入することができない。


 だが、つい先日[冒険者ギルド]からその地に異変が起きたとの情報が入った。

 止まっているはずの波が、動き出したのだ。


 すぐさま各国の貴族や有力者たちからギルドに依頼が入った。

 非常に危険な地としてギルドから制限がかけられていたため、大群を率いることはできなかったが、それでも腕利きの冒険者たちはパーティを組み[リヴル死海]のどこかに位置するとされる[古き翼の王]の根城を目指して旅立っていった。

 とはいえ、冒険者としての位としては中堅である白銀級のは、[リヴル死海]の冒険は許されていない。


 メスタは、[竜人種]である。

その中でもメスタは、本来ならば耳の後ろにまっすぐと伸びる二対の角を持つはずが、メスタの場合は、前方に漆黒の捻じれた二対の角が突き出された、特殊な外見をしていた。

 漆黒はかつての邪竜[古き翼の王]を思わせる色であり、不吉とされている。


 だが、[竜人]にとっては違う意味合いもあった。

 千年前に世界を救った[暁の勇者]の一人、[黒剣のゼータ]も、同じく捻じれた角だったのだ。

 忌み嫌う者と、必要以上に崇拝する者、二つのうねりがメスタを追い詰め、結果として[竜人の里]を出ざるを得なかったのは不幸なことだ。


 腰まで伸びた黒い髪を毛先の辺りでギュッと束ねたメスタは、[人間種]で最も多い[ヒューム]と比較しても大柄な体格をしている。十六歳の女性でありながら他の[竜人]に漏れずその身長は成人の[ヒューム]よりも高い。

 つまるところ、メスタはどこに行っても目立ちすぎるのだ。

 それでも、[竜人の里]を去り、ヒュームと暮らす方が遥かに楽だった。

 それほどまでに[竜人]にとって角というのは特別な存在なのだ。

 だからこそ、苦い思い出がメスタの中の微かな歪みとなって、焦りに変わる。

 メスタは、力に飢えているのだ。

 だから、[リヴル死海]への許可が降りる、メスタよりも更に三つ上の階級である白金級の冒険者たちに同行し、拠点の確保、維持という別の依頼で、[リヴル死海]に隣接する[アガレス山脈]の端で野営地を確保し彼らの帰りを待つ――そんな単純な依頼にも文句を言わず参加した。

 メスタは名声が欲しかった。数少ない親友たちは、みんな貴族の名家の子だ。

 自分だけが、平民の――それどころか本当の親すらわからない下賤の出である。


 せめて友に恥をかかせないくらいの名声が欲しい。対等に肩を並べたい。

 そんな欲が、メスタを危険な冒険に駆り立てた。

 白金級から技術を盗めるかもしれないという淡い期待もあったのも事実だ。

 無論、見返してやりたい、という感情を糧に、早く最高位であるオリハルコン級になりたいという思いもある。

 だが、何事もなく[アガレス山脈]を踏破したメスタたちは、依頼どおりに魔法で土と小枝を混ぜた壁を作り上げ、水はけの[付呪]が施された獣皮のテントを組み立て、白金級冒険者が[リヴル死海]に向かう様子を見て、退屈な依頼を受けてしまったかもしれないと後悔しつつもあった。


 六人の白金級冒険者たちが[リヴル死海]に入ってから、一週間が経過した。

 良い人たちだ、とメスタは思う。

 別段親しい間柄というわけではなかったが、十六歳のメスタに対しても対等に接してくれたし、メスタの一つ年下の同じ白銀級のパーティメンバーであるミラ・ベルは白金級の魔導師リジェットに良く懐いていたように見える。

 同じ魔導に携わるものとしても親近感があったのだろうか、リジェットも暇を見つけてはミラに魔法の手ほどきをしていたようだ。

 だが、彼らは帰ってこなかった。

 そして、日の出と共に襲撃があったのだ。

 岩でできた魔法の巨人――数十と群れをなして襲いかかってくるゴーレムを同時に相手しながら、一向に決定打を与えることができないでいたメスタは、今になって師の言葉を思い出し、


