第16話 出征
出発の日の朝。
100人に及ぶ部隊となると、馬は30頭、馬車が10輌に及んだ。
エミールは改めて、その規模に驚く。
そこに騎士のクライドがやって来る。
「エミール殿。部隊名はエミール隊と名付けますがよろしいですか?」
それを聞いて、エミールは呆れた顔で「結構です」と答えるだけだった。
紅は部隊を見渡す。騎士は二人。兵士の多くは彼等の手勢だが、半分近くは農民からの志願であった。
紅の居た戦国時代では兵が農民である事は特に珍しい事では無い。兵だけで食っていける者は侍でも少ない方で、大抵は普段、農耕などをしていたりする。つまり、兵だけで給金を貰い、生活をする者など、戦国時代には稀なのだ。紅のような忍者ですら、自らの食い扶持の為に農耕をするのが当たり前。つまり、常時、兵を持っている事などあり得ないのである。
戦は農民にとっては臨時収入の得られる仕事でしか無い。その為に普段から稽古などをしている者など居らず、貸し与えられた武具や槍を持って、言われた通りに駆け回るのが精一杯である。無論、敵前逃亡をすれば、容赦なく処刑されるので、逃げ出す者は少ないが、負け戦となれば、早々に逃げ出すのも然りだった。
紅からすれば農民兵はあくまでも頭数程度の認識しか無かった。無論、戦争の基本は頭数なので、彼等の存在は大きいのだが、それを上手く動かせるかどうかはそれを束ねる武士の力量である。
頭数が増えると移動速度も落ちる。騎士も鎧を脱ぎ、荷を載せた馬を引く。これだけの人間が移動するのだ。食料や旅道具なども多い。兵を動かすのはそれだけ大変だと言う事は紅はよく知っている。戦の備えをしている事を知るのも簡単だし、時間が掛かるので、それを知らせる時間もある。それ故に間者を放つのは大事な事だった。
1週間程、掛かって、彼等は目的地である国境線へと到達した。その場には多くの死体が放置され、酷い有様だった。
エミールはその有様に顔を顰める。
「この者達を弔う時間はありますか?」
エミールの言葉に騎士達も同意して、全員で埋葬を始める。その間に紅は周囲を散策した。無論、近くに魔獣などが潜んでいないかを確認する為だ。
忍者装束に身を包んだ紅の動きは軽やかで野山を飛び跳ねるように駆け回る。
幸いにして、付近に魔獣の姿は無かった。紅は彼等が残しただろう糞便や食事痕を確認して、この数日の間、この辺には居ない事を確認した。
彼女は即座に戻り、その事を騎士に伝える。
騎士達は紅の報告に安堵する。やはり、討伐に来たとは言え、実際に悪魔や魔獣と戦うのは誰もが怖いのだ。
騎士達はこれ以上の進軍は隣国への越境となる事を考え、濫りに進軍はせず、様子を窺う事として、ここに陣地を張る事にした。
紅は付近の水場の確保や敵が密かに近付かぬように危険な場所に警戒用の罠を仕掛けて回る。このような時に忍者としての知識が最大に活かされる。
死者を弔ったエミールは紅が戻って来るまでに兵士達に振る舞う為の食事を作り始めた。食材は多く持って来ているが、パンは保存が効く水分が少ない乾いたパンであった。そのまま、食べるには硬すぎる為、大抵はスープに付けて食べる。その為にスープを作るのが大事だった。
基本的に野菜も肉も保存が効く物となっているので限られている。それらを上手く調理して、大鍋にスープが出来ていく。この時、当然ながら、薪にて火が焚かれるので、煙が上がる。
紅は陣地周辺にて、罠を仕掛けていたが、遠目に煙が上がるのを見て、多分、それは敵にも見えているだろうと考えた。
焚火の煙や灯りは敵に悟られるのが前提であった。忍者はそれ故にそれらを隠そうとする。火を使うのも用心するのである。だが、兵は基本的にそんな事は考えない。その為に忍者は容易にして、相手の戦力を把握する事が出来る。ただし、それを逆に利用して、多く見せるなど、策を練る者も居るので、侮れない。
紅は罠を仕掛けながら、森の中などを探った。
稀に魔獣に襲われたのだろう死骸を発見したりするが、それは人間だけじゃなく、大型の動物などもあった。魔獣とは言え、所詮は動物だと紅は確信した。腹を満たす為に人でも動物でも食べるのだろう。獰猛さは残された残骸から容易に想像が出来た。紅は冷静に死骸や糞などを確認して、魔獣の存在を確認する。幸いにかなり時間が経っているので、付近に存在しないと確信した。
これらの情報は騎士達に安堵を与える。
紅はどんな細かな情報も集める。これは忍者として当然の行為だった。それが噂話であっても聞き逃さない。どれだけ信憑性の薄い事にも真実が隠れている場合がある。無駄だと思える事柄も集めて、精査する事で知る事が出来ない重大な情報も想像する事が出来るのだ。紅は忍者として、その事を心得ていた。そして、それらの情報が味方にどれだけ大きな力になるかも。
そして、情報には鮮度が重要だ。より早く知る事。敵よりも早く敵を察知する事。これらが見えない戦力として、大きな力となる。
紅達が最前線の陣地を構築している最中の深夜。
森の奥でカランカランと鳴る音が聞こえた。紅は座ったままの姿勢で眠っていたが、すぐに目を覚ます。忍者は必要とあらば、すぐに起きれるように浅い睡眠だけを取る訓練もしている。目を覚ますとすぐに不寝番の兵に皆を起こすように指示を出し、音の鳴る方へと向かった。
音の原因は紅が仕掛けた罠の一つ。鳴子だ。森に張られた糸に何かが掛かると、それを通じて、鳴子と呼ばれる板と木片で作られた物が音を出す仕組みだった。
紅は軽やかな速さで真夜中の森を駆け抜ける。この時、彼女は松明などの灯りを用いない。忍者は夜目も鍛えている。月明かり程度でもそれなりに動ける。そして、足音も物音も立てず、彼女は森を駆け抜けた。
茂みの中から様子を窺う。鳴子を鳴らしたのは大型の魔獣だった。紅はそれをどう形容すべきか悩んだが、身の丈、5メートルに及ぶ肉食獣。雄ライオンのような動物であった。首の周りのタテガミは炎のように赤く、その狂暴そうな獣はカランカランと鳴る鳴子に怒り狂いながら襲っていた。
「獅子か。あれが獅子と呼ばれる奴か」
紅はようやく、それらに当てはまる名前を思い出した。
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