「くそぉ……」


 と毒づいた。

 パーティのリーダーである剣士トラン、参謀役である重戦士ブランダーク、魔導師ミラと協力して倒した数体のゴーレムの体が周囲に転がっている。

 おそらく、ゴーレム一体一体の強さはメスタらの白銀級よりも上だ。

 金級、あるいは黄金級の敵だろう。

 それと戦えるメスタたちはギルドからも将来が期待されている期待の星でもあるのだが――。

 既に、トランはゴーレムたちの猛攻を耐えきれず殴り飛ばされ、岩肌に倒れたままぴくりとも動かない。


「メスタ! ミラを連れて下がれ!」


 ゴーレムたちに囲まれたブランダークが叫ぶと、彼はゴーレムのなぎ払いの一撃で弾き飛ばされた。


「ブランダーク!」


 思わず名を呼び、絶句する。

 視線で追ったその先にゴーレムたちの増援が見える。

 明らかに、メスタたちでは太刀打ちできない数が攻めてきている。

 四人のパーティに対して、ゴーレムの数は、いくつなのだ……?

 二十や三十といった騒ぎでは無い。

 トランたちとパーティを組むようになってから半年ほどだが、決して付け焼き刃のチームではないはずだ。

 白銀でまとめられた、実力のある冒険者たちであるし、魔導師のミラは[魔術師ギルド]でも天才と謳われ一目置かれていた存在だ。

 しかし――。

 ミラが驚愕して叫ぶ。


「ブラン!」


 そのまま彼女は、岸壁に叩きつけられ動かなくなったブランダークの補助に入る。

 彼女は詠唱全てを省略する[完全詠唱破棄]で即座に回復魔法をブランダークに使おうとするが、ゴーレムから投げ放たれた岩石の直撃を受け、ぐしゃりと岩の大地に転がった。

 それは、群れをなして襲ってくる巨大な死である。

 その様は恐ろしく、既に幾度となく投げつけられた岩石によって退路は断たれている。

 いや、どのみちメスタに帰る場所など無いのだ。


 逃げるようにして人の街に連れられてきたのが九年前。

 せっかく良い家に拾われ、友人に恵まれたというのに、それを自分から手放して冒険者になったのが、一年前。

 もう、十六歳になってしまったのだ。

 メスタはぎゅっと槍を握り直し、意志があるのかすらわからない不気味な二つの赤い眼でじっとこちらを見据える五体のゴーレムを睨みつけた。

 ブランダークは動かない。死んでしまったのかもしれない。

 ミラが折れた足を引きずって這いつくばり、「痛い、痛い」と呻いている。

 ふと、ゴーレムの一体が太く巨大な足をぬらりと動かし、メスタ目掛けて跳躍した。

 ぞわりと悪寒が走る。

 故郷を見返してやることもできず、何者にも、なれずに――。


「死ねるかァー!!」


 メスタは絶叫と共に槍に持てる魔力を込め一気に距離を詰めた。

 渾身の魔力と雷を纏ったメスタの槍がゴーレムの右腕をえぐり飛ばすと、ゴーレムはそのまま残った左腕を彼女の体目掛け振り下ろす。

 メスタは咄嗟に体をくねらせ、ゴーレムの一撃を回避する。

 心の内を、燃やせ。

 それがメスタに残された切り札であり、最後の技である。

 怒りと破壊の衝動が、メスタの心を塗りつぶしていく。

 そのイメージが灼熱の炎を象った瞬間、虚無のようなゴーレムの二つの瞳目掛けメスタは咆哮した。

 メスタの口元から雷鳴が迸ると、ゴーレムすらも覆い隠すほどの巨大な火球が撃ち放たれた。

 体内で練り上げた魂に意味をもたせ撃ち放つそれは、通常の魔法と違う原理を持って生み出された、本来ならばドラゴンにだけ許された魔法である。


 [概念]の魔法――[言葉と息]と呼ばれるそれはメスタの吐き出した[息]に[炎と破壊]の概念を与える。しかし脆弱な[人間種]が使おうとすれば、本来のあるべき魂の意味とは違う意味を与えられてしまった魂が暴走し、内側から食い破られ、やがてその[概念]に支配されるのだ。

 だが、[竜人種]であるメスタならば、わずかではあるがその力の一端を使うことができる。

 それが十六歳という若さで、冒険者歴一年という短さで白銀級にまで上り詰めたメスタの力の源である。

 巨大な火球がゴーレムの体を燃やし尽くし、背後にいた二体のゴーレムも同時に消し炭にする。

 体の内側が、燃えるように熱くなる。

 別の二体のゴーレムが乱暴に岩石を放り投げる。メスタは咄嗟に回避行動を取りながら二体のゴーレム目掛け、再び咆哮する。

 雷鳴と共に撃ち放たれた火球が、その二体のゴーレムを飲み込み消し炭に変えていく。


 ――敵は、まだ……!


 パーティのリーダーである剣士トランにトドメを刺そうとしていたゴーレムの巨腕が、振り上げられたままピタリと止まる。

 ブランダークを踏み潰そうとしていたゴーレムも、這うミラを捕まえ握りつぶそうとしていたゴーレムも、その全てがまるで、ようやく敵が誰であるのかを認識したかのようにぐるりと虚無の瞳をメスタに向けた。

 メスタは、笑った。

 ゴーレムたちが、他の仲間に興味を失うと、一斉にメスタという敵目掛け、のそり、のそりと歩きだす。


 そうだ、来るのならこっちに来い。

 お前たちは、全員、私が、殺してやる。

 殺してやる。チリ一つ残さず、殺して、やる。

 怒りと破壊の衝動がメスタを支配していく。



 だが、体の内から滾るような熱気が迸り、全身から汗が吹き出し、ぜえ、という荒い息が火炎になってしまっていることを理解したメスタは、戦慄した。

 戦いが始まってから、既に七回も[息]を放っている。

 敵の数は、時間と共に増えていく。

 ゴーレムたちが一斉に立ち止まると、そのままメスタの姿を虚無の瞳で凝視した。

 何だ、と思うよりも早く、その場にいたゴーレムたちは同時に跳躍し、その身そのものを岩石としてメスタ目掛けて降り注いだ。

 咄嗟に、メスタは降り注ぐゴーレムに向け、再び怒りと破壊の衝動のままに呼吸する。

 しかし――。

 ふいに、真横から現れたゴーレムが一気に距離を詰め、メスタ目掛け巨腕を振るった。慌てて回避しようと足に力を入れるが、膝はガクと震え、メスタは咄嗟に槍を盾代わりにしてそのままゴーレムの巨腕に殴り飛ばされた。

 メスタは岩壁に背中を叩きつけられると、魔獣の革鎧と中に着込んだ鉄の鎖帷子がひしゃげ、肺から息と共に炎が漏れた。

 やや遅れてゴーレムたちが轟音と共に着地し、それがゴーレムたちの取った連携攻撃だったのだとメスタは思い知らされた。

 即ち、このゴーレムたちは自動迎撃では無く――。

 ずきん、と呼吸する度に全身が痛む。

 メスタは痛みで浅い呼吸しかできず、それでも諦めずに自分の槍を探した。

 すでに槍はへし折れてしまっていた。

 ゴーレムがゆっくりと迫ってくる。

 それは、巨大な死のイメージである。


 ――嫌だ。

 嫌だ、嫌だ。死にたくない。

 もう、友人のミラは動いていない。

 もう、誰も――。

 巨大な影がメスタの頭上を覆う。

 それがゴーレムが放り投げた岩なのだ理解したメスタであったが、もはや体に力が入らず、炎の意味すら消えた弱々しい息を、ぜえ、と吐いただけだ。

 メスタはぎゅっと唇を噛み、怨嗟のように漏らす。


「こんな……最期……」


 それは、自分を捨てた故郷と、平穏を捨てた自分への恨み節である。

 やがて、衝撃と共に着地した影がメスタを覆い隠すと、その影がゴーレムに向けて咆哮した。

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